青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

暑い…

2011年04月27日 11時15分09秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 ここ数年の傾向ですけど、春と秋がないですよねー。
 今日の東京は暑いのなんの、絶好のアイス日和じゃないですか(笑)
 つい先週まで寒かったというのに。


 皆さんも体調を崩さないよう、気をつけて下さいねヾ(*^▽^*)o

ポジティブ疲れ。

2011年04月26日 23時12分52秒 | 青裸々日記。
山桜(埼玉県秩父市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 意味のなさそうなものに意味を与え、
 無駄なものを生産的に、
 絶望を希望に、
 つまり、「無から有を」というのが、ポジティブ思考の特徴です。
 より多くの時間や財産、幸せを生み出そうという考えは誰しも同じです。
 こういうわけで、人は誰しも、よりポジティブでありたいと願っているわけです。


 しかし、ややもすれば「ポジティブ思考」って、疲れるものだったりもするんですね。
 「無から有を生み出す」と口で言うのは簡単ですが、
 「不幸そうに見えること」
 「落ち込むのも無理はないと思えるもの」
 こんなものに出くわすたびにいちいち解釈を加え直すのですから、
 労力がかからないほうがおかしいのです。
 もし「ポジティブ思考に疲れた」という人がいたら、
 まずはこの点を認識する必要があります。



 さて。


 私達は人間ですから、身体と同じように、心だって疲れることがあっても、
 それは至極当たり前のこと。
 「ポジティブになれないから」と言って、それを情けなく思う必要はないのです。

 私が思うに、ポジティブ中毒になると、自分に素直に向き合えなくなるのではないかと考えます。

 たとえば、階段で転んで、「弁慶の泣き所(膝の下の、肉が薄い部分)」を打ってしまったとします。
 これをポジティブに考えると、一例としては「打ち身位で済んでよかった、運が良いな」という解釈はできます。
 しかし、「ポジティブだ! ポジティブだ!」と一つ覚えでいると、
 「痛かったな」というネガティブな気持ちに蓋をすることにもなりかねません。
 そうやって感情に蓋をし続ければ、心は麻痺します
 麻痺しても無理を続ければ、なんだか正体のわからない、鵺(ぬえ)のようなドローっとした重荷を抱えたまま、
 いつか爆発してどうにかなってしまうことを、ただ待つばかりになってしまうのです。
 本来は味方になるハズのポジティブ思考も、
 無理が祟れば心身を蝕まれてしまうのです。


 本来、ポジティブ思考というのは物事の解釈の幅を拡げるためにするものです。
 ポジティブ一辺倒な人より、悪いものを熟知し、ネガティブなものを十分に汲み上げる感性は、
 ネガティブな気持ちがあって養われるもの。
 意外なようですが、よりポジティブになるためには、ネガティブな思考が欠かせないのです。
 ポジティブ思考というのは、欠点に目をつむるインチキ商法まがいな考え方ではなく、
 悪い部分にもちゃんと目を向けることで活きるものなのです。

 「痛い」ものは痛いし、「悲しい」ものは悲しい。
 そこを無視するのではなく、ハッキリと痛さや悲しさを感じてこそ、
 前向きな光を当てられるのです。


 素直に感じる。
 その感じたものに、解釈を加える。
 「感じること」と、「解釈を加えること」は、
 違いがわかりにくいものではありますが、本当は別問題なのです。


 ポジティブな人ほど、実はネガティブです。
 よりネガティブな人ほど、よりポジティブになる可能性があるのです。

 「ネガティブ思考」というものは、本当は怖れるべき存在ではないのかもしれません。

芝桜の撮り方

2011年04月26日 11時01分06秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 一昨日、秩父市にある、羊山公園の芝桜を楽しんできました。
 流石に見事なので人出も多く、風景画が好きな私は人を撮りたくないので、
 こういうシーンでは撮り方を工夫して、絵を作ることがほとんどです。


 たくさん咲いている中から一つ、表情のよい花を選び出して、
 それに焦点を合わせてマクロモードで撮ると、あとは全てをぼかすことが出来るんですね。

 初歩的な話ではありますが、花が咲き乱れている場所だと人も多く、
 思わぬタイミングで人が写り込んでしまうもの。


 こういう絵だと、人も風景として馴染んでくれますので、
 お困りの皆さん、よかったら試してみて下さいね!

