もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】番外編

2010-02-11 22:33:12 | 日記
良寛と弟子の貞心尼を供養する法要が2月11日、新潟市中央区の瑞光寺で営まれました。
良寛愛好家たち約80人が集まり、多くの和歌や書を残し清貧で欲にとらわれない生き方を貫いた名僧の遺徳を偲びました。
この日は貞心尼の命日で、良寛が亡くなった日にも近いことから「新潟良寛会」が二人の位牌がある瑞光寺で毎年法要を執り行なっています。
今年は良寛の180回忌の節目で、貞心尼の139回忌に当たります。



※良寛さ~ん♪

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【みんな生きている】金敬姫・張成沢編

2010-02-11 15:37:11 | 日記
《もしものときはやっぱり身内?金総書記の現地指導に金敬姫・張成沢夫妻の同行回数増加》

最近、金正日(キム・ジョンイル)総書記が現地指導を行う際、妹の金敬姫(キム・ギョンヒ)軽工業部長とその夫の張成沢(チャン・ソンテク)行政部長が夫婦揃って随行するケースが急増している。昨年、金敬姫・張成沢夫妻が金総書記の現地指導に同行した回数は北朝鮮の公式報道を基準にすると12回。このうち10回は貨幣改革以後の昨年12月に行われた。今年に入ってからは6回同行している。
2月9日夜、朝鮮中央通信が金総書記の咸興2・8ビナロン連合企業所(ビナロンは合成繊維)の現地指導を報じた際も「金敬姫部長と張成沢部長が同行した」と伝えた。
韓国政府当局者は

「最近の金総書記の現地指導写真や動画を見ると、金敬姫・張成沢夫妻がほとんど例外なく登場する」

と語った。
金総書記の唯一の同腹として血肉を分けた金軽工業部長は2003年9月の最高人民会議第11期代議員たちとの記念撮影を最後に姿を見せなくなったが、昨年6月に咸鏡南道の共同農場を訪問した際に再び姿を現した。
北朝鮮消息筋によると

「空白の期間中、金敬姫氏はアルコール中毒やうつ病に苦しんでいた」

という。これに夫・張行政部長との不仲や長女のチャン・グムソン氏の自殺が重なった。
韓国国防研究院・安保戦略研究センターの白承周(ペク・スンジュ)センター長は

「金総書記は脳出血で倒れたあと、『信じられるのは家族だけ』と考えているようだ」

と語った。
また、韓国慶南大学の梁茂進(ヤン・ムジン)教授は

「老いた証拠」

と語った。
「金王朝」の権力世襲過程で、少なくとも家族は裏切らないだろうという信用が下敷きになっていると考えられる。
また、金総書記が現地指導中に突然死去したり、意識不明に陥ったりした場合に「遺訓のでっち上げ」という非難が出ることを防ぐために金敬姫・張成沢夫妻を同行させているという分析も出ている。後継者と考えられて来たジョンウン氏はまだ20代半ばのため、金総書記の身に突然問題が発生した場合に「遺訓統治」は避けられない。その際、側近たちの間で話が食い違えば混乱が生じるおそれがある。
北朝鮮消息筋は

「家族2人で遺訓を聞いておけば、でっち上げという非難は出ないだろう」

と語った。



※目の前の倒す相手は、昔よりも年老いてる。
張行政部長については過去の【みんな生きている】をご覧下さい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【みんな生きている】金東植編

2010-02-11 11:10:35 | 日記
去る1月27日、韓国で「故・金東植(キム・ドンシク)牧師拉致10周年及び北朝鮮の拉致犯罪を糾弾する国民追慕式」が開かれた。
その国民追慕式の概要、声明とともに公開された拉致日誌及び拉致犯について自由北朝鮮放送ニュースより紹介する。
以下の記事は、キム・ウンホ記者により
「故金東植牧師拉致10周年国民追慕式が開かれる 拉致日誌及び拉致犯の名簿公開 国民の世論を一つに集約させ、民間との役割分担をすることによって自国民を保護すべき」
をタイトルとして発表された。

