羊山公園の芝桜(埼玉県秩父市)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
問題が起こると、原因を探って、そこを改善することで解決することが求められます。
こういうわけで、「どこが間違えだったのか」を反省することは、
とても大切なことです。
さて、「原因」を探る時に厄介なのが、「犯人探し」と「犯人の処罰」を同時にやってしまうことです。
たとえば、たまたまバランスを崩して道で躓いてしまったとする。
運よく人もいなかったので、そのまま立ち上がってまた歩き続ければよいわけです。
ここでいう「躓いた原因」というのは、「たまたまバランスを崩した」というだけですよね。
しかし、「バランスを崩した」ということだけをかい摘まんで、
「バランスを崩すなんて、なんて自分はダメな奴なんだ」と自分を責めているようでは、
気分も落ち込んで足取りが重くなるし、現実問題として上の空になりますから、
余計に躓きやすくなってしまうことになる。
つまり、自分を責めたってなんにも始まらないわけです。
なんだってそうです。
過失や問題があったとして、自分や誰かを責めても事態は変わらないのです。
真に大事なのは問題を解決したり責任を取ることで、
人を責めるのはいつだって出来るわけです。
逆に言えば、人を責めなくたって問題は解決できるし、むしろ精神的なロスは少なかったりもするのです。
「他人や自分を責めること」と「問題を解決すること」、
この両者を混同してしまうと、いろんな人の元気を奪うことにもなりかねません。
というのも、責められた本人はもちろん、責めているほうも気分は良くないハズですし、
あるいはまた、悪者退治に明け暮れて問題が解決しないと、それで困る人だって出てくるからです。
「〇〇が悪い」というのは簡単ですし、批判の一つでもしていれば、誰がしゃべっても最もらしく聞こえます。
しかし、人を得意気に責めておいて解決策は野ざらし、
こんなことでは、誰も幸せにはなりません。
昔のある偉人が「批判の達人は擁護の達人でなければいけない」というような名言を残していますが、
「悪者探し」だけに躍起になるようなことは、本当になんの生産性もないのです。
自分を責めたり、人を責めるような場合、
あたかも責める側が成人君子のように思えるかもしれませんが、
実際には、誰かを責めるのではなく問題を解決していく人のほうが、成人君子に見られるのです。
どうやら人というのは、あまり責めないほうがよい方向にいくようですね。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
問題が起こると、原因を探って、そこを改善することで解決することが求められます。
こういうわけで、「どこが間違えだったのか」を反省することは、
とても大切なことです。
さて、「原因」を探る時に厄介なのが、「犯人探し」と「犯人の処罰」を同時にやってしまうことです。
たとえば、たまたまバランスを崩して道で躓いてしまったとする。
運よく人もいなかったので、そのまま立ち上がってまた歩き続ければよいわけです。
ここでいう「躓いた原因」というのは、「たまたまバランスを崩した」というだけですよね。
しかし、「バランスを崩した」ということだけをかい摘まんで、
「バランスを崩すなんて、なんて自分はダメな奴なんだ」と自分を責めているようでは、
気分も落ち込んで足取りが重くなるし、現実問題として上の空になりますから、
余計に躓きやすくなってしまうことになる。
つまり、自分を責めたってなんにも始まらないわけです。
なんだってそうです。
過失や問題があったとして、自分や誰かを責めても事態は変わらないのです。
真に大事なのは問題を解決したり責任を取ることで、
人を責めるのはいつだって出来るわけです。
逆に言えば、人を責めなくたって問題は解決できるし、むしろ精神的なロスは少なかったりもするのです。
「他人や自分を責めること」と「問題を解決すること」、
この両者を混同してしまうと、いろんな人の元気を奪うことにもなりかねません。
というのも、責められた本人はもちろん、責めているほうも気分は良くないハズですし、
あるいはまた、悪者退治に明け暮れて問題が解決しないと、それで困る人だって出てくるからです。
「〇〇が悪い」というのは簡単ですし、批判の一つでもしていれば、誰がしゃべっても最もらしく聞こえます。
しかし、人を得意気に責めておいて解決策は野ざらし、
こんなことでは、誰も幸せにはなりません。
昔のある偉人が「批判の達人は擁護の達人でなければいけない」というような名言を残していますが、
「悪者探し」だけに躍起になるようなことは、本当になんの生産性もないのです。
自分を責めたり、人を責めるような場合、
あたかも責める側が成人君子のように思えるかもしれませんが、
実際には、誰かを責めるのではなく問題を解決していく人のほうが、成人君子に見られるのです。
どうやら人というのは、あまり責めないほうがよい方向にいくようですね。