は・ひ・ふ・へ・ほー日記  ~ ho diary ~

最愛何潤東、趣味はピーター・ホーというミーハーファンが、ひたすらピーターのことを語るPeterHo溺愛日記

愛心について考えてみた

2008-06-24 07:41:40 | 何潤東
【お断り】今回、Peterは出演しません。

この一年くらい、とみに愛心活動に熱心なPeter、芸能人として成功した彼は、今や、社会貢献の責任を全うしようとしているらしい。
そういえば、マイクロソフトのビル・ゲイツも事業の一線から退いて、慈善事業家となるそうだ。
本音を言えば、Peterの愛心活動には胡散臭さを感じていた。
いやPeter本人にではないのが…。
地震直後の被災地区入りに関して、
TVやネットのポータルサイトがタイアップする形で、TVカメラを背に、所属会社の仲間たちで打ち揃って3日間慰問って、なんか慈善でなくて偽善?と当初は戸惑いを感じていた。
日本人って、寄付やチャリティやボランティアをするにしても、おおっぴらにやっていると偽善的って思い勝ちではないだろうか。
わたしはいつでもそうだった、大げさに宣伝するのは、ただの売名行為ではないかと疑ってしまう癖がついている。
しかし、マスコミが活動を追っかけて記事にしていたとしても、愛心活動を行うPeterの誠実さには偽善心はかけらも見当たらないとわかってきた。
Peterは、自分ひとりの力には限りがあると言う、でも、自分の活動を通じて他の人に愛心が広がることを望むと言う。
そこで、わたしも、彼の愛心に感化された一人として、声高に自分のことを語ってみたい。

わたしはアフリカの一人の男の子のサポーターをしている。
彼の名はプロシード、家族とともに暮らし、学校に行きながら、畑の手伝いをする。
最近、彼からの手紙が届いた。
彼自身の書いた英語の文章だ!
今まで彼から届く手紙の内容は、字が書けない彼が動物の絵を描いてきたり、学校の先生が代筆してくれたりだった。
そのプロシードが書いた初めての手紙だ。

その手紙を見た瞬間、わたしは、以前別の男の子からもらった、もう一つの手紙を思い出した。
ファビアン、彼は地球の裏側で生活する男の子、
わたしがファビアンを最初に知ったのは、まだ彼がお母さんの腕に抱かれていたころだ。
大きな瞳の可愛い男の子、彼の成長の記録は毎年一度写真とともに送られてくる。
彼の暮らす集落は貧しい。
彼を抱くお母さんの着ている服は写真撮影用の晴れ着なのだろう、毎年同じ服だ。
ファビアンはとても小さいので、学校に行かず、毎日サッカーをしたりして遊んでいる、彼らは元気だ、などの生活の報告が年に一、二度送られてくる。
わたしのほうは、幼い彼が喜んでくれそうなちょっとしたプレゼントや写真を送ったり自分の生活を手紙で書いたりしていた。
数年そんな交流が続いたが、ある年の秋、わたしはとうとうファビアン自身の手による手紙を初めて受け取った。

書かれた文字は、“I love you.”

衝撃的だった。
なんという美しいことばだろうか…。
恋人ではない、家族でもない、地球の裏側に住む幼い少年が、会ったこともないアジアのわたしに贈ってくれた、シンプルだけど、美しいことば…。
こんな美しいことばはもらったことがない。
心が震えた、なぜだか泣けて仕方なかった。

今後ファビアン自身と手紙のやりとりができると喜んだ一週間後、事態は急変した。
ファビアンの暮らす地域の活動から撤退する旨の手紙が家に届いたのだ。
活動を継続できないなんらかの事情が起こったに違いない、しかし、わたしはファビアンにサヨナラすら告げることはできなかった…。
文字を書けるようになったファビアン、彼は今どんな少年に成長しているのだろうか…。

その後、スポンサーとしてアフリカの少年を紹介された。
それがプロシード、昨年彼に小さなプレゼントを贈った。
子供用のおもちゃの絵の具セット、プレゼントを選ぶ時間がなくて、検討もせずあわてて買ったものだけど、彼は喜んでくれた。

慈善活動というものは、社会の底辺に置かれた貧しい人たちを助けるためにすることだと思っていたが、最近では、活動に参加することは自分自身のためにもなるのだと考え始めた。
精神的な豊かさを与えてくれたり、視野を広げたり、と自分の成長の手助けをしてくれる。
わたしは、今、Planのサポーターやユニセフのマンスリー・サポーターをしながら、その活動が、人を支援すると同時に自分への肥やしとなっているように思う。
愛心活動に熱心に取り組むPeterもきっとたくさんのことを学んだに違いない。
四川や宮城・岩手の地震災害のみならず、ミャンマーで、アフリカで、世界中のあちこちで、わたしたちの援助の手を求めている人たちがたくさんいる。
Peterが願っているように、彼の愛心に共鳴するファンの一人ひとりから、さらに大きく愛の心は広がっていくだろう。


ここまでわたしの独り言につきあってくださって、どうもありがとうございました。
共鳴してくださる方、興味をもたれた方、下記のHPをご覧になってみてください。

日本フォスター・プラン協会ホームページ

日本ユニセフ協会ホームページ

日本盲導犬協会

アジアンパラダイスに登場!

2008-06-22 10:10:02 | 何潤東

アジアンパラダイス
June 21, 2008
何潤東(ピーター・ホー)沈建宏(クリス・シェン)がスタジオゲスト!

