青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

「謝罪」の相場感覚。

2011年04月23日 22時59分05秒 | 青裸々日記。
小金井公園の芝桜(東京都小金井市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 悪いことをしたら謝る。
 人に迷惑をかけたら、責任を取る。
 間違えがあったら改める。

 こんなことは言うまでもないですよね。
 物心が付いた時からずーっと親から言われている、
 人として当たり前の態度です。
 しかし、「当たり前のことを当たり前にやる」のが難しいのも、また事実。
 人は完璧ではありませんから全て教科書通りにはできませんし、
 だからこそ、許し合うことができたりもするのです。


 さて。

 それなりに罪悪感があれば、それなりに謝罪し責任を取るわけですが、
 この「それなりに」というのが難しいのです。
 というのも、「謝罪」というのは一つのカタルシス(浄化)だからです。

 たとえば、誰かを庇って(かばって)いるつもりが、かえって余計なお世話になってしまったとします。
 当然、悪気があればこそ、あるいは相手を大切に思えばこそ、
 しっかり謝って誠意を示したくもなるもの。
 しかし、その傷つけてしまった相手と二度と会えないとしたら、どうでしょうか!?
 そう、どこかで癒されるまで、心の奥でずっと罪悪感が留まり続けるわけです。
 だからこそ、「謝罪」というのは精神的コストがかかる半面、
 罪悪感を消化できるという、素晴らしい見返りもあるのです。


 そこで、です。

 「いち早く罪悪感から逃れたい」と、事あるごとに大袈裟に謝る人がいます。
 もちろん、「悪いことを謝る」という態度は誉められたものではありますが、
 残念ながら、こういう態度は人を遠ざけやすいのです。

 考えてもみて下さい。
 ちょっと手がかすった位のことで、いちいち土下座をされ、菓子折りを持ってこられたら、
 果たしてよい気持ちがするものでしょうか!?
 あざとい人なら最初は「おいしい話」と思うかもしれませんが、
 結局、鬱陶しくなるのは時間の問題ですよね。

 実は、謝罪というのは大袈裟であればあるほど、
 周りに罪悪感を覚えさせてしまうのです。
 なぜなら、「これこれのことをしたら、この位は謝ってね」という、
 ともすれば価値観の押し付けになってしまう
からです。


 そうならないためには、周囲の相場感覚を知ること、言い換えれば周りと歩調を合わせることです。
 どれくらいだと甘くて、どれくらいだとやり過ぎなのかは、その人や土地柄、文化、時代にも左右されます。
 つまり、謝罪の適切な度合いというのは、結局は相場感覚を養うしかないのです。

 謝罪は人間関係において、大切な礼儀であり、ツールでもあります。
 せっかく謝罪するのであれば、相手に気をつかわせないことが大切です。


 「謝罪」というのは、やりようによっては毒にも薬にもなるのです。

必需品

2011年04月23日 19時19分37秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 私はバッグに必ず、あるものを入れてます。
 それは、「本」なんですね。

 私も人間ですから、くたびれる日や気落ちする日、ちょっとゆったりしたい日もあるわけです。
 そんな時に本を読んだり、「終わったら本を読もう」と思うだけで、
 結構、気持ちも変わったりするんです。


 もちろん、これは本に限らずウェブサイトやブログもそう。
 私のブログにも、誰かを励ます記事の一つでもあればと思っています。

中目黒

2011年04月23日 07時15分21秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 昨日、あまりにも左目に刺すような痛みがあったので、
 遅くまでやっている眼科に行ってきたんですよ。
 そしたら、お医者さんが「もう異物はないけれど、なんか小さいゴミが入って、黒目のちょうど真ん中あたりを傷つけたみたいですよ」って。

 昼前から痛みだして、
 流しても流しても痛かったので、
 ようやく謎がとけた!とかなりホッとしました。
 以上、「中目黒」のお話でした。



 …うん、略しすぎだ(笑)

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