青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
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杓子定規。

2013年03月08日 23時03分01秒 | 青裸々日記。
山茶花の花(東京都墨田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「人間は自分に甘いものだ」との前提に立った戒めは、数多くあるものです。
 もちろん、自分に甘くしてばかりでは、人様に迷惑をかけてしまうことも多くなりますから、
 自分を律して、気持ち良くスッキリ生きていた方がいい、
 だからこそ、格言なり規律なりが必要なんだという話になるわけです。



 しかし。

 この「格言」などというもの、実はなかなかのくせ者だったりするのです。

 「自分を甘やかさない」という意味での格言は、たしかに正論を端的に言うようなもので、説得力もあります。
 しかし、どんな規則や法則にも、例外はあるのも事実だったりするものです。


 たとえば、「してあげたことは忘れて、自分がしてもらったことはきちんと感謝し、記憶にとどめましょう」という話があります。
 たしかに、「してあげたこと」というのは、手間や労力も掛かるし、プライドや自分の思い入れも重ねて考えてしまうぶん、
 どうしても、頭に残りやすいのは事実でしょう。
 そしてまた、「してもらったこと」に関しては、自分の時のように心情や背景を汲むのが難しいわけですから、
 どうしたって、悪気がなくたって、相対的に、頭に残りにくくもなるのです。
 だから、「してあげたことだけは忘れましょうね」と、言われている…という理屈になるのですね。

 しかしこれ、私に言わせれば、忘れないほうがいいことも、ある気がするのです。

 たとえば、心を込めて、何かを手助けしたとします。
 そして、「忘れたほうがいいから」と、手助けしてあげたことは忘れたとします。
 さて、そこで、その相手から「あの時のお礼をさせて下さい」と言われたら…、
 「あれ、そんなことしたっけ?」と返すのが正解とは限らないのです。
 これは極端かもしれませんが、「やったことを忘れた→それほどの思いもこもってない」という解釈をする人もいるわけです。
 だとしたら、せっかくの感謝も無駄になり、相手だって傷つくことにもなりかねません。



 そうなんです。

 いくら好ましいことをやっていても、受け取り方によっては、幸せになれない場合があります。
 反対に、ちょっとマズいことが、正解になる場合だって、この世の中にはたくさんあるのです。
 なぜなら、ものの見方は人それぞれで、角度や価値観で如何様にも変わるからです。



 どんなことでも、あまり決め付けないことです
 どんなに好ましいからといって、一つの物差しだけで考えると、
 柔軟性がなくなり、気持ちが脆くなりかねません。
 だから、正解も何も、ある意味では適当に考えているほうがよいのです。


 正解は、自分で作りましょう。
 たまにそれぐらいの気概を持ったって、罰は当たりませんよ。

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