詳細はアジアンパラダイスのページをご覧になってくださいね。
6月30日(月)にアジアン!プラスで放送されるそうです。
プレゼントもあり、なので、これはfansとしては見逃せませんね。
と言いながら、わたしは、視聴可能な設定をしてないので慌てまくりでございます。
これは、6月18日収録、Peterの「其因決定我愛你」も8月23日から上映されるそうです。
それに、建宏の「刺青」も。
いろいろ楽しみな夏の始まりですね。

エレベーター

2008-06-22 00:01:33 | そのほか
【お断り】 この話にはPeterは一切出演いたしません。

“人志松本のすべらない話”を見て大笑いした後なので、ちょっとパクって、
“supiaのすべるかもしれない話”をしてみよう。
さて、まずサイコロを投げて…

         

20日、PKミニライブの帰り、わたしと関西地方から来た友人はJR品川駅にいた。
ここから京浜急行に乗って羽田空港へ行くつもりだ。
そのとき、わたしは疲れていた。
階段を上り下りすることが多い1日だった。
わたしは、寄る年波に勝てず、階段を見るたび恨めしい思いに駆られていた。
“エレベーターはないのか、エレベーターは!?”
と呟き、虚ろな目でエレベーターを探すわたしの目の前に現れたのは、なんと!“京浜急行改札行き”というお知らせが書いてあるエレベーター!!
なんという僥倖!これは天上の神様のお情けか!?
わたしは、友だちに、“ほら、エレベーターがあるよ、乗ろう!”と声をかけ、二人でいそいそと乗り込んだ。
誰も乗らず空いているのをラッキーと思い、“良かったね~”とニコニコしてお互い顔を見合わせたその瞬間、エレベーターは停まった。
“え、ずいぶん速いエレベーターだね。さすが花の東京のエレベーターだわ。”と不思議に思いながら、エレベーターを出て振り向いたときにわたしたちに見えた情景、それは、
エレベーターに乗り込む前と同じ場所!?
一瞬何が起こったのかわからず呆然とするわたしたちの目の前を、乗降客たちが次々に四段ほどの階段を上り下りしていく…。

         

さすがに気づいた…。
このエレベーターは、バリア・フリーのエレベーターなのだった。

目を落とせばエレベーターの横に四段の階段、目を上げれば京浜急行改札口という大きな文字が…。
わたしたちは、京浜急行の改札が何階にあると思っていたんだろう~?

大爆笑のわたしたちは、そこに知り合いがいないことを神に感謝し、旅の恥はかき捨てだから、と一生懸命自分自身を納得させながら、その場から逃げるように立ち去ったのだった。

大都会には魔物が棲んでいる…。

  以上、改題  supiaのトホホな話 

細い?

2008-06-21 04:31:45 | 何潤東

う~~ん、びみょ~~~?
ちょっと整えたかなあ、って感じのまゆ?

この日、Peterは4曲歌いました。

没有我你怎麼辦
Think About You
我只在乎你
一封信

どの曲も、とてもていねいに歌い上げているという気がしました。
建宏とのジョイント・ミニ・ライブとはいえ、日本で初めての演唱会(もどき?)にPeter本人もすごく喜んでいるようでした。

ちぇっ、 雙飛を生で聴きたかった…。

心の洗礼

2008-06-19 21:25:44 | 何潤東

 Peter、今、どんな眉になっているの?やっぱりいぢわる眉?
 
           閑話休題   

拙blogの6月6日の記事中に、Peter本人が撮った写真を持って説明しているビデオをUPしていました。
そのとき、リスニングができないわたしが、Peterが何を話しているのか理解できなくて残念に思っていることをぼやいていたら、潤さんが翻訳文を送ってくださいました。
わたしのヘボ翻訳もどきとは違って、素晴らしい和訳なので、わたし一人で読んでおしまいにするのはもったいないと思いました。
そこで、今回、潤さん本人から許可をいただいて、ここに掲載させていただきます。
こちらのビデオの翻訳です。

新浪網  視頻:何潤東難忘災区行感動之餘受到“洗禮”

被災地慰問、心の洗礼

P:皆さんこんにちは、何潤東です。僕は今、北京のレコーディング・ルームで5・12大地震を題材にした曲をレコーディングしています。先日、僕は被災地区に行き、目にした光景や交流した人々をカメラに収めました。

ナレーター(N):今回、被災した人々を慰問し、またカメラマンとして被災地の様子をカメラに収めた何潤東。しかし、本人はカメラマンとして失格だと話す。

P:実はそんなに多くは撮らなかったんです。なぜなら、なかなかレンズを向ける気になれなかった。荷物運びや、被災地区の人々と話して元気づけたりすることがほとんどでした。最後に被害がかなり深刻な彭州へ行きましたが、その際に時間が30分くらい取れ、その時に撮った写真がほとんどです。

N:この短い時間に撮った写真は、何潤東にとって貴重な写真となった。記録した光景や人々の顔は彼の心に今も焼きついている。

P:これは僕が一番気に入っている写真。彼らは崩れてしまった自分たちの家の前に立っています。子供の心は本当に純真、そしてとても強い。これほどの悲惨な状況に置かれていても、こんなふうにキラキラと笑える。人々に勇気を奮い起こす力を与えるんだ。まるで冷え切った人々の心にあたたかい太陽の光が差し込むように。

この写真は、被災地区のすぐ近くにある田んぼで仕事をする人。これは正に被災地の人々の姿を象徴していると思う。彼はずっと自分の家を守っているんだ。家が住めないような状態になっても、依然として家を守り続ける。自分で接電する方法を考え、小川に行って沐浴する。彼らはこの土地を離れることを望んでいない。自分たちの家を復活させるという希望を持っているんだ。

N:今回の慰問で何潤東はかけがえのない経験をした。最も印象深かったことは、子供たちに靴を履かせてあげたことだそうだ。(Pに向かって)ご両親に靴を履かせたことがありますか?

P:ないね。

N:他の人には?

