もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】横田めぐみさん

2013-05-30 01:48:28 | 日記
北朝鮮の朝鮮労働党で外交を取り仕切る金永日(キム・ヨンイル)国際部長たち北朝鮮幹部が2010年5月、拉致被害者・横田めぐみさん(拉致被害時13歳)の娘で北朝鮮在住のキム・ウンギョンさん(ヘギョンさん)が日本以外の第三国に出国することを容認する意向を日本側に伝達していたことがわかりました。
北朝鮮側にはめぐみさんの父・滋さん、母・早紀江さんとウンギョンさんが第三国で初めて面会することを促す思惑があったと見られます。また、北朝鮮側は拉致問題の手詰まり状態を打開する狙いもあると見られ、今後の日・朝交渉の焦点となりそうです。
金永日国際部長は5月15日、訪朝した飯島 勲内閣官房参与とも会談しました。
北朝鮮筋は
「ウンギョンさんについての立場は一貫している」
としていて、飯島参与との会談でもウンギョンさんについて話し合われた可能性があります。
関係筋によりますと、北朝鮮側はまず2009年10月、当時の朝・日友好親善協会会長の金泰鐘(キム・テジョン)国際副部長が訪朝した民主党の川上義博参議院議員に対し、
「(ウンギョンさんを)日本以外ならどこに連れ出してもらってもいい」
と明言。さらに、2010年5月に再訪朝した川上議員と会談した金国際部長たち幹部が北朝鮮側の方針を確認しました。


■日本の主張が完全否定されるリスクも

ウンギョンさんの第三国への出国について、北朝鮮は拉致問題の決着に向けた「核心」(北朝鮮筋)との認識を持っています。日本政府は交渉には厳しい覚悟を迫られることになりそうです。
ウンギョンさんと滋さん・早紀江さんの面会を巡っては、昨年11月に滋さん夫妻の平壌訪問の可能性について日本政府が北朝鮮と非公式協議を始めていたことが判明しています。
2002年に北朝鮮が拉致を認めてからすでに10年以上が経過しましたが、解決には程遠い状況です。非公式協議は日本側も事態打開の道を模索した苦肉の策でしたが、滋さん夫妻の訪朝のハードルは高く、実現の見通しは全く立っていません。
ウンギョンさんが第三国に出国出来るのであれば、面会は容易になります。しかし、北朝鮮側がめぐみさんは「死亡した」とするのに対し、日本側は「死亡を裏付ける証拠は無い」として再調査と早期帰国を求めて対立する中、面会すればめぐみさんの安否の問題が話題になることは確実です。
めぐみさんは拉致問題の象徴的な存在。
娘のウンギョンさんの発言は極めて大きな意味を持ち、世論への影響も計り知れません。
日本の主張が完全否定されかねないリスクにも備え、拉致問題を今後どのように解決に導くのか、関係者が苦慮するのは避けられそうにありません。


■キム・ウンギョンさんとは?

ウンギョンさんはめぐみさんと韓国人拉致被害者(拉北者)・金英男(キム・ヨンナム)さんとの間に生まれました。
滋さん・早紀江さんとウンギョンさんとの面会は「拉致問題の幕引きに利用される」との懸念も強く、実現の可否について日本政府内で慎重に検討されましたが、実現には至っていません。
金国際部長との会談は鳩山由紀夫首相(当時)の了承のもとで行われ、会談の際には金正日(キム・ジョンイル)総書記宛ての親書を渡すことも検討されました。しかし、外務省が反対したため、親書を渡す代わりに鳩山首相の名前で「自ら訪朝する用意がある。訪朝が拉致問題を実質的に決着させる歴史的な契機になると確信している」とした文書を会談で読み上げたといわれています。
また、会談では北朝鮮側が経済制裁の一部解除を条件に、拉致被害者を巡る再調査委員会の設置を日本側に打診しました。


■「会うのは難しい」

横田めぐみさんの母・早紀江さん(77歳)は5月28日、孫のウンギョンさんについて
「会いたいという思いはあるが、拉致問題が進展しない中では難しい。北朝鮮が何を考えているのかわからず、(ウンギョンさんを)利用している恐れもある」
と話しました。
また、父・滋さん(80歳)も
「政府から何も聴いていないのでわからない。会っても拉致問題解決にプラスになるかどうか不明だ」
と述べました。

