青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

凶器

2009年03月29日 15時54分57秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 以前、
 「ナイフなんか規制してもムダだよー」って、
 書いたことがありました。
 理由は、「どんなものであれ、危ない考えの人が使えば、
 たちまち凶器に変貌してしまうから」です。


 この場を借りて反省の意を表したいと思います。

 私は、メールを凶器として使ってしまいました。
 悪意から始まった行為ではないとはいえ、
 結果的に、受け取る側の立場を考えずに送信を繰り返してしまった。
 不眠なり体調不良なり、私の思い込みの激しさなり、
 たくさん要因はあるものの、
 人を傷つけてしまった以上、言い訳が許されるはずがありません。


 便利なものほど、依存するほどにその「鋭利さ」が強くなるものです。


 深く反省しています。
 この反省を生かし、これからを過ごしていこうと思います。

こんなマナーがあります。

2009年03月27日 22時33分48秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 意外かもしれませんが、
 囲碁のアマチュア初段を持っています。
 負けず嫌いの塊なのか、
 中学校で囲碁を習って以来、
 同級生に負けないぞ!とばかりに頑張って掴んだ記憶があります。


 さて、そんな囲碁も、
 ボードゲームですから勝ち負けがあります。
 そして、真剣にやればやるほど、
 そのゲームへの思い入れが強くなるわけです。


 …と、ここで質問。

 あなたの側から見て、と考えてくださいね。
 序盤は圧倒的に勝ち。
 中盤は押され気味。
 そして、勝敗を分ける場所が、複雑に絡み合います。

 ところが、あなたは判断ミスをします。
 ここで負けたらもうほとんど勝てない!という大切な争いに、
 負けてしまいます。


 ここで、です。
 あなたはどちらを選びますか??

 A.勝てる見込みがある以上、最後まで打つ。
 B.潔く諦めて、相手と感想を出し合って勉強する。


 まぁ、ありがちな答えとしては「A.最後の最後まで!」でしょうが、
 実は、マナーとしては、「B.諦めて反省・勉強する」が正解なんです!!


 これは野球やサッカーでは絶対にありえない発想だと思います。
 当然です。
 同じゲームはゲームでも、
 ゲームとしての性質が全く違うからなんです。

 囲碁というゲームは、
 ある程度までゲームが進んでくると、
 野球やサッカーのようにゲームそのものを覆す要因が圧倒的に少なくなるのです。

 だから、劣勢を察した以上、
 ゲームを続けることは、相手の貴重な時間を奪うというとっても失礼な行為、とされるのです。


 概してスポーツには有り得ない考え方だけに、
 このお話はスポーツが好きな人にはわかりにくいし、
 それだけに、非常に大きな感心を呼ぶことなんですね。



 文面からは推測しずらいでしょうが、
 私が囲碁を打つと、たとえ格上の相手であれ非常に厳しい、攻撃的な戦略で戦います。


 しかし。
 勝ち気だし、実際に勝ちたいと思うのは当然としても、
 実際には負けてしまうということもよくあります。
 劣勢が決まり、泣く泣く降参(投了)することだってあります。
 これもマナーだからです。

 でも、「負け=みっともない」ではありません。
 本気で戦っていれば、どんなに負けても清々しさしか残りません。
 だから、未練なく潔く降参も出来るし、
 次こそ勝ちたいと純粋に思えるわけです。



 もちろん、粘り勝ちに持ち込めることは持ち込んだほうがいい。
 でも、粘るだけで良くならないことだってあります。

 どちらかの判断をするのはあなたです。
 「粘り勝ち」が「無い物ねだり」なのかどうか。
 囲碁の話から始めましたが、
 世の中のあらゆることは、
 どんな時だって、それが問われています。

笑顔の手本

2009年03月26日 22時19分13秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 昨晩から睡眠がコントロールできないのも重なって、
 きょうはオンもオフも、頭痛と吐き気、目眩との戦いに終始した感じでした。