P:ない。一回もない。もちろん彼らは自分で履けるよ。でも、これは心に傷を負っている彼らを勇気付けるために僕ができる数少ないことの一つなんだ。今の彼らにはこういうことが、自分のことを気にかけてくれる人がいることを知ることが必要なんだと思う。(靴を履かせた女の子に向かって)「この靴を履けばうんと早く走れるよ。だからみんなを助けてあげなければダメだよ。指きりしよう。お姉さんとして小さい子供の面倒を頼むよ」。
とても嬉しかった。彼らの笑顔を見れたから。少しは役に立つことができたかなと思った。

N:5・12大地震は、我々が同胞を思いやる熱い心を多くの人々に知らしめることとなった。心を打たれ、涙を流さずにはいられない光景やエピソードは後を絶たない。しかし、慰問中、何潤東を感動させたことは本当に些細なことだった。

P:沢山の子供ボランティアが赤十字センターに集まっていた。僕らがトラックから物資を下ろすんだけど、靴が入っているダンボールは特に重い。ボランティアのほとんどが中学生の女の子。だけど自分たちで役割分担して、段取りよく重いダンボールを運ぶんだ。まだ中学生なのに、こうやって人を助けたり、手伝うということをよく分かっている。疲れたなんて一言も言わず団結して黙々と働く姿にとても心を打たれた。

N:お互い助け合い、励ましあう彼らの姿は、今まで生きてきた世界では気付くことがなかったことを何潤東に気付かせた。

P:彼らから本当の強さを学んだよ。大自然は彼らに対してあれほど残酷な仕打ちをした。それでも決して負けないし、勇気を持って現実に立ち向かう。僕たちは問題にぶつかると、それが大きなことではなくても、あきらめて簡単に引き下がってしまうことが往々にしてある。彼らのことを考えたら、僕らの問題なんて本当に些細なことなんだ。

N:今回の慰問で何潤東は多くのことを学んだ。何潤東自身、心の洗礼を受けたと語っている。貴重な体験をし、多くのことを経験した今回の訪問、彼はきっと充実感を感じているはずと思っていた。しかし何潤東は「もう体験したくない」と言う。

P:感じているのは充実感じゃない。確かに忘れられない貴重な経験だ。でも、こんなことを経験する日が再び来ないことを祈っている、こんな災難が二度と起こらないことをね。あまりにも多かったよ。すごく助けてあげたいのに、力になりたいのに、僕には何もしてあげられないことが。

潤さん、ご好意に感謝します!
いつもどうもありがとう~~~!

かぶっちゃった

2008-06-17 05:29:44 | 何潤東
中国娯楽網 蘇有朋與何潤東撞衫呂制服較勁報價差4倍

最在乎的何潤東BLOG 6/16

CCTV.com  上海電影節雙人搭檔閃亮登場[組図]

二人の画像を並べると、確かに同じ服だわ…。
Peterしか見てなかったけど、改めて見直してみると、確かに蘇有朋のファッションもまったく同じ、これはさすがに二人ともきまり悪かったろうね。
私事になるけど、以前職場で同じシャツを着ている人を見たときは、そのシャツは二度と職場では着ないって決めたもん。
なのに、よりによって、上海国際電影節の開幕式という、多くの人の注目を集める晴れ舞台で“かぶっちゃった”のでは、Peterよりむしろ大人気スターの蘇有朋のほうが嫌だったに違いない。
舞台裏では、Peterは“久しぶり!”って声をかけているのに、蘇有朋は少し笑顔を見せたくらいだったっていうことだから。
蘇有朋のマネージャーによると、挨拶されたけど、そのときは慌ただしくて人も多くて現場は混乱していたから、仕方なくあまり話せなかったそうだ。
でも、やっぱ、同じ服を着たもの同士並びたくはないよね。
しかもスタイルを比べると…武士の情け、これ以上は言わないけどさ。
Peterはそういうところはあまりこだわらずに、“ワォ、同じスーツになっちゃったね。”とか言って笑いそうだけど…。
しかも、同じ服装なのに、なにゆえ、蘇有朋は50万元、Peterは12万元なのか?
その差、4倍…
蘇有朋は上海で借りたもの、Peterは事務所が台湾で借りたもの、価格の違いは、Peterが言うように為替レートの違いによるものなのだろうか…?

とりあえず、
いつもは私服だけど、こういうパーティなどで着るスーツなんかは借り物なのか…。
というのが、わたしの感想。
わたしは流行というものの対極にいる女なので、このスーツがどこのブランドの新作かはま~ったくわからない。
しかし、最近雑誌に掲載されている写真のファッションで、カッコ可愛いと思ったのはGUCCIだった。
今回はどこのかなあ?

Peterは、上海電影節開幕式の行われた14日、上海で、ジョゼフ・チェンの誕生日を祝って明道たちと一緒に食事をしたらしい。
同じ台湾スター同士、共演したことがなくてもつながりがあるってことかな。
にしても、26歳の生日会に、香港で1000人集めたって、これがホントならすごい、
ジョゼフ・チェンの人気って、“どんだけぇ~  ”(すでに死語か?)
21CN 鄭元暢向粉絲高呼愛你圈中好友VCR道賀(組図)


岩手・宮城ではまだまだ大きな余震が起こっているようです。
被災者のみなさんが一日もはやく安心で平穏な日々を取り戻せますように。

なぞの会話

2008-06-16 02:48:14 | 何潤東
新浪娯楽  陳坤何潤東隔空撞衫 眼光一致各具特色(図)

なんかえらく楽しそうじゃないの。
マスコミはきっとシャッター・チャンスをねらっていたと思うのよね。
まるでそれに応えるかのように、Peterったら振り向いて大Sにジョークを言っているみたい。
Peterにとって大Sが“夢中女神”だったとは、それこそ夢にも思わなかったな。(笑)

二人の会話を勝手に憶測するに…

P:やあ、久しぶり!元気だった?

S:久しぶりじゃないわよ、あの記事、何よ!びっくりしたわ。

P:あ、取材されたの、やっぱり?

S:わたしに片思いしているなんて、まったく知らなかったわよ!(笑)

P:そうなんだよ、
“忍ぶれど 色に出にけり 我が恋は ものや思うと 人の問ふまで”って歌にあるだろ。
いやいや、こっちの歌のほうかな?
“恋すてふ 我が名はまだき たちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか”ってね。
秘めたる恋で終わるところだったんだけど、きみが一人になったって聞いてさ、告白するのは今しかないって思ったわけさ。
台湾出身のPeterがなぜ和歌を知っているのか、深く追求しないでください。

S:なによ~それ、別れるのを待っていたみたいじゃないの。韓国の女の子とか台湾の女の子とかいろいろ噂になっていて、今度はわたし?

