オレンジ色の紫陽花

携帯から軽快に綴るおいらの日々。
…だったのだが、ツイッターのまとめブログに変更。極稀にこっち単独の記事もある、かも。

あかんべえ(上・下)

2007年01月20日 11時25分38秒 | ほぼ、文庫本
あかんべえ(上・下)/宮部みゆき/新潮文庫

通勤のお供に読み始めて、二日間の往復で上巻の残り2頁まで読んだ。
ら、どうにも止まらなくなって、ついに夜更かしをしてしまった。
それでも足りなくて、早起きして漸く読了。こんなん久し振り!

解説で菊地秀行がいうように、この本全編にあるのは「健気」というものだ。
それだから宮部みゆきの(本書に限らず近頃目にする作品の)主人公は子どもなのかなと思った。
まだきっと白目は青く澄んでいて、見るものをまっすぐに写し返す。
そういう目を持ち、そこに写ったものをそのまま受け取る、それが健気というものではないか、と。

長編故にちょっと説明くさく、冗長に感じるところもあるけど、そこはやはり長編だから!
下巻の後半で、事件が解決に向かい、それにつられるようにして
本書全体の大きな事件と、その中に埋め込まれた、その根底に根を張る、人間の業、
というものの後始末に繋がって大団円、という展開がすごい。
ついて来いよ!と叱咤する声がしそうだ。これをしっかり読まなきゃ駄目だよ、と。
上巻の冗長感はここで帳消しだ。そうか、これを書くための前振りか、と。

おりんはどこまでも健気でまっすぐだ。
生まれ落ちてすぐの赤ん坊は誰でも等しくそうであるように。
が、それを貫き通せる人は稀だ。ほとんど有り得ない。
が、皆無ではない。
でも、自分自身は既にそうではない。
けれど、まだ、そこに向かうことは出来、近付くことが出来る!と思わせる本。
ややこしい書き方だが、そういう風にこれこれの反対、の反対、の反対、の反対、の…
と揺れ動くところもまた、人間の業と言えるかもしれない。

作者が書いている。
どうしてそんなことが起こるのだろう。どうして幼くして死ぬ子がいるのだろう。どうして人殺しがあるのだろう。どうしてそれを、仏さまはお許しになるのだろう。
「おりん、ついてくるなぁ!」お梅は声を嗄らして叫んだ。「大っ嫌いなおりん、おまえは生きているんだから!」
そうだ。おりんは生きている。生かされている。今まで、ずっと。これからも、ずっと。

涙がじんわり、きた。

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