亀戸天神社・菊まつりから(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「自分の長所を見つめましょう」とする話、耳にしたことはあるでしょうか。
自信をつけたり、悪い面ばかり見てくたびれたりしないために、
「長所」に意識を向けるよう、勧めているわけですよね。
でも、この「長所への意識」って、本当はもっと違うところに意味があるんじゃないかな?と、私は思うんです。
たとえば、手元に100万円あったとします。
そこに、「お腹が空いてしかたない」という人が来たら、
「私はお金を持っているから、このお金で好きなものを食べて下さいな」と言えるわけですよね。
でも、本当は100万円持っているのに、「自分はお金なんか持っていない」と決め付けたら、
目の前にいる人や、手を差し延べれば助けられる人の力にはなれないのです。
だから、「自分には長所なんてない」と思っていると、
ただ自分で勝手にあきらめているだけなのに、人に手を差し延べられない→無力感に襲われるという、
とんでもない悪循環にはまってしまうのです。
「自分の長所を…」というと、ついつい自分本位に感じられてしまう気持ちはわかります。
たしかに、自信を付けたり、自分を否定することを止めるには、
「長所を探す」ことが手っ取り早いからです。
でも。
「長所」の本来の使い道は、人の力になるところにあります。
だから、積極的に、自分が人にしてあげられることを探す態度が、
そのまま長所となり、人の力になり、幸せへと昇華していくのではないでしょうか。
「素敵な笑顔」の人がいるとしたら、それはチヤホヤされるためだけはなく、
人に元気や希望を与えることで、その笑顔にも価値が出てくるというものではないでしょうか。
だから、長所を探すこと終わりにせず、人にしてあげられることを探せば、
必ず開ける道があると思うんです。
自分の力を知れば、人に与えられるものがわかります。
自分を捨てるのは簡単ですが、それで幸せになれなくなってしまう人がいるのです。
だから、自分を卑下したり、おとしめるのは、
自分ではなく、人のために、もうやめにしてみませんか。
どんなに小さな力でも、それで助かる人、喜ぶ人、幸せに感じてくれる人がいるのです。
そこらへんを考えて、もっと自分を大切にしてみませんか。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「自分の長所を見つめましょう」とする話、耳にしたことはあるでしょうか。
自信をつけたり、悪い面ばかり見てくたびれたりしないために、
「長所」に意識を向けるよう、勧めているわけですよね。
でも、この「長所への意識」って、本当はもっと違うところに意味があるんじゃないかな?と、私は思うんです。
たとえば、手元に100万円あったとします。
そこに、「お腹が空いてしかたない」という人が来たら、
「私はお金を持っているから、このお金で好きなものを食べて下さいな」と言えるわけですよね。
でも、本当は100万円持っているのに、「自分はお金なんか持っていない」と決め付けたら、
目の前にいる人や、手を差し延べれば助けられる人の力にはなれないのです。
だから、「自分には長所なんてない」と思っていると、
ただ自分で勝手にあきらめているだけなのに、人に手を差し延べられない→無力感に襲われるという、
とんでもない悪循環にはまってしまうのです。
「自分の長所を…」というと、ついつい自分本位に感じられてしまう気持ちはわかります。
たしかに、自信を付けたり、自分を否定することを止めるには、
「長所を探す」ことが手っ取り早いからです。
でも。
「長所」の本来の使い道は、人の力になるところにあります。
だから、積極的に、自分が人にしてあげられることを探す態度が、
そのまま長所となり、人の力になり、幸せへと昇華していくのではないでしょうか。
「素敵な笑顔」の人がいるとしたら、それはチヤホヤされるためだけはなく、
人に元気や希望を与えることで、その笑顔にも価値が出てくるというものではないでしょうか。
だから、長所を探すこと終わりにせず、人にしてあげられることを探せば、
必ず開ける道があると思うんです。
自分の力を知れば、人に与えられるものがわかります。
自分を捨てるのは簡単ですが、それで幸せになれなくなってしまう人がいるのです。
だから、自分を卑下したり、おとしめるのは、
自分ではなく、人のために、もうやめにしてみませんか。
どんなに小さな力でも、それで助かる人、喜ぶ人、幸せに感じてくれる人がいるのです。
そこらへんを考えて、もっと自分を大切にしてみませんか。