 もちろん、会う人みんな、
 「なんかあったのか?」と心配してくれるワケですが…、
 要因が多過ぎるし、
 言ったところでなんの解決にもならないので押し黙ってました
 (ここをご覧の皆さんには一部だけ。
  体を酷使し過ぎた事。
  人を傷つけてしまった事。
  公私ともミスが多過ぎる事。
  「自分のバカヤロー!」モードなんです)。


 ただ、ここで終わるような私ではありません。
 …というか、終われない理由があるのですね。

 私は普段、落ち込んだ人を見ると、
 そういう人には全て、こう言っています。



 「神様は笑顔がいい人から助けてくれるんだよ」



 って。

 私はクリスチャンですが、
 別にこれはキリスト教に由来する言葉ではありません
 (聖書の精神に通じるものはありますが…それは長くなるので)。


 現在進行形で私はそんな状態なんですが、
 普段から人に言っただけ、
 私も、また笑顔をどれだけ出せるかがまさに試されているわけです。



 きょうは頑張れました。
 私はわかりやすい人間なので、もしかしたらわかりやすい痛々しさが出てしまうかもしれません。


 でも、笑い続けます。
 決して関係ない人の元気を奪ってしまわないようにします。
 これは私が励ましてきた人たちとの無言の約束です。

バカはバカなりに、ね!

2009年03月26日 11時12分22秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 Q、「「かなりの~~」を使って、短文を作りなさい」
 A、「バカにはバカなりのやり方がある」

 これ、有名ですかねえ?
 ネットではやった「言葉遊び」なんですが、
 「バカにはバカなりの~」というくだりには、
 深い共感を覚えます。


 私は友人から、
 「単純すぎる。もっと悪くなれ」と言われたかと思えば、
 「計算高すぎる。もう少し素直になれ」とも言われます。
 要するに、考えに偏りがある部分があるわけです。


 でも、私はそれでしかたないと思っています。
 蛙の子は蛙。
 無駄を沢山しようが、
 少し騙されようが、
 それが自分を変えるきっかけにはなり得ない、
 変えようとしても変わらない部分って、
 絶対にあると思うんです。
 もちろん相手のことを考え、優しさを持った行動をする必要はあるでしょうが、
 自分を偽らずやっていくことが大切なのだと思っています。


 人からバカと言われようが、
 それが直ちに自分を全否定する理由にはなりません。
 バカにしか出来ないやり方、
 バカにしか出来ない表現、
 こんなものは、逆に言えば天才にだって出来ないのです。


 野球のピッチャーは、あまりにも制球が良すぎると打たれると言います。
 バカはバカなりに、
 ビーンボールを沢山ばらまくのはしかたないとしても、
 お互い一生懸命に生きていこうではありませんか!!

アドバルーン発言

2009年03月26日 02時08分25秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 まだ投稿します。
 目が冴えて冴えて…。

 というワケで、ちょっと感情的なお話をさせて下さい。



 あのー、ショックなことがありまして…。
 マァ結局、人を見る目がなかった自分が悪いんですが、
 信頼していた人に、内緒の話をばらされてしまったんですょ…(><)ゞ

 どうもおかしいナ、と思いました。


 しかし。
 そんな程度では負けません。
 あのー、これ、同じことされてる方がいらっしゃると思うので、
 参考にして頂ければ。


 ばらされてしまった場合、
 普通はやみくもになって隠すか、開き直るかしてしまいがちですが、
 ここに盲点があります。
 頭が混乱しつつも…、
 隙を突くかのように、「平然を装う」のが正解です。

 だから、例えば内緒にしていた話が「隠れ肥満」だったとします。
 周りは当然、知っている。
 そこで下手にカミングアウトしては負けになりますから、
 そんな時に、「もっと栄養採んなきゃ!!」と言ってみたりするんです。
 と思ったら、「やっぱ痩せないとね。恋人に喜んで欲しいし」とか、
 少しホンネも交ぜてみたりします。


 …すると、どうでしょう。
 ばらした側を惑わすことができる、
 こんな可能性が浮上してきます。


 だから、人の秘密はいたずらにばらすことは、
 得策とは言えないんですよ?

「ロックマン」って?