【横田めぐみさん拉致事件】
新潟市内で1977年11月15日、当時中学1年生で13歳だった横田めぐみさんが下校途中に自宅近くで消息を絶ちました。
北朝鮮は2002年の日・朝首脳会談で拉致を認め、その際、「めぐみさんは娘を出産後、1993年に死亡した」と説明したものの、のちに「死亡は1994年」と変更しました。
2004年11月に北朝鮮側はめぐみさんの「遺骨」と称する人骨を提出しましたが、帝京大学法医学研究室のDNA鑑定で別人のものと判明しました。
一方、娘のウンギョンさんのDNAから韓国人拉致被害者(拉北者)・金英男さんとの結婚が確認されました。

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】ラオス脱北者追放編(1)

2013-05-30 01:44:28 | 日記
《ラオス政府、脱北者9人を北朝鮮へ追放》

「コッチェビ」と呼ばれる浮浪児・孤児出身の脱北者9人が中国国境を越え、5月10日にラオスに到着したものの、ラオス政府は9人を国外追放の形で北朝鮮の関係者に引き渡したことが、28日までに分かった。南北は脱北者9人がラオスに到着した直後からこれを認知し外交戦を展開したが、ラオス政府は北朝鮮側の言い分を聞き入れた。
北朝鮮は27日、脱北者の引き渡しを受けるなり、飛行機に乗せて中国に移送するという異例の措置を取った。このため「今回の脱北者の中に、韓国をはじめ他国に引き渡されてはならない人物が含まれていたのではないか」という見方も出ている。


■外交戦で北朝鮮に押された韓国

28日に脱北者団体などが発表したところによると、15歳から23歳までの男性7人、女性2人は、韓国人牧師夫婦の支援を受けて北朝鮮を脱出した。9人は今月10日、中国南部から国境を越えてラオスに入り、警察に捕まった。逮捕直後、牧師が在ラオス韓国大使館に救命を要請すると、大使館側は「我々が解決する。取りあえず外部には知らせるな」と語ったという。
牧師と9人の脱北者は、16日にラオスの首都ビエンチャンに移送された。これまでラオス政府は、脱北者を逮捕したら1~2週間以内に韓国側へ身柄を引き渡していたが、今回は過去の慣例に従わなかった。ラオス政府は27日、9人の脱北者を「出発地の近隣国(中国)」に国外追放した、と韓国大使館に事後通知した。
北朝鮮民主化ネットワーク等北朝鮮の人権に関する団体は

「脱北者が移民局に18日間収容されている間、在ラオス韓国大使館員は面会にさえ来なかった」

と発表した。
脱北者は27日午後、中国・雲南省の昆明に到着し、現在は北京に滞在中という見方もある。
ある消息筋は

「北朝鮮の外交官旅券を所持した数人が、脱北者と共に移動している。北朝鮮の当局者が直接護送しているものとみられる」

と語った。
北朝鮮側はラオスを離れる前、脱北者たちに合法的な旅行証明書や旅券等を持たせた。このため、9人は近く北朝鮮に送還される可能性が高いと懸念される。


■異例にも飛行機での送還許容したラオス。なぜか?

北朝鮮が脱北者問題に素早く介入し、9人の引き渡しを受けた後、飛行機に乗せて連れていったのは異例のことといえる。ラオス政府も慣例を破り、空港でそのまま飛行機に乗せていくことを許容した。
北朝鮮に詳しい消息筋は

「かつて金正日(キム・ジョンイル)総書記は、脱北者について『背信者はどこにでも行け』という態度を取っていたが、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党第1書記が登場した後、取り締まりや統制が強まった。在ラオス北朝鮮大使館は、こうした変化に合わせて熱心に動いているようだ」

