もずの独り言・goo版

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【みんな生きている】姜哲煥編

2011-05-31 06:20:50 | 日記
《極悪北朝鮮を象徴する強制収容所。その強制収容所を姜哲煥記者が斬る!》

国際赦免委員会は1990年、北朝鮮の1級政治犯収容所・平安南道勝湖里の26号政治犯教化所の存在を世界に暴露した。当時、この収容所にはノルウェーで拉致されたコ・サンムン氏や在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の元幹部を含む多くの北送者、元政府高官たちが数多く収容されていた。
報告書の公表に慌てた北朝鮮は実名が公開された複数の政治犯を釈放し、残りは別の収容所に移す等してこの収容所を閉鎖した。1冊の報告書が収容所を閉鎖に追い込み、金正日(キム・ジョンイル)政権に極度の不安を与えたというわけだ。
当時、北朝鮮では近所の住民がある日突然姿を消すことはあったが、どこの収容所でどのように過ごしているのかという情報はほとんど知られることはなかった。
金総書記も収容所の存在が外部に知られることを極度に懸念していた。1992年に記者とアン・ヒョク氏は耀徳(ヨドク)収容所の存在を世界に知らせる2回目の記者会見に臨んだ。のちに脱北した後輩たちから聞いた話によると、この会見で北朝鮮全土は再び衝撃に包まれたという。耀徳郡の保衛部や保安部の幹部たちは記者の脱北を防げなかった罪で首が飛び、収容所の警備担当者には超非常警戒態勢を敷かせた。さらに、中・朝国境近くにあった複数の収容所は極秘の状態を維持することが難しくなったとして閉鎖され、いずれも内陸に移された。
その後、1994年には北朝鮮最大の政治犯収容所・咸鏡北道会寧にある22号収容所の警備兵だった安明哲(アン・ミョンチョル)氏が武器を手に中国に脱出するという事件が発生した。当時、北朝鮮の保衛部は安氏の身柄を拘束するため安氏を犯罪者に仕立て上げて中国の公安(警察)当局にも協力を依頼し、多くの保衛部員を現地に派遣したが最終的に安氏は韓国大使館に逃げ込むことに成功した。
安氏の会見を通じてこれまで存在自体が知られていなかった会寧収容所の秘密が完全に暴露された。会寧収容所のすぐ隣には生体実験が行われた疑いのある秘密病院があり、また核実験が行われた吉州郡万塔山の秘密工事現場には多くの政治犯が動員されていたことがわかった。さらに、会寧収容所とその近くの化城収容所は一度入ったら二度と出られない「完全統制区域」だったこと等も明らかになった。
1997年に亡命した金総書記の元警備員のイ・ヨングク氏によると、耀徳収容所では外部からの査察に備えて政治犯たちはトンネルを掘らされ、そこに身を隠す訓練を強制させられていたという。
数百万人の餓死者を出す等、体制そのものがすでに崩壊寸前の危機にある北朝鮮は外国からの支援を受ける際には人権問題での圧力を最も警戒し、それに対する備えを徹底していた。
金大中(キム・デジュン)政権の5年間に北朝鮮は「人権」という言葉を一切口にせず、また、廬武鉉(ノ・ムヒョン)政権は国連が2003年に初めて上程した北朝鮮人権決議案を棄権した。このような状況が続く中、金総書記は自らが持つ犯罪施設に対する道徳的な感覚さえ麻痺してしまったようだ。
数日前に国際赦免委員会が公開した耀徳収容所の最近の写真を見ると、政治犯を管理する保衛部と警備隊の幕舎の数が10年前に比べてかなり増えていた。そのため、収容所の規模が縮小どころか逆に拡大しているのは間違いない。
北朝鮮が政治的に変化しているかを判断するにあたり、最も重要なポイントは強制収容所の実態で、収容所が閉鎖されない限り金王朝に根本的な変化が起こらないのは明らかだ。
そのため、対北朝鮮政策では収容所の閉鎖に優先順位を置いて進めなければならない。

