東京テレポート駅前(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「看板に偽りなし」という、慣用句があります。
誇大広告まがいの宣伝や、一見うそくさい語句を言い触らしているようでいて、
実は本当に自分で言っているように、質がともなっていることを言います。
元々これは商売から出た言葉ですし、
実際に商売の現場で使われることも多い。
しかし私は、この「看板に偽りなし(あり)」という考え方は、
全てに対して当てはまると思うんですね。
全身を仕立てのよい服で着飾っている人がいるとしましょう。
たしかに身なりに気をつかっていることは、褒められたことかもしれません。
ただ、「仕立てのよい服」だけでは、魅力的だとか仲良くなりたいとか判断を下すには、
情報が全然、足りませんよね。
そこで、「本人の能力や生活習慣、立ち居振る舞い」といったものが、
判断材料として加わってくるわけです。
さて。
よい服を纏っていればこそ、よりよい立ち居振る舞いをすれば、輝いて見えるというもの。
逆に、いくら服に気を配ったところで、言動が乱雑なままでいるようなら、
せっかくの服や、その服への気配りも無駄になるばかりか、かえって嫌味にしか見えなくなってしまいます。
服なりブランドなりエンブレムなり、あるいは看板なり、
人に見せているものは「面構え」だけではないということです。
体裁に気を配っただけ、立ち居振る舞いにも同じく気を配りましょう。
せっかく看板なり服なりを仕立ててよく見せるように頑張ってもらうなら、
「ご主人様」である自分自身も一緒になって、むしろ外身に加勢する位の気持ちでいることが大切なのです。
私が言っているのは、「看板」に惚れましょうということ。
服でもなんでもそうです。
大袈裟に言えば、身体を張って最前線に立ち、自分をプロモーションしてくれている、
こんなありがたいことはありません。
そうであれば、その素晴らしさや魅力に負けない位、
自分の立ち居振る舞いをよくしようと思えるハズです。
表だけ取り繕って、そこに頼り切ったり、満足しないこと。
看板だけに、仕事をさせないこと。
「看板に偽りなし」と唸らせるには、
看板にあやかるだけではなくありがたく思って、
その看板に負けないだけの態度が求められるのです。
皆さんは大丈夫ですか!?
気をつけたいものですね。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「看板に偽りなし」という、慣用句があります。
誇大広告まがいの宣伝や、一見うそくさい語句を言い触らしているようでいて、
実は本当に自分で言っているように、質がともなっていることを言います。
元々これは商売から出た言葉ですし、
実際に商売の現場で使われることも多い。
しかし私は、この「看板に偽りなし(あり)」という考え方は、
全てに対して当てはまると思うんですね。
全身を仕立てのよい服で着飾っている人がいるとしましょう。
たしかに身なりに気をつかっていることは、褒められたことかもしれません。
ただ、「仕立てのよい服」だけでは、魅力的だとか仲良くなりたいとか判断を下すには、
情報が全然、足りませんよね。
そこで、「本人の能力や生活習慣、立ち居振る舞い」といったものが、
判断材料として加わってくるわけです。
さて。
よい服を纏っていればこそ、よりよい立ち居振る舞いをすれば、輝いて見えるというもの。
逆に、いくら服に気を配ったところで、言動が乱雑なままでいるようなら、
せっかくの服や、その服への気配りも無駄になるばかりか、かえって嫌味にしか見えなくなってしまいます。
服なりブランドなりエンブレムなり、あるいは看板なり、
人に見せているものは「面構え」だけではないということです。
体裁に気を配っただけ、立ち居振る舞いにも同じく気を配りましょう。
せっかく看板なり服なりを仕立ててよく見せるように頑張ってもらうなら、
「ご主人様」である自分自身も一緒になって、むしろ外身に加勢する位の気持ちでいることが大切なのです。
私が言っているのは、「看板」に惚れましょうということ。
服でもなんでもそうです。
大袈裟に言えば、身体を張って最前線に立ち、自分をプロモーションしてくれている、
こんなありがたいことはありません。
そうであれば、その素晴らしさや魅力に負けない位、
自分の立ち居振る舞いをよくしようと思えるハズです。
表だけ取り繕って、そこに頼り切ったり、満足しないこと。
看板だけに、仕事をさせないこと。
「看板に偽りなし」と唸らせるには、
看板にあやかるだけではなくありがたく思って、
その看板に負けないだけの態度が求められるのです。
皆さんは大丈夫ですか!?
気をつけたいものですね。