と語った。
実際、韓国入りした脱北者の数は、金総書記が死亡した2011年には2,706人を記録したが、金正恩政権が発足した12年には1,509人に減り、今年3月の時点で320人程度にとどまっている。
今回の事件の背景には、北朝鮮とラオスの伝統的な友好関係もあるといわれている。
とはいえ今回の事件では、いつものように引き渡されると考えた韓国政府当局が安易な対応を行い、脱北者を北朝鮮送還の危機に陥れたと指摘されている。また、脱北者のおよそ9割が「北朝鮮→中国→ラオス(その後、タイまで行くケースもある)」ルートを利用していることから、今後脱北者の送還に少なからぬ問題が生じるのではないか、という指摘もある。
北朝鮮民主化ネットワーク等北朝鮮の人権に関する団体は、28日夕に声明を発表し

「韓国政府は一行が逮捕されたというニュースが伝えられても、18日間にわたって一行を放置し、速やかな措置を取らず、現在脱北者9人は生命を脅かされている。一行が北朝鮮に送還されたら厳しい迫害を受けることになるだろう」

と主張した。

【コチェビ】
家族や親戚等の身寄りがなく路上生活をしながら物乞いをする人を指す北朝鮮の表現。
「コチェビ」の語源は複数あるが、「流浪、遊牧、さすらい」という意味のロシア語「コチェビエ(кочевье)」に由来するというのが最も有力。
北朝鮮の外交官や海外駐在員たちは帰国後に必ず「思想総和」を行なわなければならない。1989年旧ソ連崩壊後、1990~1992年の間にロシアから帰国した北朝鮮の外交官たちは「旧ソ連が社会主義を放棄したことにより、人民生活が破綻し浮浪者が急増した。彼らを見て我々式(北朝鮮)社会主義を最後まで守らなければと確信した」という回答が流行した。
北朝鮮の外交官は小型ビデオカメラでロシアの浮浪者の姿を撮影し、ロシアの実態として説明したりもした。その際、「コチェビエ」という単語が北朝鮮の幹部たちに初めて紹介されたと伝えられる。
1995年の春、飢えに苦しむ地方住民が平壌に移動し始め、彼らの姿を見た幹部たちが「我が国にもコチェビエが誕生したか」と嘆き、一般住民の間に「コチェビ」という言葉が広く使用されるようになった。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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【みんな生きている】ラオス脱北者追放編(2)

2013-05-30 01:40:30 | 日記
《何故?在ラオス韓国大使館、脱北者9人をみすみす北朝鮮へ》

ラオス政府は5月27日、韓国に向かうため北朝鮮から中国を経てラオスにやって来た脱北者9人を中国に追放した。脱北者の内訳は15歳から23歳の男性7人と女性2人。北朝鮮を脱出してから中国で物乞いを続け、何とか生命をつなぎ止めてきたこの若い9人は、北朝鮮で「コッチェビ」と呼ばれる孤児たちだったという。その後の足取りについては、北朝鮮外交官の旅券を所持する人物に同行し、航空機でラオスを出国して中国の昆明空港に立ち寄ったところまでは確認できているが、そこからどこへ行ったのかは分からない。
ラオスはこれまで脱北者を発見すると、1週間から2週間ほど取り調べを行い、韓国行きを希望する場合は例外なく韓国に送っていた。
複数の脱北者支援団体によると、ラオス現地で脱北者の支援を行っていた韓国人夫婦はこの問題で