【北送者】
帰国事業等で北朝鮮に行った人。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者の手記集より)

【みんな生きている】姜哲煥編

2011-05-30 05:29:22 | 日記
《脱北者のために戦ったホン・ジンヒさんは韓国政府から犯罪者扱いをされた。この問題を姜哲煥記者が斬る!》

2004年10月25日午前3時。
中国・北京の通州区にあるマンションに約100人の武装した公安(中国の警察)が押し寄せた。マンションは修羅場となり、北京の日本大使館に駆け込むために隠れていた脱北者60人が逮捕された。
駆け込み事件を首謀した脱北者ホン・ジンヒさん(42歳)は辛うじて逃れたが、結局瀋陽で捕まった。中国外務省は脱北者を大使館に駆け込ませてきた「蛇頭」(密入国斡旋組織)を逮捕したと発表した。このとき、ホンさんを支援してきたキム・ホンギュンさんやイ・スチョルさんたちはすでに逮捕されていた。
ホンさんたちが北京にある外国公館に脱北者を駆け込ませるという大胆な作戦を計画したのは、当時中国の公安が脱北者の取り締まりを強化してモンゴルルートや中国南方ルートが遮断され、追い込まれた脱北者が行き場を失ったからだ。
朝鮮人民軍特殊部隊出身のホンさんたちは2004年9月、北京の日本人学校に脱北者29人を、続いてカナダ大使館に44人を駆け込ませたことで国際社会の注目を集めた。さらに、駆け込みの様子を撮影したビデオ映像が世界のメディアに公開されたため中国当局を当惑させた。
これら駆け込み事件の主人公であるホン・ジンヒさんが6年に及ぶ中国での収監を終え、ソウルに戻って来た。

「日本人学校とカナダ大使館での事件後、脱北者を装ったスパイの潜入を防ぐために身元を徹底的に確認してキャンプに合流させた。しかし、その日の午前1時、ある脱北女性から緊急の電話があり、身元をきちんと確認しないままマンションに連れて来たのが災いの元になった」
(ホンさん)

その女性は脱北者に間違いなかったがすでに公安に買収されており、一緒に来た男性は中国の特殊要員だったという。

「まさに絶望的だった。仲間や脱北者たちが連行されたという知らせを聞き、どうすればいいのかわからなかった。妻はすぐに韓国に戻るように言ったが、仲間や脱北者たちを捨てて一人で逃げることは出来なかった」
(ホンさん)

逮捕されたあと、ホンさんは精神的に追い詰められて自殺を図ったこともある。だが、北朝鮮に連れ戻された脱北者たちのことを思い、強気を取り戻したという。
ホンさんは

「北朝鮮の監獄なら、すでに鞭で打たれて死んでいるところだが、それに比べると中国のほうが遥かにましだという思いが浮かんだ」

と振り返った。
韓国国籍を持つホンさんは6年間服役したあと韓国に戻って来たが、そこで再び絶望に直面することになった。逮捕当時1歳だった娘と妻が生活苦から海外に渡ったという話を聞いたのだ。

「家族に会いたい」

ところが、韓国政府は家族に会いたいというホンさんにパスポートを発給しなかったのだ。
ホンさんは

「中国で脱北者の手助けをして6年間も監獄暮らしを送ったのもひどかったが、韓国政府まで私を犯罪者扱いしてパスポートを出さないなんて話にならない。国際法に違反して脱北者を難民と認定せずに金正日(キム・ジョンイル)総書記のもとに強制送還する中国政府こそが犯罪集団であり、私は犯罪者ではない。韓国政府と国際社会は強制送還される脱北者たちに対し、これ以上知らないふりをしてはならない」

と語った。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者の手記集より)

