好奇心全開!!林住期を遊ぶ

 林住期も下り坂に突入して、やっと命の不思議に目覚めたようね感じです。
 玄牝の門を敲きます。

『 緑陰や友逝き吾の昭和尽 』青のくさみ交心rs1201

2016-07-12 23:07:13 | 青のくさみ

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 緑陰や友逝き吾の昭和尽

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 > いまや、僕の身のまわりには本当の旧友と呼べるような人物は、殆どいなくなってしまった。それを淋しいといえば、もちろん淋しい。しかし、その数少ない旧友も、これから減ることはあっても増えることはありえない。それを思えば「淋しい」という言葉そのものがムナしくなり、口にする気もしない。あとは死との対面があるだけだ。   。。。安岡章太郎『死との対面』


 旧友と呼べる旧友がほとんどいないぼくの半生でした。

 そんなぼくの半生の中で、学生時代以来50年、子どもが小さい頃は家族ぐるみで、中学を卒業すると、男親だけで、年2回の一泊旅行をつづけてきました。この旅は、全く学生時代のままの青臭さの消えない異時空として持続してきました。ぼくらはこの時空をネアンの旅と呼んでまったく別枠の時空として大切にしてきたものでした。

 3年前病んで生き存えたぼくは、死者第一号になる予定でしたけれど、運よく生きもうけして、ぼちぼち余命を楽しんでいますので、<死>の実感を感じなかったし、死との対面もしていませんでした。


 そのあと友人の一人が癌を患い、これも運よく生き存えて、回復も早いと見えたので、まさか予測もしなかったのですけれど、転移手術を行い、繰り返し、真正面、死と対面しました。ちょうど姑が病んで入院していましたので、ダブルで死との対面がはじまりました。姑は白寿を前にしていましたので大往生を念じるばかりでしたが、友の死が現実になってくると、死と対面する能力もなく、思考停止の状態に陥ってしまうばかりでした。
 一休さんや良寛さんの死を道標に、言葉あそびで、理想的な死のイメージトレーニングを遊んできたのでしたけれど、友の死を現実にしたとき、何の力にもなりませんでした。
 本当を言えば、誰が死と直面しても、死について、真正面、あるがまんまを語りつづけたいと念じていましたが、いざ、現実になると、死についての思いを語るなどできることではありませんでした。

 まだ元気なときに、「病床六尺を書いてくれないか」と頼んでみましたが書いてくれている気配はありませんでした。共有できる死なんてないのでしょうね・・・


 ぼくは独り、ぼくなりにひとり遊びで、ぼく風の病床六尺は認めたいと念じています。
 死とは、全く個人的な、生の終わり、なのかもしれません。
 ただただ、明晰でありたいと念じるばかりです。





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 緑陰や友逝き吾の昭和尽   仁


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