《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!特定失踪者調査会代表ら、加藤拉致問題担当相と初面会》
【10月28日水曜日】
北朝鮮に拉致された可能性がある失踪者を調べている特定失踪者問題調査会の代表たちが加藤勝信拉致問題担当大臣と初めて面会し、「官邸との連携のもと、加藤大臣が日・朝交渉の責任者となってほしい」と要請しました。
「(日・朝交渉の立て直しを)大臣が主導して中心になってやっていただきたい。(加藤大臣は)対話と圧力、行動対行動、最後は首相の決断ですから、と」
(特定失踪者問題調査会・荒木和博代表)
加藤大臣と面会したのは、特定失踪者問題調査会の荒木代表たち5人です。
荒木代表たちは、
「官邸との連携のもと加藤大臣が交渉責任者となって日・朝交渉を立て直し、たとえ最初の帰国が数人でも進めることが大事だ」
「北朝鮮に圧力を与える意味でも総理と特定失踪者家族との面会を実現させてほしい」
等とする要請書を手渡し、文書での回答を求めました。加藤大臣は了解したということです。
「政府の拉致認定については、非認定者が拉致被害者でないことが、その後明らかになった場合には、そのことをもって北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」
(加藤勝信拉致問題担当大臣)
このあと、報道各社とのインタビューで加藤大臣は
「政府認定の有無に関わらず被害者の帰国を北朝鮮側に求めている」
としながらも、拉致認定を緩和すべきかどうかは慎重に対応すべきだとの考えを示しました。
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
【荒木和博・調査会代表の面会後の感想】
昨日(10月27日)私たちの面会の後、加藤拉致問題担当大臣は報道各社とのインタビューで「政府の拉致認定については、非認定者が拉致被害者でないことが、その後明らかになった場合には、そのことをもって北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」と語っています。
これは当然警察当局の見解をそのまま話しているわけですが、政府は松本京子さんが認定された平成18年11月以来なんと9年間、ただの1人も拉致認定していません。かといって拉致の実行犯を逮捕するわけでもなく、「法と証拠に基づいて」と言いながら何の結果も出していないのが正直なところです。
10月1日の松原 仁・元拉致問題担当大臣の会見を見るまでもなく、政府がすでに拉致は間違いないと認識しているケースが相当数あることは明らかです。一方北朝鮮は小泉訪朝まで一度も拉致をしたことはないと言ってきて、またその後もウソをくり返しているのですから、たとえ認定者から拉致でなかった人が出たところで「北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」などと気にする必要もないことは明らかです。
[松原 仁・元拉致問題担当大臣が在任中に生存情報に接した事案]
《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
(Susumu Fujita)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅
【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm
[松原 仁・元拉致問題担当大臣が在任中に生存情報に接した事案]
《特定失踪者・大澤孝司さんについて》
◆氏名:大澤 孝司
(おおさわたかし)
(Takashi O'sawa)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日
◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:新潟県佐渡市
◆当時の身分:新潟県佐渡農地事務所勤務
◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村
【失踪状況】
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
当時事務所には50人~60人が勤務、うち15人~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。
失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。
事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。
元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。
北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。
平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■大澤孝司さんと再会を果たす会HP
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/
■大澤孝司さんと再会を果たす会・巻高同窓会HP
http://www.makiko-doso.jp/osawa/profile.html
《特定失踪者・小野寺将人さんについて》
◆氏名:小野寺 将人
(おのでらまさと)
(Masato Onodera)
◆失踪年月日:平成3(1991)年7月19日
◆生年月日:昭和42(1967)年2月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:北海道登別市
◆当時の身分:ホテル勤務
◆身長:171cm
◆体重:60kg
◆特徴:
1)交通事故の後遺症で左目の視力がない
2)眼鏡をかけているかも知れない
3)アレルギー体質で喘息の発作を起こす
◆失踪場所:北海道富良野
【失踪状況】
富良野ラベンダー祭に登別駅からレンタカーで出発し、その後消息を絶つ。
1泊2日の予定だったがホテルが取れず車中泊。
同21日室蘭警察署に捜索願いを出す。
10月26日十勝岳中腹のホテルの駐車場でレンタカー発見。免許証は見つかっていない。
銀行預金も引き出されていない。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)
(拉致被害時23歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州にて失踪。
「よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.