【みんな生きている】チョン・ヨンスさん

2011-05-29 08:37:40 | 日記
《北朝鮮、チョン・ヨンスさんを釈放》

北朝鮮が昨年11月から抑留してきた韓国系アメリカ人のチョン・ヨンス牧師について、朝鮮中央通信は5月27日、裁判にかけることなく釈放することが決まったと報じた。
朝鮮中央通信はこの日、「朝鮮を訪問したロバート・キング人権担当特使がアメリカ政府を代表して事件発生に遺憾の意を表明し、再発防止のため最善を尽くすと語った。これに先立ちカーター元大統領やフランクリン・グラハム牧師も寛大な処分を繰り返し要請したことを考慮し、チョン・ヨンスを人道主義的見地から送還することにした」と発表した。
北朝鮮側は「チョン・ヨンスは自らの犯罪行為を率直に認めた」と語ったが、具体的な犯罪内容については明らかにしていない。
チョン牧師の釈放については、金総書記が中国滞在中に「6ヶ国協議の早期再開」を主張していたことと合わせ、米・朝対話を促すための措置だという分析がある一方、中国から期待していた経済支援が得られなかったことを受け、チョン牧師釈放によってアメリカから食糧支援等を受けようとする戦術だという解釈が出ている。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者の手記集より)

【みんな生きている】チャリティコンサート編

2011-05-28 20:20:14 | 日記
北朝鮮による拉致被害者と東日本大震災の被災者を支援しようというチャリティコンサートが、群馬県安中市で開かれました。
コンサートは、拉致被害者の横田めぐみさんの中学校時代の同級生で東京在住のバイオリニスト・吉田直矢さんたちが毎年開いているもので、今回は震災や原発事故で避難して来ている人たちにも招かれました。
始めに、横田めぐみさんの父親・滋さんが
「拉致問題は今、なかなか進展していない。被害者を救うには多くの国民の世論が必要だ」
と訴えました。
コンサートではめぐみさんの母親・早紀江さんが作詞した「コスモスのように」等が演奏されました。また、最後に演奏された「ラデツキー行進曲」ではおよそ600人の聴衆が手拍子をしながら拉致被害者の帰国を求めました。
福島県相馬市から安中市に避難して来ている70代の女性は
「音楽でとても癒されました。拉致問題も早く解決して欲しいです」
と話していました。
コンサートを主催した吉田直矢さんは
「めぐみさんたちの1日も早い救出を望みたい。また、音楽で地震に見舞われた人たちを少しでも元気づけられたらと思います」
と話していました。
コンサートの収益金は、拉致被害者や震災被災者の支援に役立てられます。



※「どの党の政権であろうと、誰が担当大臣であろうと、拉致問題は必ず解決する」
(中野寛成拉致問題担当大臣)

【みんな生きている】金総書記健康編

2011-05-28 19:37:42 | 日記
《「目の前の倒す相手は、昔よりも年老いてる」金総書記、健康に問題あり》

北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記(70歳)が中国・江蘇省揚州市内の大型スーパーを訪れた際、王燕文揚州市長に脇を支えてもらいながら歩いていたことが確認された。
金総書記は訪中4日目の5月23日午後2時30分頃、宿泊先の揚州迎賓館に近い大型スーパー・華潤蘇果を訪れた。
華潤蘇果の従業員たちは

「約70人が金総書記とともに2階の食料品コーナーに向かった。金総書記は体の自由が利かなかったのか、王市長に右腕を支えてもらいながら歩いていた」

と話している。金総書記は約20分間にわたりこのスーパーを視察して迎賓館に戻ったが、金総書記はホテル内部を移動する際もVIP用カートを利用していたという。
金総書記が宿泊した揚州迎賓館の別棟・首芳園従業員は

「金総書記は首芳園の入口から客室に入るとき、足を引きずりながら歩いていた。体がとても不自由なように見えた」

と証言している。
一方、迎賓館では金総書記と江沢民前国家主席(84歳)との会談が行われなかったことがわかった。
しかし、韓国情報当局は金総書記が2泊3日にわたり揚州を訪問していた間に江前主席と対面した可能性が高いと見ている。



※金総書記の健康問題については、過去の【みんな生きている】をご覧下さい。