「韓国政府はただ待つように指示するだけで、何の対応も取ってくれない。ラオス駐在のアメリカ大使館の電話番号を教えてほしい」

と訴えていたという。
一方の韓国外交部(省に相当)は

「ラオス現地にいる韓国の外交官とラオス政府の公安関係者は毎日接触し、9人を国外に追放せず韓国に送るよう要請していた」

と説明している。
しかし、この説明を額面通り受け取ることはできない。
まず、密入国者の立場にある脱北者をこれまで例外なく韓国に送っていたラオス政府が、なぜ9人を突然追放したのか納得がいかない。外交部の説明が正しければ、韓国の外交官はラオス政府当局と毎日のように接触していたにもかかわらず、9人はある日突然追放されたことになるわけだ。要するに外交官の対応がそれほど杜撰だったということなのだろうか。
過去にも東南アジア各国の大使館等に駆け込んだ脱北者は、韓国の外交官の誠意のない対応や無関心に強い不満を訴えるケースが何度もあった。
また、9人がもし北朝鮮に送り返されていれば、見せしめとして処刑される可能性も高いだろう。
北朝鮮は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が権力を継承した直後から「脱北の根を消し去るために銃声を鳴り響かせよ」等と指示を下し、脱北の阻止に全力を挙げてきた。その影響で、韓国にたどり着いた脱北者の数も2011年にはおよそ2,700人だったのが、2012年には1,500人ほど、また今年も3月までの時点でわずか320人と一気に減少した。
金正恩氏の登場以降、自由を求める脱北者たちはまさに命懸けで柵の上を歩くような危険な状況に追い込まれている。韓国政府は直ちに国際社会の世論を動かし、彼らの処刑阻止に最大限の外交努力を傾けねばならない。
韓国政府はラオス政府が突然態度を変えて脱北者を追放した理由や、韓国大使館がこの兆候を事前に察知できなかった理由、さらに9人が拘束されてからの韓国大使館の対応が適切だったか等、今回の問題における全てのプロセスを徹底して解明し、再発防止に取り組まねばならない。
幼い同胞が北朝鮮を脱出し、中国で物乞いをしながら生き延びてきたという事情を聞くだけでも悲しくなり、罪の意識を感じるものだが、業務上のミスや怠慢で彼らを死地に追いやったとすれば、その罪はどのようにしても償うことはできないはずだ。

【コチェビ】
家族や親戚等の身寄りがなく路上生活をしながら物乞いをする人を指す北朝鮮の表現。
「コチェビ」の語源は複数あるが、「流浪、遊牧、さすらい」という意味のロシア語「コチェビエ(кочевье)」に由来するというのが最も有力。
北朝鮮の外交官や海外駐在員たちは帰国後に必ず「思想総和」を行なわなければならない。1989年旧ソ連崩壊後、1990~1992年の間にロシアから帰国した北朝鮮の外交官たちは「旧ソ連が社会主義を放棄したことにより、人民生活が破綻し浮浪者が急増した。彼らを見て我々式(北朝鮮)社会主義を最後まで守らなければと確信した」という回答が流行した。
北朝鮮の外交官は小型ビデオカメラでロシアの浮浪者の姿を撮影し、ロシアの実態として説明したりもした。その際、「コチェビエ」という単語が北朝鮮の幹部たちに初めて紹介されたと伝えられる。
1995年の春、飢えに苦しむ地方住民が平壌に移動し始め、彼らの姿を見た幹部たちが「我が国にもコチェビエが誕生したか」と嘆き、一般住民の間に「コチェビ」という言葉が広く使用されるようになった。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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【みんな生きている】古屋圭司編

2013-05-30 01:36:33 | 日記
古屋圭司拉致問題担当大臣は、閣議のあとの記者会見で、「政府の拉致問題対策本部が、拉致の実行犯を名乗る脱北者から事情を聴いた」と一部で報じられたことについて、内容の信憑性を含め慎重な検討が必要だという認識を示しました。
この中で、古屋拉致問題担当大臣は北朝鮮の拉致問題を巡って、「政府の拉致問題対策本部が、実行犯を名乗る脱北者から事情を聴いた」と一部で報じられたことについて、
「事柄の性質上、具体的にコメントすることは控えさせていただきたい。どうやって聴取したのかということもコメントを控えたい」
と述べました。
そのうえで、古屋大臣は
「信憑性については、ちょっと『クエスチョンマーク』が付くことがあるので、今後とも慎重に検討していく、これに尽きる。我々は具体的な証拠に基づいて、検討・捜査を進めていくというのが大前提だ」
と述べ、聴取の内容の信憑性を含め、慎重な検討が必要だという認識を示しました。

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍。
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
「救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

《特定失踪者・高 敬美さんについて》
※警察庁が北朝鮮による拉致と断定
◆氏名:高 敬美
(こう きよみ)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃
◆生年月日:昭和42(1967)年4月10日
◆性別:女性
◆当時の年齢:6歳
◆当時の身分:幼児
◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】
弟の高 剛さんとともに失踪。
2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基(コ・デキ)と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。
昭和48年6月頃、高大基が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。
工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られている。
この事件については朝日放送の石高健次氏が月刊『文藝春秋』平成12年12月号で明らかにした。
平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