2009年03月26日 01時31分29秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 皆さん、「ロックマン」ってご存知ですか?
 そう、主にファミコン時代に売り上げを伸ばした有名なゲームで、
 最近では続編が出る等、ファン層やファンの熱は凄いものがあります。


 この「ロックマン」、
 実は心理学用語だったりもするんですね。

 ゲームの「ロックマン」は音楽のRockが由来らしいのですが、
 心理学で言う「ロックマン」は、
 直訳の通り、「岩男」という意味になります。
 じゃあ、何が「岩」なのか。
 それは、「心を岩のように閉ざしてしまっている」ことなんです。
 さらに、主に男性に多いとかなんとか、ということで、
 「ロックマン」ということになるようです。


 さて。
 人間の精神を計る基準に、
 「自立性」というのがあります。
 大きく分けて、
 ・超依存
 ・依存
 ・自立
 ・超自立
 という4つがあるんですが、
 「ロックマン」は「超自立」という範囲に当てはまります。

 「超自立」とは、
 ・自分のことは全て自分でやってのける。
 ・絶対に人の助けを借りない。人の助けを借りたら負けかなと思っている。
 ・人に与えるのは好きだが、受け取るのは大嫌い。
 ・弱みや悩みがあっても、全て抱え込んでしまう。人の悩みは喜んで聞くのに…
 とこんな感じです。


 で、衝撃を受けたのが、
 ある心理テストみたいなのをやったら、
 私はまさしく「ロックマン」傾向があったようで、
 「もっと人からの愛情を受け取りましょう。
  人からの愛情の感度も弱くなっています」
 ……って。

 自覚がないだけによくわからないわけですが、
 (というか、「ロックマン」な人は自覚に乏しいらしいんですが、)
 うーん、解説で理解できたのは以下の点でした。

 「人からの愛情を拒否/遠慮した場合、
  逆にその人の愛情を出す機会を奪ったということで、
  その人を傷つけてしまう」ということ。
 たしかに、それには同意できます。


 私は人に厳しい面があるし、
 自意識過剰の塊になっちゃうことだってあるので、
 私が「ロックマン」かどうかはわかりません。

 しかし、「答えは思考の外にある」という言葉もあるように、
 本当の自分というか、
 客観的に見た自分の姿や態度がわかる瞬間、
 「ロックマン」かどうかが判断できる瞬間が来るのかもしれません。


 結局、知識レベルの話で終わってしまうわけですが、
 身近にそんな人がいたら、
 ぜひそんな人の心を温かくしてあげて欲しいと思います。

「大器晩成型」

2009年03月26日 01時06分09秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 最近、高校時代の話が多いのですが、
 それに関連して。


 はっきり覚えているんです。

 高校一年生の時。
 「君は大器晩成型の人だから、焦らなくてもいい」と言われました。
 担任の先生の言葉です。

 私自身、高校の時は勉強したわりに成績が優れなかったので、
 よく落ち込んだわけです。
 しかし、担任の先生はしっかり見ていてくれたんですね。
 先生の言葉を続けると、
 「君は陸上部だけど、誰から言われなくても自主的に黙々と朝練をやったりする。
  君みたいな人は貴重だよ」
 って。


 考えてみれば、私はそんなタイプの人間なのかもしれません。
 作曲を始めて6年目で、ようやく人から好印象を持ってもらったり、
 顔のコンプレックスを軽減するために毎日ずっと欠かさずトレーニングをしたり。
 あと、人間関係なんかでもそうです。
 私はじっくり付き合っていくタイプの人なので、
 どんな相手でも温めて温めて、
 そしてゆっくり内面を知ってもらったり、仲良くなったり。

 要は、私は
 「すぐ茹で上がるそば」ではなく、
 「じっくり茹でていくうどん」みたいなものなんです。


 私自身、そんな自分に嫌気がさすことがあります。
 現に、表には出さないものの気分の優れない日が多いので、
 実は枕を濡らしたりという日がないではない位…。

 でも。
 本物の人間、本物の力、本物の愛情、本物の優しさ、
 こんなものを持った人間になれる可能性は、
 やっぱり私みたいな「大器晩成型」なのかなァ、
 そう思ったりもします。


 世の中は広いですから、
 私みたいな苦しさを抱いている人は多いと思います。
 でも、いいんです。
 私と一緒に、一歩ずつ踏み締めて、
 みんなで「大器晩成」しましょう。


 苦しみが優しさに変わる日がきますように!!