腸揉みダイエット

2011年04月26日 10時59分25秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 ごめんなさいね、美容関係の投稿が多くて。

 最近、付き合いで食事に行く機会が多いのですが、
 やはり自分のペースで食べられるとは限りません。
 当然、お腹も詰まることが多く…。


 そこでやっているのが、「腸揉みダイエット」なんですね。
 横になって、文字通り腸を刺激して、
 消化をよくして、さらに体調まで良くしてしまえホトトギスという、
 素晴らしいダイエット法なんです。
 どういうわけか、昨日は念入りにやったところ、
 今日になって体調がすこぶる良いのです。
 また寝る前にやるのが楽しみでいます。


※興味のある皆さんは、以前、「ルックス向上委員会」と題して、
 お金をかけずに自力でできるダイエット方法を、
 私の無駄話も交えて紹介していますので、
 そちらもご覧いただければ幸いですヾ(*^▽^*)o

気分屋さん。

2011年04月25日 22時55分44秒 | 青裸々日記。
ハナミズキ(東京都武蔵野市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「気分屋さん」って、いるじゃないですか。
 ご機嫌斜めな時は嫌な人、気分のよい時は飛び切りに良い人。
 とてもわかりやすいだけに、存在感もあると思います。

 さて、そんな人を相手にしたり、付き合ったりする場合、
 「おみくじ」を引くような気になってしまうものです。
 気分が良ければなんの苦労もない。
 でも、虫の居所が悪ければ、腫れ物に触るような接し方をしないと、何をされるかわかったものではありません。
 そういうわけで、「気分屋さんを相手にするんだ…」と、会う前から気が重くなってしまうこと、
 皆さんも経験されているのではないでしょうか!?


 さて、「備えあれば憂い無し」と言われますが、
 実は「気分屋さん」に対しては、備えは要らないのです。
 というのも、気分屋さんのご機嫌を上手く取るのは成功する確率が低く、
 やるだけ無駄骨に終わることが多いからです。


 つい忘れてしまいがちなのですが、相手が気分屋さんであろうとなかろうと、人の気分はコントロールするのが極めて難しいのです。

 人間には個性というものがありますが、
 その個性があればこそ、感性や考え方も違います。
 ということは、いくら自分の気分が良くなるようなことでも、
 相手はそれで気分が良くなるとは限らないということになります。
 これは「気分」に関する問題に限りません。
 これは全てのコミュニケーションに共通して言えることですが、
 同じ言葉で語っても、感じ方や捉え方は千差万別ですから、
 100%同じ意味で伝わる保証はないわけです。


 こういうわけで。

 「気分屋さん」がどんな心境であれ、
 いちいち気を揉んだりするほうが無駄だ、ということが、お分かりになったでしょうか!?
 結局、ブスッとしている時はどうがんばってもブスッとするし、
 気分が良ければ勝手にニコニコしている、
 これは誰にも覆せないわけです。


 さて、これで大切なことがわかりました。
 人の気分を取るのが無駄だということは、
 逆に言えば、自分の機嫌だって人に取ってもらうのも難しいということになります。
 ということは、「気分屋さん」に気を揉む労力を、
 自分の気分が悪くせず、良い状態にするように振り向けたほうがずっと有効な対策になる
ということが、
 最も賢明な「備え」になるのです。


 人間同士で気分をコントロールし合うことほど、
 生産性の低いことはありません。
 自分の気分を良くできるのは自分だけ、
 このことがわかれば、人と接する態度も、ほんの少しだけ楽になるのではないでしょうか!?

