青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

わからなくていいこと。

2012年11月17日 20時17分31秒 | 青裸々日記。
コスモスの花(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 この世の中、「わかっていないことがあってはならない」という強迫観念があるのではないか
 私はそんな気がすることがあります。


 たとえば、「一人前」とか「気配り上手」、「優しすぎる」などと言われる人は、
 ただでさえ知識や感度が際だっているというのに、
 相手の想像が及びもしないところまで考えていたりもするもの。
 人並み外れた人がいれば、やっぱり、そのインパクトゆえに、自分と比べてもしまうでしょう。
 そうすると、「私はあんなふうになれない」とか「世の中、厳しすぎる」と、
 自然体で生きていることに、どこか罪悪感を覚えてもしまいますよね。



 …それが問題なのです。


 誰だって、楽しいこと・利益になることであれば多くを知りたいと思うものだし、
 人の気持ちだって、出来るだけ察してあげたいとも思うでしょう。
 でも、及ばないことだって、ありますよね。
 どんなに頑張っても、自分のキャパシティーを越えたことはできないのです。



 そして、忘れてはいけないことがひとつ。

 私達は、「知らないほうがいいこと」という考え方の重要さを、もう少し考えたほうがいい気がします。


 たとえば、自分の陰口を叩いた人がいるとします。
 でも、自分はその内容を知らない場合、その陰口について、詮索する必要はあるのでしょうか!?
 世の中、完璧な人なんていません。
 だから、悲しい話かもしれませんが、陰口だって、いつ誰にどう叩かれたって、本当は全くおかしくない話なのです。
 それに、本人の前では気分をよくしていたいからこそ、フラストレーションは裏で晴らして、笑顔でもてなそうとする努力なのかもしれない
 そこを、「全部を知らないと!」と詮索するのは、
 つまりは相手に因縁を吹っ掛けているのと何ら変わらないわけです。

 もちろん、「知識」だってそう。
 無理矢理に仕入れた知識があっても、それを使いこなせなかったり、自分が萎縮してなんにもできなくなってしまうなら、
 そんなものは、知らないほうがいいのではないでしょうか!?


 知識や洞察力は、あるに越したことはないのかもしれません
 でも、自分のその知識や洞察力にやり込められてしまう…ということだってある
 だから、「わからないから」と言って平然としているのも、たまになら悪くはないと思うのです


 「わからない」と言える勇気ひとつで、楽になれることもあります。
 学ぶ気・知る気は大切ですが、それが全てではないことを頭の片隅に入れておくと、
 「わからないこと」が多いから、せめてわかることを大切にしようという気にもなれるのです。

どこからでしょう!?

2012年11月17日 05時36分24秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 流れからしてわかっちゃうかもしれませんが…、
 これ、ある駅の天井を写したんです。

 いかにもレトロな感じですが、
 どこだかわかりますか!?


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