青裸々日記 Aorara Diary

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「そういう人なんだ」。

2013年04月18日 05時12分18秒 | 青裸々日記。
八重桜の花(東京都台東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「常識」という言葉には、ソフトな強迫観念があるものです。

 「知っていて当たり前」とか、「一人前になるには必須」、「できないことはありえない」、
 こういうプレッシャーを、「常識」という言葉から受けたりはしないでしょうか。


 もちろん、お互い人間同士ですから、「これくらいだとこうなるかな」という感覚があればこそ、
 相手の気持ちを読んだり、先行きを考えて、より適切な行動ができるわけですよね。
 しかし、「これくらいだとこうなるかな」という感覚そのものこそ、人によって違うものでもあるのです。
 なぜなら、周りにいる人、本人の感じ方、体質や習慣など、
 つまり、育ったり過ごしてきた環境だって、一人ひとり違っていて当たり前なのです
 それを、結局は一人ひとりが持つ「常識」が違うのに、「常識」という言葉ひとつでバッサリと人を裁くようでは、
 結局、どんな人間関係も立ち行かなくなってしまいます。


 相手とて、必ずしも悪気があって、こちらの理解できないことをしてくるのではありません。
 相手の中では、その「理解できないやり方や考え方」が、「常識」なのです。

 つまり、「そういう人」なんです。


 固い話になるかもしれませんが、人間関係では、お互いを尊重することが不可欠です。
 性格ではなく、まるごと相手を「そういう人」だと認めるのです。


 すると、不思議な感覚がしてきます。

 自分がラクになるのです。



 どういうカラクリかというと、
 「相手は相手」と、人を認めた分、「自分は自分」と、自分を許し、認めることができるからです。


 「常識」でも、「~~すべき」という考え方でもいいですが、
 縛られた状態には、自由がありません。
 そこを、お互いちょっと思いやりを持って、「そういう考え方もあるよね」、「そんな時だってあっていいかな」と、
 気持ちをフッと緩める。
 そうすると、批判的な見方ではなく、「この人が生き生きする方法や環境ってなんだろう?」と、
 建設的、肯定的な見方が出来るようになるのです。


 どうしても変えたい相手や性格も、まるごと変えようとするのは、尊重や尊敬から外れた考え方であり、
 上手くやる前に、人間関係そのものを破綻させてしまいます。
 もし困った時は、「常識、常識」と言って批判的になったり変えようとするのではなく、
 「長所を付け加える」ぐらいに考えると、開ける道も、あるのではないでしょうか?

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