早く伸びるのね…

2011年04月25日 18時40分48秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 昨日、夜に眉毛を整えてました。
 しっかしまあこの眉毛、伸びるのが早いこと早いこと。
 想像以上に長くて、ビックリでした。

 やっぱし気が付いた時にやらないと、せっかくの用具が泣きます。
 なんとかできる部分は、しっかりしたいです。

写真も文章も財産です。

2011年04月25日 11時16分09秒 | about this blog
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 私は写真が大好きで、多くの皆さんに見ていただきたい意味もあって、
 このブログにたくさん載せています。

 ただ、写真を載せている理由はもうひとつあるんです。
 それは、「挿絵」的な役割を持たせたいというのもあるんです。


 文字数や内容の重さがあるのも事実で、
 文章だけだと、とても読む気が起こらないと思うんですね。
 そこで、写真をお供に、少しリラックスして読んでいただければなあ、
 あるいは、せっかく来ていただく皆さんにいきなり文字の塊を差し出すのも申し訳ないと思って、
 それで写真にも力を入れているんです。


 こういうわけで、飛ばし読みも大歓迎です。
 ただ、文章が長いものにコメントしたい!という方は、
 わがままではありますが、写真ではなく文章に対しての感想もいただけると非常に嬉しいです。



 本当はこんな図々しいことを書くのは憚られるのですが、
 やはり、お互いに気持ち良くやりたいじゃないですか。

 文章も写真もあって、このブログがあります。
 いつも温かく見ていただき、感謝しています。

After..3...minutes!!

2011年04月25日 10時31分54秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 相変わらず身だしなみには気をつけています。
 特に、高津文美子さんの「フェイシャルヨガ」をやっているんですが、
 少し困ったことがあって…。

 私は乾燥肌で、顔の肌を引っ張るとガサガサして痒くなってしまうんです。
 それと、目の回りをやっていると、目に水が入り込んでしまったり。


 そこで、お風呂場で身体を拭いて、
 お風呂場にいるまま3分くらいフェイシャルヨガをしているんですが、
 これが大当り。
 ガサガサしないし、目に水も入りません。


 お肌を伸ばす健康法や美容法があるという皆さん、
 お風呂上がりにやってみるとよいかもしれませんよ!?

高津文美子のリフティングフェイスヨガ (セレクトBOOKS)
クリエーター情報なし
主婦の友社

やり込める必要はありません。

2011年04月24日 23時09分04秒 | 青裸々日記。
小金井公園のヤマザクラ(東京都小金井市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 納得いかないこと、自分と価値観の違うことがあると、相手を「ひとでなし」呼ばわれする人がいます。
 そればかりか、一度衝突したら、相手を再起不能に追い込むまで一歩も譲らない人もいます。

 もちろん、明らかに間違えたことや悪いことををしている人を見たら、
 一歩も譲らないことは大切です。
 わざわざ誉められないような態度を取ったり、悪さに荷担することはないからです。
 しかし、相手が更正すればそれで済むのに、いちいち立ち直れない位までやり込める理由、
 それは一体、なぜなのでしょうか!?


 一般的に、人間関係では摩擦や衝突がないほど、
 円滑で良いものになることは、皆さんご存じの通りだと思うんです。
 しかし、世の中にはいくつもの価値観があり、正解だって一つとは限らない。
 だからこそ、どんなに気をつけていても意見が合わなかったり、ペースがズレてしまうことだって、
 必ずありますよね。
 そこで、相違点を付き合わせ、妥協したり煮詰めたり、
 より良いものを生み出していく必要があるわけです。
 たとえ衝突や摩擦があっても、お互いがある程度納得したり、幸せになれればそれで良いだけの話です。


 最終的に相手と上手くやることが目的なのに相手を叩き潰すのは、本末転倒以外の何物でもありません
 意見が違うからといって、一緒に幸せになるべき相手自身を否定して立ち直れないまでにしてしまえば、
 残るものはなんにもありません。
 それに、摩擦を減らすことで、もしかしたらより良い答えが出せるかもしれないのに、
 相手がいなくなってしまえば、そのチャンスをみすみす捨ててしまうことにもなりかねないのです。