P:あの子たちはみんなただの噂、ゴシップ記者が勝手に書きたてているだけだよ。きみのほうこそ、一人になったかと思えば、もうエディを捉まえたらしいね。ぼくが美しいきみに3年間も片思いしているっていうのに。

S:よく言うわね、その気もないくせに。

P:いやいや、大ありだって!マスコミによると、ぼくはきみに夢中らしいからね、きみはぼくの女神さまってことになってんだから!

P&S:プップップッ~(大笑い)

と、こういう掛け合い漫才なんぞやっていたかも~と勝手に寸劇仕立てのセリフを作ってみました。

わたしにはシナリオライターの才能はあまり無いって?
うん、自分でもそう思う。

歓迎、歓迎、Peter!

2008-06-15 12:30:00 | 何潤東
  東京歓迎你~! 

って、東京住まいではないんだけどさ。
まあ、細かいことは気にしないってことで。
髪形、体重、体脂肪を一年前と変わらぬように維持して、いよいよ「上海タイフーン」撮影再開ですね。
わたしんちのあたりはこの一週間の天気予報が雨、
今日も早朝から雨
でも、
Peterを迎える関東地方は雨が降らないみたいで良かった。
陽光が似合うPeterには、太陽のお出迎えが欲しいもんね。

    

捜狐娯楽 図:何潤東董潔相伴與觀眾揮手致意

新浪娯楽 図文:第11屆上影節紅毯--何潤東董潔攜手亮相

新華網 何潤東、董潔亮相第11屆上海電影節“愛心大道”
大地震からまだ一ヶ月過ぎたばかり、各明星ともあまりに華美なファッションを自粛したということだろうか。

新浪網 中国電影報道視頻:何潤東頒獎禮上唱両隻老虎

上海電影節レッド・カーペット

2008-06-15 00:15:32 | 何潤東

東方網 快訊:何潤東白色西服帥気逼人 董潔青春靚麗

東方網 第十一回上海国際電影節

捜狐網 図:何潤東董潔走上愛心通道

捜狐網 第十一回上海国際電影節

新浪網 図文:第11屆上影節紅毯--董潔搭檔何潤東共踏紅毯

新浪網 図文:第11屆上影節紅毯--董潔配何潤東顯嬌俏

新浪網 第十一回上海電影節

北京時間の6月14日晩、第11回上海国際映画祭が正式に開幕した。
董潔と仲間の何潤東は一緒にレッド・カーペットを歩いた。

「梁山伯」と「祝英台」の再会ですね。
今日のPeterの真っ白なスーツも最高、白馬の王子さまだ!
今夜は昨夜以上にすごいメンバーがそろっていますねえ。
この中にPeterがいるのは嬉しいな。

上海電視節~Peterのスピーチ~

2008-06-14 21:49:53 | 何潤東
新浪娯楽 何潤東帥気亮相呼籲動畫片多些“両隻老虎”

新浪視頻:白玉蘭獎《士兵突擊》奪冠《金婚》四獎

捜狐網 視頻:何潤東為災区兒童加油唱起兒歌表達愛心

捜狐網 視頻:何潤東唱《兩隻老虎》《金婚》大獲全勝

昨日、上海電視節閉幕式において、何潤東とパガリアーノは最優秀アニメーション賞の発表を担当した。
何潤東はふだんから漫画好きなことが有名であるため、この賞のプレゼンテーターを務めることをとても喜び、今でもまだ漫画を読んでいると語った。
“子どものころ、アニメや漫画をたくさん見ていたから、漫画はわたしに大きな影響を与えました。
アニメはどの子にも素晴らしい夢を与える工場みたいなものであり、同時に、そこから多くの道理を知ることもできます。
今回これらの優秀なアニメや漫画の製作者に会う機会をもらい、とても嬉しく思います。”
最優秀アニメ賞を発表し表彰するとき、四川大地震の際、汶川へ行って子どもたちを慰問した何潤東は、そのときの情況を思い出さないではいられなかった。
“子どもたちは、絶望的な環境の中にあっても光り輝く笑顔を持ち続けている、わたしはそんな子どもたちに非常に感動しました。
なかには、瓦礫の中で《両隻老虎》を歌って苦しいときを乗り切った子どもたちもいます。”
何潤東は話し終わると、気持ちを抑えきれず《両隻老虎》を歌いだした。
もう一人のゲストである、フランスの審査委員パガリアーノも英語で一緒に歌いだした。
音楽と愛には国境など無い、彼らの気持ちはすぐに会場全体に伝わり、拍手の音が鳴り響いた。
何潤東とパガリアーノは、さらにより良いアニメを撮ろう、いくつも《両隻老虎》、子どもたちに力と勇気を与えよう、子どもたちはわれわれの太陽なのだと呼びかけた。
四川大地震の際に被災者の人々が見せた強靭さと勇気に感動し、何潤東は最近親しい友人の游鴻明と協力して震災救援曲《彩虹彎彎》を創作した。
何潤東は被災地で撮影した写真やビデオを素材にして《彩虹彎彎》のMVを制作、音楽を通じて親兄弟をなくしたたくさんの同胞を励ましたい、彼らにもっと多くの温かさと希望をもたらしたいと願っている。

宮城、岩手の地震で被災された方々へ災害お見舞い申し上げます。またお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

今もなお、懸命の救助作業が続いているとTVのレポーターが伝えています。
どうか一人でも多くの人の生命が助かりますように。
                                

上海電視節に登場(追加編集あり)

2008-06-14 00:14:08 | 何潤東

漫画が趣味だということでアニメ部門のプレゼンテーターなのだろうか?

