行船公園の花菖蒲(東京都江戸川区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
大変そうにしている人、皆さんの周りにはいませんか!?
もちろん、本当に大変なことに違いはないのだと思います。
しかし、中には「簡単なことをわざわざ大変にしている」という人も、たまにいたりするのです。
例えば、「夕食の用意をするのに手間がかかる」とこぼしている人がいるとしましょう。
ところがメニューを聞くと、「ご飯とお味噌汁、ほうれん草のお浸し、オムレツ、ハンバーグ、緑黄色野菜のサラダ、あとデザートに…」と、
なにがなんでも作らなければならないものばかりではないのに、
自分の決めたことだからと、一品や二品、減らせなかったりする。
これはどう考えても「夕食を作るから大変だ」というのではなく、
「自分の頭の固さに振り回されているから大変だ」と言ったほうがいいですよね。
もちろん「大変なのが悪い」というのではなくて、
大変でも楽しめているのならいいのです。
山だって途中まで登るのは大変でも、その分だけ景色や空気を堪能できたり、達成感を味わえればそれでいいですよね。
「自分で大変ことを選んでも、楽しめているなら問題がない」のです。
ただ、自分で大変なことに手をつけておきながら、わざわざ楽しむのではなく苦痛を味わっているなら、
それはちょっとおかしいですよね。
こんな時、「自分の価値観」を一度疑ってほしいのです。
先に「夕食を作るのが大変だ」という人の例を出しました。
なんでこうなってしまうのかというと、「夕食=苦痛を伴うほど大変な用意をしなければならない」とか、「苦労しないと夕食は作れない」などと、
勝手に思い込んでしまっているからです。
「食べる人が喜ぶから」とか「料理の腕を磨きたいから」などと、
前向きな理由があってやっていれば、苦痛に感じることはありませんよね。
そこを、「大変じゃなきゃいけない」ということが前提になると、
いくら素敵な理由があったとしても、それが苦痛に刷り変わってしまうのです。
今現在、「大変で大変でしかたない」とか、
「なんで自分に限って苦労をしているんだ」という場合。
本当はもっと楽なやり方があったとしても、
「〇〇は大変に違いない」という考え方のために、
みすみすゴールを遠のかせていないか、ちょっとでも思い返してみる価値はあります。
簡単に終わるものや、最短距離で着ける道をわざわざ複雑に難しくしてしまうのは、
「もしかしたら自分の観念なり価値観が左右しているのかも!?」という目で見てみるのです。
ちなみに、いわゆる「トラブルメーカー」といわれる人達の思考パターンも、
よく見てみると、こういった「大変に違いない」という思い込みが絡んでいるものだったりするんです。
ゴールは近く。
努力は抜からず。
これが、テープを切るための基本です。
難しい問題は乗り越えるためではなく、よけるためにあるのかもしれませんよ!?
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
大変そうにしている人、皆さんの周りにはいませんか!?
もちろん、本当に大変なことに違いはないのだと思います。
しかし、中には「簡単なことをわざわざ大変にしている」という人も、たまにいたりするのです。
例えば、「夕食の用意をするのに手間がかかる」とこぼしている人がいるとしましょう。
ところがメニューを聞くと、「ご飯とお味噌汁、ほうれん草のお浸し、オムレツ、ハンバーグ、緑黄色野菜のサラダ、あとデザートに…」と、
なにがなんでも作らなければならないものばかりではないのに、
自分の決めたことだからと、一品や二品、減らせなかったりする。
これはどう考えても「夕食を作るから大変だ」というのではなく、
「自分の頭の固さに振り回されているから大変だ」と言ったほうがいいですよね。
もちろん「大変なのが悪い」というのではなくて、
大変でも楽しめているのならいいのです。
山だって途中まで登るのは大変でも、その分だけ景色や空気を堪能できたり、達成感を味わえればそれでいいですよね。
「自分で大変ことを選んでも、楽しめているなら問題がない」のです。
ただ、自分で大変なことに手をつけておきながら、わざわざ楽しむのではなく苦痛を味わっているなら、
それはちょっとおかしいですよね。
こんな時、「自分の価値観」を一度疑ってほしいのです。
先に「夕食を作るのが大変だ」という人の例を出しました。
なんでこうなってしまうのかというと、「夕食=苦痛を伴うほど大変な用意をしなければならない」とか、「苦労しないと夕食は作れない」などと、
勝手に思い込んでしまっているからです。
「食べる人が喜ぶから」とか「料理の腕を磨きたいから」などと、
前向きな理由があってやっていれば、苦痛に感じることはありませんよね。
そこを、「大変じゃなきゃいけない」ということが前提になると、
いくら素敵な理由があったとしても、それが苦痛に刷り変わってしまうのです。
今現在、「大変で大変でしかたない」とか、
「なんで自分に限って苦労をしているんだ」という場合。
本当はもっと楽なやり方があったとしても、
「〇〇は大変に違いない」という考え方のために、
みすみすゴールを遠のかせていないか、ちょっとでも思い返してみる価値はあります。
簡単に終わるものや、最短距離で着ける道をわざわざ複雑に難しくしてしまうのは、
「もしかしたら自分の観念なり価値観が左右しているのかも!?」という目で見てみるのです。
ちなみに、いわゆる「トラブルメーカー」といわれる人達の思考パターンも、
よく見てみると、こういった「大変に違いない」という思い込みが絡んでいるものだったりするんです。
ゴールは近く。
努力は抜からず。
これが、テープを切るための基本です。
難しい問題は乗り越えるためではなく、よけるためにあるのかもしれませんよ!?
こんにちは
今日も皆さん、ありがとうございます。
先日、浅草寺でおみくじを引いたんです。
この浅草寺のおみくじは江戸時代から吉/凶の比率が同じらしく、
また、凶以外は結んじゃいけないことになっているんですね。
…で、一回目は「凶」だったんです(笑)
もう内容も読まずにすぐ結んで、
隣の浅草神社でお参りしてからもう一回浅草寺のおみくじを引いたら、
こんどは「吉」でした。
よかったー、凶だっからなんの後腐れもなく結んで、次が引けたんですよね。
こういうのも強運の内に入るのかな!?

今日も皆さん、ありがとうございます。
先日、浅草寺でおみくじを引いたんです。
この浅草寺のおみくじは江戸時代から吉/凶の比率が同じらしく、
また、凶以外は結んじゃいけないことになっているんですね。
…で、一回目は「凶」だったんです(笑)
もう内容も読まずにすぐ結んで、
隣の浅草神社でお参りしてからもう一回浅草寺のおみくじを引いたら、
こんどは「吉」でした。
よかったー、凶だっからなんの後腐れもなく結んで、次が引けたんですよね。
こういうのも強運の内に入るのかな!?