青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

原因探しと悪者探し。

2011年04月29日 23時07分18秒 | 青裸々日記。
羊山公園の芝桜(埼玉県秩父市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 問題が起こると、原因を探って、そこを改善することで解決することが求められます。
 こういうわけで、「どこが間違えだったのか」を反省することは、
 とても大切なことです。

 さて、「原因」を探る時に厄介なのが、「犯人探し」と「犯人の処罰」を同時にやってしまうことです。
 たとえば、たまたまバランスを崩して道で躓いてしまったとする。
 運よく人もいなかったので、そのまま立ち上がってまた歩き続ければよいわけです。
 ここでいう「躓いた原因」というのは、「たまたまバランスを崩した」というだけですよね。
 しかし、「バランスを崩した」ということだけをかい摘まんで、
 「バランスを崩すなんて、なんて自分はダメな奴なんだ」と自分を責めているようでは、
 気分も落ち込んで足取りが重くなるし、現実問題として上の空になりますから、
 余計に躓きやすくなってしまうことになる。
 つまり、自分を責めたってなんにも始まらないわけです。


 なんだってそうです。

 過失や問題があったとして、自分や誰かを責めても事態は変わらないのです。
 真に大事なのは問題を解決したり責任を取ることで、
 人を責めるのはいつだって出来る
わけです。
 逆に言えば、人を責めなくたって問題は解決できるし、むしろ精神的なロスは少なかったりもするのです。

 「他人や自分を責めること」と「問題を解決すること」、
 この両者を混同してしまうと、いろんな人の元気を奪うことにもなりかねません。
 というのも、責められた本人はもちろん、責めているほうも気分は良くないハズですし、
 あるいはまた、悪者退治に明け暮れて問題が解決しないと、それで困る人だって出てくるからです。


 「〇〇が悪い」というのは簡単ですし、批判の一つでもしていれば、誰がしゃべっても最もらしく聞こえます。
 しかし、人を得意気に責めておいて解決策は野ざらし、
 こんなことでは、誰も幸せにはなりません。
 昔のある偉人が「批判の達人は擁護の達人でなければいけない」というような名言を残していますが、
 「悪者探し」だけに躍起になるようなことは、本当になんの生産性もないのです。


 自分を責めたり、人を責めるような場合、
 あたかも責める側が成人君子のように思えるかもしれませんが、
 実際には、誰かを責めるのではなく問題を解決していく人のほうが、成人君子に見られるのです。


 どうやら人というのは、あまり責めないほうがよい方向にいくようですね。

根津神社・文京つつじ祭り

2011年04月29日 07時20分16秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 先日、文京区の根津に鎮座する、根津神社の文京つつじ祭りに行ってきました。

 根津神社は風格を感じる神社ながら地元の方々から親しまれているようで、
 多くの人が参拝や観覧に訪れていました。
 さすがはつつじの名所、色とりどりのつつじがたくさん咲いており、
 目を楽しませてくれます。
 つつじは街路樹としてポピュラーですが、こうもカラフルにたくさん咲いていると、
 見事!の一言に尽きますよね。


 お祭りは花の見頃が終わる5月5日、子供の日まで。
 お近くの方は、お出かけになってみてはいかがでしょうか!?

つなげよう、日本。

2011年04月29日 06時32分40秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 今日は東北新幹線が東京と新青森の間、つまり全線で運転を再開します。
 これで鹿児島中央から新青森まで、新幹線で繋がることになります。

 東日本大震災にも負けず、復旧に携わった方々には頭が下がります。

 強いぞ、日本。
 日本復興の兆しになればと思っています。

ポイント募金で東日本大震災復興支援!