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新浪網  第十四回上海電視節

上海電視節頒獎禮--何潤東上台講話 

上海電視節頒獎禮--何潤東與獲獎者握手 

上海電視節頒獎禮--何潤東與獲獎者


騰訊娯楽  第十四回上海電視節

騰訊娯楽 上海電視節閉幕現場:何潤東掲曉最佳動畫片獎

林心如好友相見四處攀談 何潤東困意襲來打瞌睡
眠くなって困っちゃったって感じのPeterもなんだか可愛い。
仕事疲れかな。
これからことばもよくわからない現場で撮影するハードな日々が続いてくるはずだから、Peter、体調管理をしっかりやっていってね~

番外編 久々に見た好男の呉建飛くん、やっぱ可愛いわ~!Peter、ごめん!
騰訊娯楽 呉建飛亮相電視節 透露電影殺青當天險遇車禍

東方網  第十四回上海電視節 

快訊:國《窮人和富人》獲得最佳海外動畫片金獎

第十四屆上海電視節"白玉蘭獎"參賽片名單

何潤東攜兩千童鞋赴災区"孩子最愛我的笑臉"

何潤東は二千足の子ども用靴を携えて被災地へ行く“子どもはぼくの笑顔がいちばん好きなんだ”

何潤東は“白玉蘭”選出受賞式典で被災地の子どもたちに曲《両隻老虎》を歌いあげ、無数の観衆を感動させた。
ステージを降りた後、彼は東方網の記者インタビューにこたえ、被災地へ行って体験した子どもたちとの感動エピソードを話してくれた。
何潤東は記者に教えてくれた。
自分が2000足の靴や衣料品を持って被災地へ行き、こういうことで子どもたちにちょっとした楽しみをあげたかったのだと言う。
このほか、彼は子どもたちに靴を履かせてやった。
“これは簡単にできることだけど、彼らにぬくもりを与えたかったんだ、だってこれはすごく大切なことだからね。”
子どもたちと一緒にいて、何潤東は彼らに授業をし、彼らとおしゃべりをし、ゲームをし、また彼らに歌を聴かせた。
被災地にいたのはわずか3日だが、しかし、この3日間は子どもたちにこの大きなお兄さんをすごく好きにならせた。
自分が子どもたちにした援助のことを話していても何潤東はとても謙虚な感じだ。
“ぼくが持っていった靴や服には限りがある。
ぼくが彼らにあげられる援助も限りがある。
でも、ぼくが持って行ったあったかい日光のような笑顔、これが彼らのいちばんのお気に入りだ。
彼らは、ぼくの笑顔の中にあるぬくもりを感じとることができたろう。”
どうしてさっきステージで《両隻老虎》をうたったのかと記者が尋ねると、何潤東は感動した面持ちで語った。
“被災地のこどもたちが廃墟の下に生き埋めになっていたとき、これを歌ってお互いを励ましあったそうだ。
だから、ぼくもこの《両隻老虎》を歌って彼らのために頑張りたいんだ。”
取材が終わり、何潤東は東方網のチャリティの願いを込めた紙にていねいにこう書いた。
“陽光はきみたちとずっと一緒にいるよ!”
これも彼が被災地の子どもたちにたいして深い思いやりをいっぱい持っていることを示すことばである。


このヘア・カットは、成功してんのかな???

捜狐網  第十四回上海電視節

図:最佳動畫片獎掲曉—何潤東為獲獎者頒獎

組図:大S何琳柴智屏華服亮相頒獎禮
大Sも同席していますねぇ~~~♪

組図:《金婚》連奪四獎張國立蔣雯麗喜氣洋洋

組図:第十四節上海電視節最近愛動畫片獎掲曉

組図:林心如何潤東登台掲曉最佳動畫片獎

ビデオ捜狐網 視頻:林心如何潤東頒最佳動畫法語歌慰問災童

TOM網画像38枚 上海電視節白玉蘭獎掲曉林心如唐季禮顯尷尬
Petrは、9・10・11・28、カッコいい~

【追加】騰訊娯楽 組図:林心如四處攀談遇到好友大S芳容突變



どんなあいさつを交わして、何を話したのか知りたいよねぇ?(笑)



今日は上海電影節に登場予定、テレビの次は映画だよ~♪

新浪網 第11屆上海電影節今日開幕

【追加】最在乎的何潤東BLOG 6/13

ビビアン・スーが相変わらずのキャラで可愛い~!
こんなカッコウは志玲には無理そうだなあ。

何を見てる?

2008-06-13 07:00:27 | 何潤東
ライブ台湾 ピーター・ホー 一年前とまったく変わらない姿で『上海タイフーン』に復帰

聯合報 何潤東露原形復拍NHK「上海潮」

北方網 何潤東為連戲保持髮型身材 為川災民寫歌頌母愛

鏡と反対側の液晶画面に映っているものから想像すると、鏡で自分の散髪風景を眺めているのではなく、バスケットの試合を見ていると思うんだけどな。

Peterは6日上海の活動のあと、いったん台湾へ戻り、郭品超のバースディを祝い、「上海タイフーン」の撮影に入る用意をして、それからまた内地へ飛んだようですね。
一年前のヘア・スタイルに戻ったPeterの眉が細くなるのはいつだ?

安全地帯更新 “彩虹彎彎“獻給全天下最親愛的母親

捜狐音楽 試聴:何潤東遊鴻明-《彩虹彎彎》

捜狐音楽 MV:何潤東游鴻明-彩虹彎彎

多利安事務所新浪BLOG

         

《彩虹彎彎》

作詞:莫凡何潤東 作曲:游鴻明

[童聲]:你的身影在我眼中是道彎彎彩虹
我在你的懷裏呼吸著自由……

遊鴻明:

睜開我懵懂的雙眼 感覺你的心跳漸漸走遠
我還不懂你的愛有多重 卻感受到失去的痛
誰來為我點燃希望的火
你的身影在我眼中是道彎彎彩虹
我在你的懷裏呼吸著自由
你給的愛帶領我飛越過絶望盡頭
彩虹下毎一刻 你是如此愛我我會永遠記得

[童聲]:(一閃一閃亮晶晶滿天都是小星星)