【10月28日水曜日】
北朝鮮に拉致された可能性がある失踪者を調べている特定失踪者問題調査会の代表たちが加藤勝信拉致問題担当大臣と初めて面会し、「官邸との連携のもと、加藤大臣が日・朝交渉の責任者となってほしい」と要請しました。
「(日・朝交渉の立て直しを)大臣が主導して中心になってやっていただきたい。(加藤大臣は)対話と圧力、行動対行動、最後は首相の決断ですから、と」
(特定失踪者問題調査会・荒木和博代表)
加藤大臣と面会したのは、特定失踪者問題調査会の荒木代表たち5人です。
荒木代表たちは、
「官邸との連携のもと加藤大臣が交渉責任者となって日・朝交渉を立て直し、たとえ最初の帰国が数人でも進めることが大事だ」
「北朝鮮に圧力を与える意味でも総理と特定失踪者家族との面会を実現させてほしい」
等とする要請書を手渡し、文書での回答を求めました。加藤大臣は了解したということです。
「政府の拉致認定については、非認定者が拉致被害者でないことが、その後明らかになった場合には、そのことをもって北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」
(加藤勝信拉致問題担当大臣)
このあと、報道各社とのインタビューで加藤大臣は
「政府認定の有無に関わらず被害者の帰国を北朝鮮側に求めている」
としながらも、拉致認定を緩和すべきかどうかは慎重に対応すべきだとの考えを示しました。
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
【荒木和博・調査会代表の面会後の感想】
昨日(10月27日)私たちの面会の後、加藤拉致問題担当大臣は報道各社とのインタビューで「政府の拉致認定については、非認定者が拉致被害者でないことが、その後明らかになった場合には、そのことをもって北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」と語っています。
これは当然警察当局の見解をそのまま話しているわけですが、政府は松本京子さんが認定された平成18年11月以来なんと9年間、ただの1人も拉致認定していません。かといって拉致の実行犯を逮捕するわけでもなく、「法と証拠に基づいて」と言いながら何の結果も出していないのが正直なところです。
10月1日の松原 仁・元拉致問題担当大臣の会見を見るまでもなく、政府がすでに拉致は間違いないと認識しているケースが相当数あることは明らかです。一方北朝鮮は小泉訪朝まで一度も拉致をしたことはないと言ってきて、またその後もウソをくり返しているのですから、たとえ認定者から拉致でなかった人が出たところで「北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」などと気にする必要もないことは明らかです。
[松原 仁・元拉致問題担当大臣が在任中に生存情報に接した事案]
《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
(Susumu Fujita)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅
【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm
[松原 仁・元拉致問題担当大臣が在任中に生存情報に接した事案]
《特定失踪者・大澤孝司さんについて》
◆氏名:大澤 孝司
(おおさわたかし)
(Takashi O'sawa)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日
◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:新潟県佐渡市
◆当時の身分:新潟県佐渡農地事務所勤務
◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村
【失踪状況】
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
当時事務所には50人~60人が勤務、うち15人~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。
失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。
事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。
元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。
北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。
平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■大澤孝司さんと再会を果たす会HP
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/
■大澤孝司さんと再会を果たす会・巻高同窓会HP
http://www.makiko-doso.jp/osawa/profile.html
《特定失踪者・小野寺将人さんについて》
◆氏名:小野寺 将人
(おのでらまさと)
(Masato Onodera)
◆失踪年月日:平成3(1991)年7月19日
◆生年月日:昭和42(1967)年2月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:北海道登別市
◆当時の身分:ホテル勤務
◆身長:171cm
◆体重:60kg
◆特徴:
1)交通事故の後遺症で左目の視力がない
2)眼鏡をかけているかも知れない
3)アレルギー体質で喘息の発作を起こす
◆失踪場所:北海道富良野
【失踪状況】
富良野ラベンダー祭に登別駅からレンタカーで出発し、その後消息を絶つ。
1泊2日の予定だったがホテルが取れず車中泊。
同21日室蘭警察署に捜索願いを出す。
10月26日十勝岳中腹のホテルの駐車場でレンタカー発見。免許証は見つかっていない。
銀行預金も引き出されていない。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)
(拉致被害時23歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州にて失踪。
「よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.