菜の花(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「困ったことがあったら、いつでも相談してください」。
心細い時ほど、こんな言葉にありがたみを感じるものです。
そしてまた、相手とはよい関係でいようと思いたくなるわけです。
さて、実際に困ったことが起きたとしましょう。
時と場合によっては、「ああ、どうしよう、大変だよう」と慌てふためき、頭が混乱してしまうこともある。
そんな時に「社交辞令かもしれないけど、助けを借りてみよう」と、
「私を頼ってください」と言ってくれた人を思いだし、力を貸してもらうよう、お願いしたとします。
…そこで。
たとえ社交辞令で言ったにせよ、口にした側の態度が問われてくるわけです。
具体的には、
・知らんぷりを決め込む
・相手の問題もほどほどに、自分を崇め奉ってもらう
・立場が強いのをよいことに、相手に付け込む
・出来る範囲で相談に乗る
・全力で肩入れする
など、いろいろと選択肢があるわけです。
このうちのどれが酷いか、真似したくないかは、
程度の差こそあれ、だいたいハッキリとしていますよね。
しかし、これは客観的に見ているから言えることなんですね。
日頃から「素敵な人になりたい」と言って努力する姿勢は、とても素晴らしいものです。
ただし、努力しているからには、なんらかの目に見える成果を手に入れて、
「成長している実感」が欲しくなるのが、人情というものです。
一方、「優しい人だと言ってもらう」とか「思いやりがある」と言ってもらうことは、
「人間的に出来上がっている」と思える証拠になりやすい。
そこで、無意識的にそう言われやすそうなシーンを選んで、
実際に相手が助かっているかは別としてかっこいい言葉やいい人そうに映る態度を取ってしまう、
「素敵な人」という理想が行き過ぎると、こんな恥ずかしいことをやらかしてしまいかねないんです。
こんな話をすると、「世のため人のためと言えど、そんなに純粋に美しいことが出来るわけないじゃないか!」とか、
「偽善でやったことでも、人が助かるならやったほうがいいでしょ!」という文句が出てしまいそうですが、
本当はその通りなんですね(笑)
むしろ、私が言いたいのは「よいことであれば、気持ちが偽物でも積極的にやったほうがよい」ということ。
本心から出来たら万々歳、
見栄から出たことなら、責任は重いかもしれないが見栄も良くなるし誰かの力になるから、
やっぱりしたほうがよい。
真に問題なのは、「見栄のため」ということに自分で気付かないことです。
「人に評価されたいから」
「自分に酔いたいから」
押し付けでなければ、大いに結構です。
前後の見境なく無節操にものを言うからおかしくなるわけで、
自分でそれが分かっていればこそ、余計なものを背負うこともなくなるのです。
賢い欲張りになりましょう。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「困ったことがあったら、いつでも相談してください」。
心細い時ほど、こんな言葉にありがたみを感じるものです。
そしてまた、相手とはよい関係でいようと思いたくなるわけです。
さて、実際に困ったことが起きたとしましょう。
時と場合によっては、「ああ、どうしよう、大変だよう」と慌てふためき、頭が混乱してしまうこともある。
そんな時に「社交辞令かもしれないけど、助けを借りてみよう」と、
「私を頼ってください」と言ってくれた人を思いだし、力を貸してもらうよう、お願いしたとします。
…そこで。
たとえ社交辞令で言ったにせよ、口にした側の態度が問われてくるわけです。
具体的には、
・知らんぷりを決め込む
・相手の問題もほどほどに、自分を崇め奉ってもらう
・立場が強いのをよいことに、相手に付け込む
・出来る範囲で相談に乗る
・全力で肩入れする
など、いろいろと選択肢があるわけです。
このうちのどれが酷いか、真似したくないかは、
程度の差こそあれ、だいたいハッキリとしていますよね。
しかし、これは客観的に見ているから言えることなんですね。
日頃から「素敵な人になりたい」と言って努力する姿勢は、とても素晴らしいものです。
ただし、努力しているからには、なんらかの目に見える成果を手に入れて、
「成長している実感」が欲しくなるのが、人情というものです。
一方、「優しい人だと言ってもらう」とか「思いやりがある」と言ってもらうことは、
「人間的に出来上がっている」と思える証拠になりやすい。
そこで、無意識的にそう言われやすそうなシーンを選んで、
実際に相手が助かっているかは別としてかっこいい言葉やいい人そうに映る態度を取ってしまう、
「素敵な人」という理想が行き過ぎると、こんな恥ずかしいことをやらかしてしまいかねないんです。
こんな話をすると、「世のため人のためと言えど、そんなに純粋に美しいことが出来るわけないじゃないか!」とか、
「偽善でやったことでも、人が助かるならやったほうがいいでしょ!」という文句が出てしまいそうですが、
本当はその通りなんですね(笑)
むしろ、私が言いたいのは「よいことであれば、気持ちが偽物でも積極的にやったほうがよい」ということ。
本心から出来たら万々歳、
見栄から出たことなら、責任は重いかもしれないが見栄も良くなるし誰かの力になるから、
やっぱりしたほうがよい。
真に問題なのは、「見栄のため」ということに自分で気付かないことです。
「人に評価されたいから」
「自分に酔いたいから」
押し付けでなければ、大いに結構です。
前後の見境なく無節操にものを言うからおかしくなるわけで、
自分でそれが分かっていればこそ、余計なものを背負うこともなくなるのです。
賢い欲張りになりましょう。