青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

「楽しいこと」が、正しいこと。

2013年03月17日 22時44分07秒 | 青裸々日記。
松田町桜まつりから(神奈川県松田町)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 何事も、「正しい」に越したことはありません。
 まさか、わざわざ間違えた方法や考え方をする必要はないし、
 何事も、まかり間違ったまま進んだりしてしまうと、たいていは不利を強いられたり、無理が出たりもしてしまうもの。
 だから、正しいことは、積極的に選んでいくに越したことはないのです。



 しかし、です。

 「それじゃあ、正しければなんでもいいんですか?」と言えば、そうでもないのが現実だったりもするのです。


 たとえば、待ち合わせの時間に遅れてしまった人がいるとします。
 待ち合わせは、まさか破ったほうが正しい…なんて、バカなことはありませんよね。
 きちんと間に合わせるから、折り目正しく事が進むのです。
 しかし、「いかに自分が正しいか」を主張することは、「いかに相手や周りが間違っているか」を主張することと全く同じなのですね。
 いくら落ち度があれど、自分が正しくないということをわざわざ言われて、いい気分がする人がいるわけがありません。
 だから、待ち合わせに遅れてしまった人に「いかに待ち合わせを守らないことが好ましくないか」を説いたり、罰を与えたとしても、
 その場の空気が良くなるわけではないし、増して、そこで人間関係が改善していく可能性も少ないのです。
 それならば、多少は待つことが嫌だったとしても、
 つまらないことで自分を曲げないことで、そこにある関係をもっと嫌なしてしまうより、
 何倍もいいと思いませんか。
 相手に悪気がないなら、尚更です。


 正しさにこだわりたいなら、そうすればいい。
 でも、正しさを守ることで得られるものって、一体なんなのでしょうか?
 それに、間違えなりを決めることは、急ぐばかりが全てではないとも思いませんか。



 正しさを守ることは大切ですし、人の落ち度を責めるのは簡単です。
 しかし、それで失われるものがないかといえば、そうでもないのですね。



 人間関係は、どこに視点を当てるかが肝要です
 「正しい決まりごと」なら誰にでもわかりますが、
 「正しい人間関係」=「楽しい感情が沸き上がる関係」というのが、現実のところでなのではないでしょうか

 それに、いくら正しくたって、納得しないまま、頭でっかちで嫌々でやっても、
 そこにある関係は、良くはならない気がするのです



 楽しむことは、悪いことではありません。
 むしろ、楽しまないことのほうが、悪くなることもあるのです。

クロッカス

2013年03月17日 07時23分15秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 ようやくクロッカスを撮れました。


 クロッカスはカラフルで、いつか撮りたかったのですが、
 なかなか周りに咲いている場所がなく・・。
 江東区の木場公園で咲いているのを見つけられて、嬉しかったです。


 二年越しに撮れて、なんだか今年は違うぞという感じがしました。

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