何潤東:
當大地顫動的時候 你為我撐起那一片天空
你在夜默默為我守候 哺育了希望和寄託
讓我延續生命的怒吼
你的身影在我眼中是道彎彎彩虹
我在你的懷裏呼吸著自由
你給的愛帶領我飛越過絕望盡頭
彩虹下毎一刻 你是如此愛我我會永遠記得

遊鴻明:
突然間天上繁星都墜落
這是生命不能承受的重

何潤東:
最後的回憶是你微笑的面容
向我訴説你愛我到最後

[童聲]:
你的身影在我眼中是道彎彎彩虹
我在你的懷裏呼吸著自由
你給的愛帶領我飛越過絶望盡頭
彩虹下毎一刻 你是如此愛我我會永遠記得
(一閃一閃亮晶晶滿天都是小星星
一閃一閃亮晶晶滿天都是小星星)

チェック♪チェック♪

2008-06-12 05:45:59 | 何潤東

騰訊娯楽 伊能靜拍賣自畫情侶衫籌款為災区重建学校(図)
このスーツを見るのはわたしは初めてだという気がします。
ホント、いい男。
この写真、顔が違う方向へ向いているのが残念。
ていうか、四人ともまったく目線がバラバラ。(笑)

最在乎的何潤東6/11
雑誌「GQ」5月号写真の別バージョンだったり別パターンだったりと、お宝写真満載です。
どれもこれも捨て難いものばかり。
写真集出してほしいな~~ 

チンピラ・ファッションはシャツの胸のはだけ具合がウフフな感じ。
鏡を使ったカメラマン・ファッションは、鏡に映ったズボンの柄がカワイイ。
デート・ファッションは、その花束をくれぇ~~!と叫びたい感じ。
ステージ・ファッションのそっくり返った写真を見ると、リンボーダンスしているんですか?っって思わず声をかけてしまいそう。
でもねぇ、今回いちばん気に入ったのは、チェックのシャツを着ている写真。
6月6日のスーツもチェックだけど、こちらはカジュアルなシャツ・スタイルで、こんなチェックの柄シャツは木村拓哉も好んで着ていることまで付け加えられている。
なんでここに拓哉が出てくるのか、イマイチわからないが…。
ちゃんと本物の馬に乗ることができる人なのに、ぬいぐるみの馬に乗っているのがお茶目で可愛くていいよね。

なんか、このぬいぐるみの馬に姿を変えたいような気が…。
(いやいや、気の迷い…空想しただけでもちょっとヤバイ )

ホント、唸りだしたくなるくらいカッコいいよね。
ひとつ唸っちゃうか…


訂正しました。失礼しました。
新浪網 數碼追星族看大腕明星們用什麼數碼相機(3)
Peterが首から提げたデジカメの紹介

新浪公益  知名藝人將閃亮歐美同學會2008慈善之夜
Peterが参加する予定とあるが、いつなのかは不明

何家招牌

2008-06-11 06:21:06 | 何潤東
「BEAUTY大美人」5月号のメイキング・ビデオを見て、Peterのあまりの可愛さに、絶対この雑誌を買おうと思ったんだけど、雑誌名が「BEAUTY」とあるように、化粧品などの美容に関する内容がほとんど。
そこに、なぜ「何潤東」の特集を?
と不思議に思っていたが、そうだった!PeterはCLARINSの代言人になっていたのでした。
Peterの特集は3ページだけど、最後にはちゃんとCLARINSの男性用日焼け止めクリームなどの宣伝がありました。

掲載された記事の中では、大きな写真よりもこちらのほうが気に入りました。


得意げな「看板のあざ」
左頬にあるあのあざについて
何潤東は「何家の看板だ」と言う!
→この1粒だけ、他にはない

このホクロをPeterはけっこう気に入っているっぽい。
実は、わたしもこのホクロは好き。
Peterの写真は左側から撮られたものがほとんど、時には、左から撮っている写真を反転させて使いもする。
今まで中華雑誌などではどうして無理やり反転させてまで使うんだろうと思っていたけど、これもPeterがそう望んでいるからだろうか?
ホント、かわいいよね!?

インタビュー

2008-06-10 05:00:00 | 何潤東

東方網 楊恭如費心畫熊貓 何潤東慷慨獻"亮帽"

Peterがオークションのために帽子にデザインしたのは3匹の魚、水資源保護をみんなに喚起したいのだそうで、最初に描いていた絵はもっと複雑だったそう。
Peterの作品が3.5万元だったようですね。
どんな帽子だったのでしょうか?
見てみたいですねえ…。

廈門網  何潤東:不懂“變臉”

廈門網 何潤東:一捆衣物400斤,但一定要自己搬,這是一種力量

かなり長文、あやふやな訳ですけど、興味をひかれたのでとりあえず全部やってみました。が、あんまり自信ない…。途中で、訳わかんないトコがいっぱいあったし、上手く訳せずイラッとなって雑に処理しちゃったし、ですから、ヘボな文章だとご承知の上、お読みくださいね。

衣料品などが入った荷物の重さは400斤、でも、必ず自分で運ぶんだ、これが一つの力となる

初めてサイン会を開いたとき、たった二人のファンがいるだけ、こそこそと逃げ出すところだった

問:去年のちょうど今頃、あなたのニューアルバム《好想對你説》の全亞洲慶功宴が北京で開かれ、当時、ファンのプレゼントを受け取るのに手が鈍くなっていましたね。

P:(手を振ってみせ、愉快そうに笑う)その日は確かにプレゼントを受け取って“腕がつる”状態になっていたね。ぼくはファンのみんなの応援に本当に感動したよ。

問:デビューするとき、あなたはこんなに派手な活躍ができると思っていましたか?

P:始めたときは間違いなくこんな一般的な考えを持っていたよ、つまり“スターを夢見る”ということだ、“わあ、ぼくはレコードを出して、わあ、歌手になるんだ”というような感じだよ。

問:ファーストアルバムを出したときのことを覚えていますか?

