今日はこの地域の特異な風習の一つ、「林田家先祖追弔法要」(先祖祭り)がありました。
林田姓の家が年に一度、4月のこの時期に集まってご先祖様の法要をする、というものです。ですが、集まった林田家の人々は、それぞれがどのような縁戚関係にあるのか、実はよくわかっていません(笑)。普段のお付き合いも、同じ集落でなければほとんど無い方々ばかりです。でも年に一度集まって、お経をあげます。
常行寺(浄土真宗)のご院下さん(僕ら門徒はご住職のことをゴインゲさんと呼びます)が、「先祖祭り」の意義をこうお話になりました。
「ここにお集まりの方々は、何百年も前に命を同胞として受けた、という縁があります。しかしその縁は何代も経ったいまでは薄いものかもしれません。ですがただ苗字が同じ、というだけではなく、信心を同じくしていることが大事なのだと思います」
…う~ん、なるほど…
「信心を同じくする」という言葉に感じ入りました。
94歳のおじいちゃんや90歳のおばあちゃん達と一緒に読むお経。普段の生活の中で忘れてしまっている言葉が、独特の音韻とともに身体に染み込んできます。
林田姓の家が年に一度、4月のこの時期に集まってご先祖様の法要をする、というものです。ですが、集まった林田家の人々は、それぞれがどのような縁戚関係にあるのか、実はよくわかっていません(笑)。普段のお付き合いも、同じ集落でなければほとんど無い方々ばかりです。でも年に一度集まって、お経をあげます。
常行寺(浄土真宗)のご院下さん(僕ら門徒はご住職のことをゴインゲさんと呼びます)が、「先祖祭り」の意義をこうお話になりました。
「ここにお集まりの方々は、何百年も前に命を同胞として受けた、という縁があります。しかしその縁は何代も経ったいまでは薄いものかもしれません。ですがただ苗字が同じ、というだけではなく、信心を同じくしていることが大事なのだと思います」
…う~ん、なるほど…
「信心を同じくする」という言葉に感じ入りました。
94歳のおじいちゃんや90歳のおばあちゃん達と一緒に読むお経。普段の生活の中で忘れてしまっている言葉が、独特の音韻とともに身体に染み込んできます。