若竹屋酒造場&巨峰ワイナリー 一献一会 (十四代目日記)

何が酒の味を決めるのか。それは、誰と飲むかだと私は思います。酌み交わす一献はたった一度の人間味との出逢いかもしれません。

四国八十八ヶ所巡り(第2回)

2008年07月26日 | 近ごろの十四代目
今回は2回目のお遍路です。前回は3月、まだ寒い早春の香川を走りましたが、今回は茹だるような暑さの中でした。汗をかきつつ11番藤井寺から19番立江寺まで9箇所を参りました。

12番焼山寺は「遍路ころがし」といわれる八十八ヶ所の難所の一つですが、バイクで登ってもかなりの急勾配に苦労します。歩き遍路の場合は男性でも6時間は山道を歩くそうです。山奥に立派なお堂が建っているの見ると感心しますし、歩き遍路さんに出会うと自然に頭が下がります。

お遍路は札所でお参りをする手順が一緒で、これを一日に何度も繰り返します。また僕のお遍路は、次なる札所への移動また移動の繰り返しでもあります。この「繰り返し」と「移動」は僕にとって色々な効用がありました。

まず繰り返すことで、シンプルになるというか、思考の無駄がどんどん削げ落ちる感覚があります。手を合わせて考えることが、どんどんシンプルになっていくんですよね。「願い」とか「祈り」とか言っても、自分の中の欲求や欲望が形を変えたものだったりしてました。ところが「繰り返す」と、この欲求みたいなのが、何だか削り取られていってその内側にある感情や感覚が出てくる。核を取り出すような感じかな。これが面白かったです。

ところが、「移動」は逆。「祈りの繰り返し」が感情の核に迫る感覚とするなら、移動中はその核から感情や思考が展開する時間だったりするんですよね。なんか感覚も鋭敏になってるのか、運転中の視覚情報が凄くたくさん入ってくる。つまり、何でも気づいちゃうんですよ。(あ、2台先のあの車、多分ここで左折するな)なんて分かっちゃう。無意識のうちに、車の挙動と運転手の視線の動きなどからそうと判断するのだろうけど、とにかく何でも見えてる感じになる。

それと同時に、思考がめぐるんですよ。あれやこれや、とにかく色々と考える。考えた事が、どんどん勝手に(笑)展開していって、思いもよらない事を考えていたりして…。あれって一種の躁状態なのかな。

まあとにかく、そんな感じでお遍路を続けているわけなのですよ。

画像は19番立江寺


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