P:(曖昧な笑みで)すごくきまり悪いな。1998年、初めてサイン会を開いた。父は、舞台照明の仕事をしており、息子が初めてアルバムを出すということで、どんと派手にしなきゃいけないと思った。そこで、道端に大きなステージをつくり、豪華な車を準備したんだ。当日、その場に来るファンが二人だけなんて想像もしてなかったんだ。ぼくはずいぶんためらった末、ようやく勇気を奮い立たせて車のドアを開けた。ささっとサインをして急いでその場から抜け出そうと思っていたんだよ。それなのに、車のドアを開けたら、CDショップの店長が派手に爆竹を鳴らしたもんだから、たくさんの通行人の目をひいてしまい、ぼくはもっとばつが悪い思いをしたものだ。幸い、この二人はとても熱心なファンで、ぼくはステージで、しばしまわりの情況を忘れ、全身全霊で歌ウことに集中できた。

問:それは10年前の出来事ですね。10年後、あなたは大人気スターとなりました。

P:でもぼくは心の中に“暗い影”をずっと引きずっていた。去年、台湾で行った、ニューアルバム《好想對你説》の最初のサイン会の前、ぼくの心は恐怖でいっぱいだった。イベントを取り消したいと考えたことさえある。結果としては、当日ステージには1000人を越える人たちが来てくれて、ぼくは驚いたよ。

問:その心の“暗い影”はあなたにどんな影響を与えるのですか?

P:ぼくは成長する過程で多くの“暗い影”を抱えてきた。たくさんの人の援助が、老けない童心を保持し、やっと今に至らせてくれたんだ。

問:どんな“暗い影”なんですか。教えてください。

P:たとえば以前日本で撮った《鬼来電2》のときのことだ。ぼくはそうとうなエネルギーを使って日本語のセリフを覚えたんだ。でも、撮影開始の前の晩、監督がセリフの“チェック(確認、検査)”にやって来て、ぼくはセリフを間違っていると言われた。あやうく卒倒しそうになり、心臓が5秒くらい止まったよ。翌日スタジオで撮るシーンにはたくさんのセリフがあったんだ、ぼくは急におろかなヤツになっちゃった。それから現場で撮りながら覚えていくしかなくて、一日で五歳も年をとったようで、白髪頭になりそうだった。でもその後、精神的心構えができ、またセリフを間違うなんてことは絶対なかった。

孫ができてから、毎日家で絵を描く、子供のときから、漫画家になるのが夢だった

問:デビューしてから現在までにいちばん大きく変わったのは何だと思いますか?

P:デビューするとき何もわかってなかった。自分の考えなんて何もなくて、ぼくがどうするのかと人は尋ねなかったし、そのへんの事情をいいのかどうかなんてまったく考えたりしなかった。でも、それから、それらがだんだんと重要なことに気づいてきて、さらに、自分がしていることに価値を得、ぼくは今ようやく自分の夢をいろいろできるんだ。

問:当時のあなたのいちばんの夢は何?現在の姿?

P:漫画家だよ、ぼくは小さいときから漫画家になるのが夢だったんだ。現在の夢は監督になることだ、漫画家になるのには、まだしばらく待たなければならないと思っている。

問:ふだんは漫画を描いていますか?

P:うん。いつも仕事の合間を利用して描いた漫画をブログに貼って、みんなに見てもらっているよ。うんと年をとってから、レベルの高い漫画作品を出版する用意をしている。だって、漫画を描くのに年齢制限はないからね。子どもや孫がたくさんいて、毎日家に座って絵を描く、漫画家が幼いころからの夢なんだ。

問:監督をする夢は年齢制限があるから先に実現するべきでしょう。今夢を実現するために準備は始めているんですか?

P:映画監督をしたいんだ。でも、具体的な題材はまだ思いついていない。そのときどんな気持ちかを考えなくちゃいけない、だって、人生の段階それぞれで、頭の中で考えることは全部異なるからね。

問:どんな映画を監督したいですか?

P:なんでもさ、ぼくの感覚にあったものであればね。喜劇であれば、ぼくをすごく笑わせるものが成功する。悲劇であれば、ぼくを泣かせるものが成功する。ぼくと郭品超はお互いを“剣四郎”と呼び合っている。(剣四郎は《北斗神拳》の主役だ)

問:あなたは下着メーカーのイメージキャラクターをしていますし、アルバムのカバーも上半身裸でしたね。現在多くの男性スターが筋骨たくましい男性のイメージを演出したがっていますが、あなたは自分の身体つきが素晴らしいと思いますか?

P:ぼくはバランスが重要だと思う。みんな同じ体型ってわけじゃない。たとえば呉建豪、彼の体つきはすごくいいと思うんだ。彼はとても大きくてたくましい。ぼくは、どちらかといえば細長いタイプだ。だから、それぞれ特徴をもっているんだよ。

問:以前、専門のコーチが、あなたと呉尊の体を比べ、呉尊はプロ並みの筋肉を持ちまさに芸術品のようだ、一方あなたは胸の筋肉と“小老鼠”で勝ちを制していると評していました。
…“小老鼠”って…

P:からだが健康なのがいいと思う。呉尊は自分でスポーツジムを開き、自分自身がコーチだね。郭品超も以前フィットネス・コーチだった。ぼくと彼はすごく仲良しなんだ。だから、お互いに意見や心得を交換し合えるんだ。

問:あなたと郭品超は《精武飛鴻》を撮影しているときいつも筋肉比べをしていたそうですが?

P:(腕を上げて筋肉を見せ)当時、ぼくたちはお互いを“剣四郎”と呼び合っていた。剣四郎は《北斗神拳》の主人公の名前だよ。郭品超は立ち上がって“筋肉はとどまることがない、よく鍛錬して北斗神拳と成す”と誓うんだ。ぼくは万元近くで買った二台のトレーニング・マシンで腕の筋肉と腹筋を鍛え、郭品超の大胸筋とくらべようと思ったんだ。ぼくらはトレーニング・ジムへ行くため、常熟から車で3時間かけて上海へ行く。ぼくがトレーニング・マシンに横たわり、郭品超がそばで声を上げている“5回やって、また5回する”。永遠に終わりはない、すごくいい苦しみだ。でも、郭品超は厳しい先生の姿で“こうやってようやく進歩するんだ”とぼくを教育する。

問:あなたはデビューして数年健康を保っていますが、スポーツジム通いがその秘訣なのですか?