おめでとう!!

2009年03月25日 19時37分44秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 3月25日。
 3歳から付き合っている友達の誕生日です。

 褒め殺しにするつもりはありませんが、
 生きる優しさを知った、
 それでいて強さも感じさせてくれる、
 彼にはそんな印象があります。


 やっぱり長い付き合いって、
 それだけで宝物だと思います。

 これからも一緒に頑張ろうな!!!

太陽になりたいです。

2009年03月25日 19時33分53秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 サイクリングしてました。
 100km。
 土砂降りとは言わずとも、
 全身を打つような雨と風に立ち向かい続けました。

 そんな中。


 まず、白い鳩をたくさん見て、
 しかもそのあとで、鳩が天気を予言したかのように太陽が出たんです!!

 太陽って、いつも当たり前に出ているようでいて、
 でも雨の日にふと存在が恋しくなったりして、
 そんな時に太陽のありがたみを実感しますよね。



 …と書いていて。
 私も誰かに太陽と感じてもらえるような存在になれればなぁ、
 そんな風に思いました。

和顔愛語

2009年03月24日 11時10分37秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 読めますかねぇ?
 「和顔愛語」と書いて、
 「わけんあいご」と言います。
 どうやら仏教由来の言葉らしいです。

 漢字から意味を想像できるかもしれませんが、
 「和顔」は「笑顔」、
 「愛語」は「あなたを大切に思っていますよと伝える言葉」、
 こういうことらしいです。


 人間関係を長く大切に出来る人は、結局は
 ・ニコッと笑い、
 ・思いやりのある言葉を出す、
 しかないという考え方には全面的に共感・同意します。


 そして、私は、
 こういう「大切な人を大切にする」意味なりはわかるんですが、
 「いつも和顔愛語ができているか」という厳しい視点は、
 自分に向けていたいと思うんですね。


 「もう少しアンタの優しさを見せてくれ!」、
 「優しさが足りないぞ!!」という方がいらっしゃっれば、
 リクエスト下さい。
 スマイルなら喜んでしますんで!!

「好かれる」より「嫌われない」を!!

2009年03月23日 21時56分41秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 「私はねぇ、人に好かれるということはあんまり気にしたことがないもので…」と言っている人がいます。
 支持率に苦しむ麻生総理の言葉です
 (ちなみに私はどこの支持者でもありませんが、
  実績に対する支持率の低さが気になっています)。


 で、まあ、誰が話したかはともかく、
 この言葉、かなり共感できます。
 聞いた瞬間、私と同じ考えだなぁと思いました。

 私自身、
 「好かれる」、
 「好意を持ってもらう」
 という方向よりも、
 「嫌われてないか」、
 「私にはモッタイナイんじゃないか」、
 「迷惑になっていないか」、
 こんな考えでいることが多いんですね。
 もちろん、そう考えていても、
 現実には嫌われてしまったり、
 迷惑がられてしまうこともあります。

 そのかわり、勘違いをすることも少ない、
 これもまた、真実なんですね。
 「可哀相だから付き合ってあげよう」というつもりの人に、
 「あぁ、好意があるんだな」と思い込んだり、
 「とりあえず嫌いだけど空気を読んで笑顔を振り撒いておこう」という人に、
 やっぱり「あぁ、綺麗な笑顔をくれたんだな」と思ったり、
 そんな勘違いはまず避けて通れます。
 また、「空気を読んでのことだな」と察して、
 言葉は悪いのですがその意図を見抜いた上で、
 こちらも空気を壊さない応じ方をすることもあります。



 私は好意なんて別に一方通行でいいと思っているんです。
 そのほうが精神衛生上、かなり良かったりする。

 もちろん人からの好意を跳ね返すばかりなのは問題があります(後日お話しします)。


 しかし、
 「人に好かれなくてもいい」というちょっとした覚悟の大切さ、
 こんな考え方も頭に入れておいて、
 損はないかなと思います。

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