1963年に石川県能登半島沖で漁に出たまま失踪し、その後北朝鮮で生活し死亡した寺越外雄さん(拉致被害時24歳)の遺族たちが外雄さんの失踪が拉致だったと認定した上で北朝鮮にいる妻と子供2人も拉致被害者家族と認めるよう、日本の遺族たちが鳩山由紀夫総理大臣宛てに要請しました。
要請を行なったのは外雄さんの兄をはじめとする親族と家族会・救う会です。
寺越外雄さんは失踪後、1987年に日本に送った手紙から北朝鮮での生存が確認されましたが、1994年肺がんのため北朝鮮で死亡したとされています。
外雄さんの親族たちは、現在も北朝鮮で暮らす外雄さんの妻・韓福生(ハン・ポクセン)さんと長男・長女について
「拉致被害者家族として認定し、保護すべき日本人として北朝鮮側と交渉して欲しい」
と要望。鳩山首相宛ての要請書を外務省・法務省と中井 洽拉致問題担当大臣に提出しました。
※1980年代末、金正日政治軍事大学のオ・グホ教官は学生たちの前で寺越事件について
「オレがやった。オレが日本人拉致の元祖だ。オレがいるときにたくさんやった。ここ(大学)にいる日本人(拉致被害者)はみんな知っている」
と発言した。
寺越外雄さんについては【みんな生きている】寺越外雄編をご覧下さい。
要請を行なったのは外雄さんの兄をはじめとする親族と家族会・救う会です。
寺越外雄さんは失踪後、1987年に日本に送った手紙から北朝鮮での生存が確認されましたが、1994年肺がんのため北朝鮮で死亡したとされています。
外雄さんの親族たちは、現在も北朝鮮で暮らす外雄さんの妻・韓福生(ハン・ポクセン)さんと長男・長女について
「拉致被害者家族として認定し、保護すべき日本人として北朝鮮側と交渉して欲しい」
と要望。鳩山首相宛ての要請書を外務省・法務省と中井 洽拉致問題担当大臣に提出しました。
※1980年代末、金正日政治軍事大学のオ・グホ教官は学生たちの前で寺越事件について
「オレがやった。オレが日本人拉致の元祖だ。オレがいるときにたくさんやった。ここ(大学)にいる日本人(拉致被害者)はみんな知っている」
と発言した。
寺越外雄さんについては【みんな生きている】寺越外雄編をご覧下さい。