P:ぼくの秘訣は運動だね。運動は自分の若さを保ってくれる良い方法だよ。もちろん、気持ちが沈んでいて、物事を悲観的に考えていたら、彼の眉間にはずっとしわができる。だれもがそういう性質ではないよ。

衣料品で400斤の重さがあるが必ず自分で運ぶんだ、それが力を生み出す

問:先日あなたが四川へ募金活動と震災救援物資を送る活動に参加したというニュースを見ました。

P:沈健宏、游鴻明、陳怡蓉ら多くの芸能人と一緒に四川の被災地へ行ったよ。全部で3日間、1日目は重慶で街頭募金活動をし、すごく感銘を受けた。収入の高低を問わず、だれもができるだけ寄付しようとしてくれた。それに歩けなくて友だちに助けられお金を入れてくれたお年よりもいた。二日めは、彭州紅十字センターへ物資の運搬に行った。そこにはすごくたくさんの人たちからの善意の提供物資があった。

問:あなたたちはみな自分でそれらを運ぶのですか?

P:うん。自分で物資を下ろし、水、衣服、靴などそれらを必要としている人たちへ運びおろすんだよ。みんなすごく団結していて、寄付されたたくさんの衣料品や身の回りの品物などが400斤くらいの重さとなっている。それらを全部みんなで心を合わせ協力して運び上げ。また運びおろすんだ。ぜったい自分で運ばなきゃならない、それが力となり、みんなの団結をつくりあげるんだ。

問:最も被害がひどかった被災地の人たちにどんなことを話しましたか?

P:(腕を上げてガッツポーズを作り)被災地の人たちに強くあって欲しい、世界各地の人たちは皆あなたたちを励まし、あなたたちを手助けする方法を考えている、あなたたちの心に残る傷がはやく癒されますように、子どもたちがはやく暗闇から抜け出し、明るい希望を見られますように。

問:被災地から戻り、心の中にはきっと多くの感銘が刻まれたと思います。

P:被害がひどい被災地彭州で、家が壊れ、家族が死傷し、しかし、子どもたちがたくましく笑っているのを見たよ。ぼくが来た成果もしれないけど、あれは子どもたち自身がたくましいためだと思う。この後、自分がどれだけ多くの困難に出会っても、どんなときも強く生きていけると思うよ。今回四川であらゆる不幸を見た後、ぼくは彼らのためにもっとたくさんのことをできればと思っている。

問:あなたと游鴻明は被災地の人たちに捧げる曲を歌ったそうですね。

P:その歌は、今月12日に発表するんだ。偉大な母親の愛を賛美する歌だよ。“5.12”大地震で、自分の子どもを助けるために自分の生命を犠牲にした母親がいる。救援隊が子どもを発見したとき、傍らの携帯電話に一行のメッセージがあった。それは子どもが成長しても、ママが彼を愛しているということを忘れないでと願うものだ。子どもが成長してから、物心ついたときには既に孤児だ、母親の愛がかれを生かしていくのだ。このお母さんはとても偉い、ぼくと游鴻明はこの歌を合唱し、みんなに母の愛情の素晴らしさを訴え、母親を失った子どもがたくましく人生を歩み、また同時に母親の彼に対する愛をしっかり覚えているようにと励ましたいんだ。

チャン・ナラとは互いに助け合う友だちだ

問:マネージャーさんからうかがいましたが、チャン・ナラが台湾で行ったCD発売記者会に参加するため、あなたがメーデーの祝日に予定していた厦門の仕事をキャンセルしたそうですね?

P:一つのイベントをキャンセルしたよ。

問:あなたとチャン・ナラの関係はずっといろいろ噂になっていましたが、当事者として自分の口で何か説明できますか?

P:(とてもまじめに)ぼくらはずっと互いを助け合う友だちだよ。

問:そんなに簡単なのですか?

P:そうさ。ぼくと彼女の家族の関係はちっとも悪くない。でも、ぼくらは忙しくてお互いに顔を合わせる機会は少ない。また話をする機会もわずかだ。かえって彼女のお父さんと会うほうが多いくらいだよ。チャン・パパは彼女のマネージャーだから、あちこちに行くことが多く、時にはぼくらが上手い具合に顔を合わせ、話をしたりすることもあるんだ。あれらのぼくらに関する噂は全部単なるゴシップで正しくない、意地悪なメディアが話を捻じ曲げているんだ。

問:恋愛面では自分が現在どのような態度であり、以前と比べるとどう違っていると思いますか?

P:以前は愛情を渇望し、血気盛んだったのに比べると、今は、自然の成り行きに任せようと思う。そのとき人生の目標がはっきり定まってなかったから、仕事や夢にそんなに力をいれてなかった、だから、今と比べて、昔は恋愛にどっぷり浸れたんだと思う。

問:恋愛ではどんな挫折を受けたことがありますか?

P:(頭を振ってため息をつき)“暗い思い出”もあったなあ。18歳のとき、ぼくは二ヶ月間の漫画を描いて、彼女にプレゼントするつもりだった。そのとき二人ともカナダにいたけど、一人はバンクーバー、もう一人はトロントと、別れて暮らしていた。彼女の誕生日は11月だった、ぼくは9月から筆を執って美しいエピソードの物語を編集していたんだ。インスピレーションの想像が彼女の身の回りにまで漂い、その後二人は抱き合うという、とてもロマンチックなものだった。この漫画のストーリーのため、ぼくの頭は破裂しそうだった。でも大成功を収めるに後数日を残したとき、彼女は突然別れを切り出した。だから、このプレゼントも彼女に贈ることができず今もまだカナダに残っている。

問:それでは今後恋人のために漫画を描くことがありますか?

P:ないね。今後は、恋人にはぼくが出版した漫画を買ってもらわなきゃ。(笑)

終わりのオチ、最高~~!
さすが、Peter、だから大好きだよ。