オレンジ色の紫陽花

携帯から軽快に綴るおいらの日々。
…だったのだが、ツイッターのまとめブログに変更。極稀にこっち単独の記事もある、かも。

12歳たちの伝説

2007年01月21日 23時05分33秒 | ほぼ、文庫本
12歳たちの伝説/後藤竜二/ピュアフル文庫

キーワード/ピュアフル文庫、学級崩壊、12歳、ゴリちゃん

キーワード、少なっ。
まあ、今になって後藤竜二を文庫本で読むことになろうとは。
この人の本は、小学生のおいらにとって、結構ストレートにすとん、ときた本でした。
初めて読んだのは「算数病院事件」だったかな。
学級文庫にあったような気がする。で、「あじさい学級の歌」かな、それも読んだな。
他にも岩波新書?だかなんだかで「俺たちの今日」とか、タイトルはもう忘れたけど、読んだよー。
当時、児童文学ってもっとこう、女の子向けみたいな、そうでもないかもしれないけど、なんだろうな、もっとひらひらした印象があって、読みながら、いやー面白いっちゃ面白いけど、なんか違うよなー、んーー、みたいに思ってたおいらにとって、この人の本は、骨太な感じがして、好きでした。
確かね、母とともに(ていうか、連れられて)講演会にも行ったよ。で、サインもらったよ!…今でも里のどこかには、ある、…はずだ。

で、この本だよ。
まず、帯のコピーに呼ばれました。曰く

子どもたちが無残に死んでいく
現場に立ち向かう、たくさんの言葉。
紛い物のない本はいつだって痛い。
(原文まま)

あさのあつこが解説で書いてたものをそのまま抜粋していた。
本屋でそれを目の端で捉えた瞬間、おいらの手にはこの本があった。

この本が全てだとは思わないし、リアルであるかどうかも問わない。
ただ、こういう本が書かれるということについて、ちょっと考えてみようかなと思う。
勿論、上にあげた帯のコピーにもどきりとした。
作家は人間であるし、その道のプロであるし、本を書くのは飯の種である。
だからまったく身の内にない言葉や思いは書けないだろうと思うし、
対社会という視点で見てまったく必要とされない、そんな気配すらないような事柄は本にはしないと思う。なぜなら、作家にとって本とは「商売道具」であるから。
それを踏まえて、言う。

――読め。
子どもも、大人も、少し前の子どもも、親も、教師も。
ただ、読め。

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