
ソメイヨシノ(東京都中野区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「謙虚は美徳」と言われます。
それはそうです。
会うたびに自慢されたり高慢な態度を取られては、
「私が下です」と腹を見せる(振りをする)まで相手のペースに付き合う必要があるからです。
それなら、立ててくれているほうがまだ付き合いやすいというものです。
しかし、「過ぎたるは及ばざるが如し」で、
謙虚や謙遜を通り超して、人前でも本気で自分を攻撃している人がいます。
「私はダメダメな人間ですから、ええ…」
「とてもあなたのような素晴らしい人には適わないです、私はまだまだです」
こんなことを言われて、不愉快さが残るのは、一体なぜでしょうか!?
答えは、視線が自分の方にしか向いていないからです。
見た目は人に話し掛けていても、
話の中には「自分は…」という私情が必ず入る。
自分以外のものに対して自分の意見を言うのならまだしも、
「自分がどうしようもなくて苦しんでいます」という自分に対することばかり話していては、どうなってしまうでしょうか。
「なんのためにコミュニケーションを取っているのですか、聞き役になるためにいるんじゃないですよ!」と返されてしまうのは、
もう目に見えていますよね。
意訳や要約をすれば「自分以外のものがうらやましいです、どうしたら自分は輝けるでしょうか?」と暗に聞くような言葉ばかり投げつけられては、
誰だってくたびれてしまいます。
しかも、ハッキリそう言わないで、暗に同情まで求めている分、
良心をとがめられ、突き放すのが余計に難しく、また余計にタチが悪いです。
本当は誰だって人の力になって、ちやほやされたり活躍をしたいハズです。
しかし、それに挫折してしまった。
挫折感が大きければこそ、傷を癒すのも大変ですし、立ち上がるのが辛いのもよくわかります。
だいたい、心が「捻挫」してしまっているような人に、
「前向き一本で行けないあなたは」と言ったところで、
「どうせ私は…」と居直られ、余計にふさぎ込むこと請け合いです。
本当は、誰もが成長の途上にあるのです。
完璧な人間はいないからです。
自分がどの位置にいるかは関係ありません。
ただし、その姿勢が見られているのです。
40%出来上がっている人が努力するのと、
90%出来上がっている人が怠惰を働いているのでは、
本来の出来に関係なく、前者に好感や実力を認めるものです。
自分を攻撃するのは自由だし、
至らないことは素直に認める態度も、人と上手くやるためには欠かせません。
しかし、いつだって至らなさを克服できるのに、
それを放置していることこそが、
本人の出来とは関係なく一番の問題になるのです。
心が「捻挫」しているほど、
生産的に考えるだけでも立ち直るきっかけになります。
頑張るのではなく、ちょっと視点を変えてみる。
それだけのことです。