《特定失踪者・高 剛さんについて》
※警察庁が北朝鮮による拉致と断定
◆氏名:高 剛
(こう つよし)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃
◆生年月日:昭和45(1970)年6月29日
◆性別:男
◆当時の年齢:3歳
◆当時の身分:幼児
◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】
姉の高 敬美さんとともに失踪。
2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基(コ・デキ)と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。
昭和48年6月頃、高大基が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。
工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られている。
この事件については朝日放送の石高健次氏が月刊『文藝春秋』平成12年12月号で明らかにした。
平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

《特定失踪者・渡辺秀子さんについて》
※警察庁が北朝鮮による拉致と断定した2児の母親
◆氏名:渡辺 秀子
(わたなべひでこ)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃
◆生年月日:昭和16(1941)年6月5日
◆性別:女性
◆当時の年齢:32歳
◆当時の身分:主婦
◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】
夫の在日朝鮮人工作員・高大基(コ・デキ)が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。
工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られていた(月刊『文藝春秋』平成12年12月号。石高健次氏の論考)。
平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。
しかし、遺体も見つかっておらず、拉致の可能性も否定できない。

《特定失踪者・尾上民公乃さんについて》
◆氏名:尾上 民公乃
(おのうえみこの)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年6月6日
◆生年月日:昭和41(1966)年11月26日
◆性別:女性
◆当時の年齢:20歳
◆身長:161cm
◆体重:49kg
◆当時の身分:スナックのアルバイト
◆失踪場所:大阪府南区(現中央区)心斎橋

【失踪状況】
5日午後11時30分頃、大阪市北区内のスナックへ行った後、友人の車に同乗。
その友人は午前3時50分頃心斎橋の路上に停車、エンジンをかけたまま尾上さんを助手席に残し、近くのビルの飲食店にいる知人と連絡をとりに行った。
その友人が約30分後に戻ると車ごと消えていた。
尾上さんは免許を取得したばかりで運転歴殆どなし。
翌朝、福岡市博多港の沖浜町中央埠頭東側岸壁から乗っていた車が海中に落ちるところを釣り人が目撃。
ドアはいずれも閉まっていたが助手席の窓は開いていた。
遺体は発見されていない。
車内には友人のセカンドバックがあったが、なくなっていた。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】中・朝関係編

2013-05-30 01:32:31 | 日記
《「血の同盟」から「普通のお付き合い」へ。王家瑞部長が韓国議員団へ語った本音》

5月20日から24日まで韓国の与野党国会議員10人と共に訪中した与党セヌリ党の兪奇濬(ユ・ギジュン)最高委員は27日、中国共産党の王家瑞対外連絡部長が「中国と北朝鮮は普通の国家間関係だ」と語ったことを明らかにした。
訪中議員団の団長を務めた兪最高委員は同日、セヌリ党最高委員会会合で

「王家瑞部長、孫政才・重慶市共産党委書記ら韓半島(朝鮮半島)問題を扱う中国側幹部と会ったが、中国の対北朝鮮外交にかなりの変化が感じられた」

と述べた。中国の党・政府幹部が韓国の国会議員に対し、対北朝鮮政策の変化を示唆する発言を行うのは異例だ。
兪最高委員は『朝鮮日報』紙の電話取材に対し

「王家瑞部長が北朝鮮の3回目の核実験以降の中・朝関係を説明した際、両国はもはや『普通の国家間関係だ』という表現を使った。北朝鮮は中国の言うことを聞かず、中国も北朝鮮をどうこうするのは難しいという趣旨だった」

と説明した。
訪中団の一員だった安圭佰(アン・ギュベク)国会議員(民主党)も電話取材に対し

「私が王家瑞部長に『中国がキーマンではないのか。北朝鮮に影響力を行使し、6カ国協議等に参加させるべきではないか』と尋ねたのに対し、王部長は『現在は中国よりもアメリカと韓国がキーマンだ』と答えた。何か変化が生じているようだ」

と語った。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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