◆韓国で故・金東植牧師拉致10周年国民追慕式

1月27日午前、ソウルの汝矣島にある国会議員会館の小会議室で「故・金東植牧師拉致10周年及び北朝鮮の拉致犯罪を糾弾する国民追慕式」が開かれた。
この日の追慕式は、
北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟(IPCNKR.共同常任議長/黄祐呂=ファン・ウヨ)
反人道犯罪調査委員会(代表顧問/キム・ヒョンウク)
韓国障害者宣教団体総連合会(代表/チョン・グォン)
キリスト教社会責任(共同代表/ソ・ギョンソク)
が共同主催した。
追慕式には、ハンナラ党の元裕哲(ウォン・ユチョル)議員、自由先進党の朴宣映(パク・ソンヨン)代弁人をはじめとする多くの政界人士と人権団体、キリスト教団体関係者及び送還拉致者である高明燮(コ・ミョンソプ)脱北拉北者協議会会長とイ・ジェグン副会長などが参加した。
IPCNKRの共同常任議長でハンナラ党議員の黄祐呂氏は、挨拶で「金牧師の拉致に関する証言をすでに確保したにも関わらず、北朝鮮はまだ拉致被害者がいる事実さえを否認している。また、韓国政府も消極的な立場を捨てずにいる」と指摘した。
黄議員は「政府が存在する最も重要な目的は、国民の生命と安全を保障することだ。約560人に及ぶ韓国軍捕虜をはじめ、拉致被害者500人余りが帰って来られるように、我々は最善を尽くさなければならない」と強調した。
ハンナラ党のイ・ジュヨン議員も「韓国政府はこれまでの態度を変えるべきだ。北朝鮮の反人倫的な行動を国際社会に知らせ、金牧師のお墓の公開及び遺骸の返還を要求すべきだ」と訴えた。
また、「政府は自国民が拉致され生命を失うことが生じる場合、最後まで我が国民を探し出すという姿勢を示さなければならない」と付け加えた。
反人道犯罪調査委員会の李東馥(イ・ドンボク)顧問は追慕文で、「韓国政府は北朝鮮に主張すべきことは主張し、そのためにあらゆる手段を使わなければならないが、今まではそのようなことが出来なかった。今回の金牧師の10周年記念式は、我が政府が行うべきことが出来るようにするため、鞭撻する一つの契機になるべきだ」と主張した。
この日、式を主催した団体は声明書を発表し、「韓国政府は北朝鮮当局に、金東植牧師を含めた韓国人拉致に対する公式的な謝罪と再発防止を要請すべきだ」と述べながら、「韓国人拉致の責任者に対する正式裁判を行なえ」と訴えた。
さらに、「韓国政府は、北朝鮮が犯した韓国人拉致問題の解決のために国民の世論を一つに集約させ、民間団体と役割分担することによって自国民保護のための対策を講ずるべきだ」と強調した。

故・金東植牧師は、2000年1月16日に中国の延吉市内の飲食店で、脱北者を装った北朝鮮の工作員と朝鮮族の工作員によって拉致された。拉致された後、直腸癌と拷問の後遺症のため2001年2月中旬頃に死亡したと知られている。



