
桜の絨毯と翡翠(東京都台東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「人徳」という言葉があります。
要は「人格が秀でて、優れている」という意味で使われるわけですが、
ちょっとこの「人徳」というものについて、考えてみましょう。
「人格がよい」というのは簡単ですが、
世の中は広いもので、「性格を作って見せている」とか「善意を装って相手の無防備さを突く」といった、
「見た目だけはよい人」がいます。
もちろんそれで人が助かればそれでよいのかもしれませんが、
こういう人を「人徳がある」とは言いませんよね。
あるいは、「よいことをしているんだけど、なかなか良く見てもらえない」ということもあります。
このように、「人格」というものの評価、あるいは「人徳があるかないか」の判断は、
なかなか簡単にはできないものです。
「人徳」というのは、実は短い期間では判断がつかないものではないか?と私は思っています。
「人徳」というのは「本人の意図を越えたところでの、人間性のバロメータ」だと思うのです。
同じように同じことをやっている、具体的には
・挨拶を欠かさない
・人の力になってあげている
・思いやりがある
・気が利く
・礼儀正しい
などということをしていても、全員が同じ印象になるとは限りませんよね。
あいさつ一つ取っても、笑顔で小気味よくハキハキと、それでいて丁寧にやっているような人は、
だいたい印象がよい。
しかし、その印象のよさを出すためには、普段から立ち居振る舞いを磨いておく必要があります。
そしてまた、印象をよくするために気を配っているような人は、
挨拶以外のことも、同じ意識でやっているもの。
そういう人がいると、一挙手一投足の節々から感じの良さが漏れ伝わってきて、
こちらまで気分が良くなるというわけです。
この「何気ない言動や立ち居振る舞いににじみ出る印象」というのが、人徳というのものではないでしょうか!?
「人徳」とか言うとたまに宗教の話と混同する人がいますが、
なんのことはない、日本には昔から「徳」という文化があるのです。
「どうせそんなもの」と、「人徳」という考え方を粗末にした瞬間から、
誠実に接してくれる人は減りますし、人が去っていきます。
逆に、具体的な効果に結び付くかどうかはさておき、
しっかりと「人徳」を磨いて積んでいれば、
そう簡単に人は離れていきません。
「人徳」という概念を理解するほど、人として誠実であろうと思えるもの。
「人徳」を大切にしていきましょう。