 少しわかりにくい表現かもしれませんが、
 たとえ誰かと意見が違っていても、どうにかすべきは「意見の違い」であって、「相手の人格」ではないのです。


 人をやり込める発想でいると、反動で「人と意見が違った場合、負けたらあとがない」と勝手に思い込み、
 それがまた悪循環を呼んでしまいます。

 やり込めるよりも大切なこと、それは相手の幸せを願うことです。
 相手の幸せを願うほど、人をやり込めるのではなく、建設的な話をするようになるのです。

 つまらないプライドのために、人を傷つけてもキリも仕方もありません。
 選ぶなら幸せな方を選びましょう。

カラフル好きのルーツ

2011年04月24日 21時25分45秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「どうも私はカラフルなものを好き好むなあ…」と思ってたんですが、わかりました。
 昔っから、カラフルなものが大好きだったんです。

 私はよくビー玉とかおはじきで遊んでたんですが、
 結構、色に魅かれて眺めるように楽しんでいた感があって、
 その心が生きているのかなあ、と思ったんですね。


 これからもカラフルを楽しもうと思います。

「謝罪」の相場感覚。

2011年04月23日 22時59分05秒 | 青裸々日記。
小金井公園の芝桜(東京都小金井市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 悪いことをしたら謝る。
 人に迷惑をかけたら、責任を取る。
 間違えがあったら改める。

 こんなことは言うまでもないですよね。
 物心が付いた時からずーっと親から言われている、
 人として当たり前の態度です。
 しかし、「当たり前のことを当たり前にやる」のが難しいのも、また事実。
 人は完璧ではありませんから全て教科書通りにはできませんし、
 だからこそ、許し合うことができたりもするのです。


 さて。

 それなりに罪悪感があれば、それなりに謝罪し責任を取るわけですが、
 この「それなりに」というのが難しいのです。
 というのも、「謝罪」というのは一つのカタルシス(浄化)だからです。

 たとえば、誰かを庇って(かばって)いるつもりが、かえって余計なお世話になってしまったとします。
 当然、悪気があればこそ、あるいは相手を大切に思えばこそ、
 しっかり謝って誠意を示したくもなるもの。
 しかし、その傷つけてしまった相手と二度と会えないとしたら、どうでしょうか!?
 そう、どこかで癒されるまで、心の奥でずっと罪悪感が留まり続けるわけです。
 だからこそ、「謝罪」というのは精神的コストがかかる半面、
 罪悪感を消化できるという、素晴らしい見返りもあるのです。


 そこで、です。

 「いち早く罪悪感から逃れたい」と、事あるごとに大袈裟に謝る人がいます。
 もちろん、「悪いことを謝る」という態度は誉められたものではありますが、
 残念ながら、こういう態度は人を遠ざけやすいのです。

 考えてもみて下さい。
 ちょっと手がかすった位のことで、いちいち土下座をされ、菓子折りを持ってこられたら、
 果たしてよい気持ちがするものでしょうか!?
 あざとい人なら最初は「おいしい話」と思うかもしれませんが、
 結局、鬱陶しくなるのは時間の問題ですよね。

 実は、謝罪というのは大袈裟であればあるほど、
 周りに罪悪感を覚えさせてしまうのです。
 なぜなら、「これこれのことをしたら、この位は謝ってね」という、
 ともすれば価値観の押し付けになってしまう
からです。


 そうならないためには、周囲の相場感覚を知ること、言い換えれば周りと歩調を合わせることです。
 どれくらいだと甘くて、どれくらいだとやり過ぎなのかは、その人や土地柄、文化、時代にも左右されます。
 つまり、謝罪の適切な度合いというのは、結局は相場感覚を養うしかないのです。

 謝罪は人間関係において、大切な礼儀であり、ツールでもあります。
 せっかく謝罪するのであれば、相手に気をつかわせないことが大切です。


 「謝罪」というのは、やりようによっては毒にも薬にもなるのです。

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