声明書 金東植牧師拉致の10周年を迎えて

今から10年前である2000年1月16日、中国の延吉で北朝鮮の工作員によって金東植牧師が拉北(韓国人拉致のこと)された事件が発生し、最近には金東植牧師の拉致に直接加担した北朝鮮の工作員が我が国当局によって調査を受けていることが、マスコミで報道されたところである。
北朝鮮当局は、金東植牧師の強制的な拉致の事実を隠すため、義挙越北及び共和国(北朝鮮のこと)に対する称賛など、多角的な方法で思想的転向を要求したが、金東植牧師はこれを頑強に拒否し、結局放置された状態で、拉致された翌年である2001年2月の中旬頃に死亡したと知られている。
北朝鮮は金正日(キム・ジョンイル)の指示によって全世界を対象に外国人を拉致してスパイ養成事業に投入し、韓国人に対してはKAL機(大韓航空機)の空中拉致をはじめ、生業に従事していた数多くの漁夫たちを拉致しており、さらには脱北韓国人と宣教師らを拉致するという反人倫的な蛮行を犯したことが満天下に明らかになっている。
去る2002年の日本との首脳会談で、北朝鮮当局は日本の総理(小泉純一郎氏)に対して、日本人拉致の事実を認め、公式に謝罪するとともに生存者を日本に帰したが、韓国人拉致については今まで自進越北したという主張だけ繰り返しており、生死確認さえ拒否することで、我が国民と歴史の前で許されない犯罪を恣行していることが事実である。
金東植牧師の拉致10周年を迎えて今、北朝鮮当局によって強制的に拉北されたことやその反人倫犯罪行為に対して、拉致と関連した全ての内容が公開及び謝罪されるべきであり、拉致被害者の原状回復はもちろん再発防止のため、韓国政府をはじめとする国際社会との協約が早急になされるよう、最善の努力を尽くすべきである。
なお、金東植牧師の拉致事件は他の拉致事件とは別個に、北朝鮮内部の核心工作チームを動かし進められた国家レベルの組織的な犯罪行為であることをはっきり認識し、我が政府は金牧師の拉北以後の行跡及び死亡過程に関する疎明資料などを、北朝鮮当局に対して積極的に要請することが求められる。

最後に我らは国民の名で政府に促求する。

韓国政府は北朝鮮当局に、金東植牧師の拉北及び韓国人拉致被害者に対する公式的な謝罪と再発防止を要請し、韓国人拉致の責任者に対する正式裁判を行なうことを要求すべきである。
さらに、韓国政府は北朝鮮が犯した韓国人拉致問題の解決のために国民の世論を一つに集約させ、民間団体と役割分担することによって自国民保護のための政府レベルでのロードマップも早急に構築することを強力に促求する。

2010年1月27日

北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟
反人道犯罪調査委員会
韓国障害者宣教団体総連合会
キリスト教社会責任



IPCNKR等が公開した故・金東植牧師の略歴及び拉致日誌

名前:金東植(許ギウォン)

生年月日:1947年10月10日

本籍:慶尚南道鎮海市余佐洞98番地

住所:ソウル特別市江東区明逸洞305-28

拉致前後の経緯:

1999年12月初旬、アメリカを訪問し家族と会った後、2000年1月7日、韓国に入国。
1月15日の夜、中国の延吉入り。

2000年1月16日(日曜日)12時頃、延吉市内の飲食店「エリム・プルコギ屋」でお昼を食べた後、一緒に食事をした脱北者ら(脱北者を装った人)と外出後、行方不明。

2000年1月17日、中国の公安当局に失踪申告。

2000年1月19日、韓国の外交通商部領事課に失踪申告。

2000年9月、韓国政府の拉致被害者名簿の発表資料に金東植牧師が含まれる。

2000年11月、平壌の某招待所で目撃されたという証言と政治犯収容所に収監などの非公式的な消息はあった。

2001年2月中旬頃、平壌の招待所で死亡したと推定される。

2001年4月以後、国家情報院との3回にわたって接触したが、生死確認に対する言及は避けられた。

2003年3月、北朝鮮の国家安全保衛部所属であったイ・チュンギル氏が金東植牧師と関連し証言。

2004年12月14日、国家情報院は、金東植牧師拉致事件を北朝鮮の工作員など10人近くの共犯らの介入によって組織的に行なわれたという手掛かりをつかみ、北朝鮮との関わりなどを集中捜査中であると明らかにした。
ソウル中央地検公安1部は、国家情報院が金東植牧師拉致事件の共犯の一人である中国朝鮮族の柳氏(35歳。北朝鮮の国家安全保衛部所属の工作員と確認された)を、国家保安法違反(会合、通信)と刑法違反(拉致、監禁)の容疑で拘束した。さらに、共犯らの身柄を追跡中であると明らかにした。

その他の拉致事件:

1997年8月15日
韓国から丹東経由で呉益済(オ・イクチェ)さんを拉致。
1999年9月17日
中国丹東からチャン・セチョルさんを拉致。
1999年9月某日
中国延吉からユン・イクフンさんを拉致。



※北朝鮮は本当にろくなことをしない。
さっさと拉致被害者を全員解放しなさい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする