もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】特定失踪者問題調査会編[大臣面会]/JNN

2015-10-29 18:52:35 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!特定失踪者調査会代表ら、加藤拉致問題担当相と初面会》

【10月28日水曜日】
北朝鮮に拉致された可能性がある失踪者を調べている特定失踪者問題調査会の代表たちが加藤勝信拉致問題担当大臣と初めて面会し、「官邸との連携のもと、加藤大臣が日・朝交渉の責任者となってほしい」と要請しました。

「(日・朝交渉の立て直しを)大臣が主導して中心になってやっていただきたい。(加藤大臣は)対話と圧力、行動対行動、最後は首相の決断ですから、と」
(特定失踪者問題調査会・荒木和博代表)

加藤大臣と面会したのは、特定失踪者問題調査会の荒木代表たち5人です。
荒木代表たちは、

「官邸との連携のもと加藤大臣が交渉責任者となって日・朝交渉を立て直し、たとえ最初の帰国が数人でも進めることが大事だ」
「北朝鮮に圧力を与える意味でも総理と特定失踪者家族との面会を実現させてほしい」

等とする要請書を手渡し、文書での回答を求めました。加藤大臣は了解したということです。

「政府の拉致認定については、非認定者が拉致被害者でないことが、その後明らかになった場合には、そのことをもって北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」
(加藤勝信拉致問題担当大臣)

このあと、報道各社とのインタビューで加藤大臣は

「政府認定の有無に関わらず被害者の帰国を北朝鮮側に求めている」

としながらも、拉致認定を緩和すべきかどうかは慎重に対応すべきだとの考えを示しました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015

【荒木和博・調査会代表の面会後の感想】
昨日(10月27日)私たちの面会の後、加藤拉致問題担当大臣は報道各社とのインタビューで「政府の拉致認定については、非認定者が拉致被害者でないことが、その後明らかになった場合には、そのことをもって北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」と語っています。
これは当然警察当局の見解をそのまま話しているわけですが、政府は松本京子さんが認定された平成18年11月以来なんと9年間、ただの1人も拉致認定していません。かといって拉致の実行犯を逮捕するわけでもなく、「法と証拠に基づいて」と言いながら何の結果も出していないのが正直なところです。
10月1日の松原 仁・元拉致問題担当大臣の会見を見るまでもなく、政府がすでに拉致は間違いないと認識しているケースが相当数あることは明らかです。一方北朝鮮は小泉訪朝まで一度も拉致をしたことはないと言ってきて、またその後もウソをくり返しているのですから、たとえ認定者から拉致でなかった人が出たところで「北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」などと気にする必要もないことは明らかです。



[松原 仁・元拉致問題担当大臣が在任中に生存情報に接した事案]
《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
(Susumu Fujita)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

[松原 仁・元拉致問題担当大臣が在任中に生存情報に接した事案]
《特定失踪者・大澤孝司さんについて》
◆氏名:大澤 孝司
(おおさわたかし)
(Takashi O'sawa)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日
◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:新潟県佐渡市
◆当時の身分:新潟県佐渡農地事務所勤務
◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村

【失踪状況】
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
当時事務所には50人~60人が勤務、うち15人~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。
失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。
事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。
元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。
北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。
平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■大澤孝司さんと再会を果たす会HP
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/
■大澤孝司さんと再会を果たす会・巻高同窓会HP
http://www.makiko-doso.jp/osawa/profile.html

《特定失踪者・小野寺将人さんについて》
◆氏名:小野寺 将人
(おのでらまさと)
(Masato Onodera)
◆失踪年月日:平成3(1991)年7月19日
◆生年月日:昭和42(1967)年2月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:北海道登別市
◆当時の身分:ホテル勤務
◆身長:171cm
◆体重:60kg
◆特徴:
1)交通事故の後遺症で左目の視力がない
2)眼鏡をかけているかも知れない
3)アレルギー体質で喘息の発作を起こす
◆失踪場所:北海道富良野

【失踪状況】
富良野ラベンダー祭に登別駅からレンタカーで出発し、その後消息を絶つ。
1泊2日の予定だったがホテルが取れず車中泊。
同21日室蘭警察署に捜索願いを出す。
10月26日十勝岳中腹のホテルの駐車場でレンタカー発見。免許証は見つかっていない。
銀行預金も引き出されていない。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)
(拉致被害時23歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州にて失踪。
「よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】特定失踪者問題調査会編[大臣面会]/HBC

2015-10-29 18:48:28 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!特定失踪者調査会代表ら、加藤拉致問題担当相と初面会》

北朝鮮に拉致された可能性がある失踪者を調べている特定失踪者問題調査会の代表たちが加藤勝信拉致問題担当大臣と初めて面会し、「官邸との連携のもと、加藤大臣が日・朝交渉の責任者となってほしい」と要請しました。

「(日・朝交渉の立て直しを)大臣が主導して中心になってやっていただきたい。(加藤大臣は)対話と圧力、行動対行動、最後は首相の決断ですから、と」
(特定失踪者問題調査会・荒木和博代表)

加藤大臣と面会したのは、特定失踪者問題調査会の荒木代表たち5人です。
荒木代表たちは、

「官邸との連携のもと加藤大臣が交渉責任者となって日・朝交渉を立て直し、たとえ最初の帰国が数人でも進めることが大事だ」
「北朝鮮に圧力を与える意味でも総理と特定失踪者家族との面会を実現させてほしい」

等とする要請書を手渡し、文書での回答を求めました。加藤大臣は了解したということです。

「政府の拉致認定については、非認定者が拉致被害者でないことが、その後明らかになった場合には、そのことをもって北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」
(加藤勝信拉致問題担当大臣)

このあと、報道各社とのインタビューで加藤大臣は

「政府認定の有無に関わらず被害者の帰国を北朝鮮側に求めている」

としながらも、拉致認定を緩和すべきかどうかは慎重に対応すべきだとの考えを示しました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015

【荒木和博・調査会代表の面会後の感想】
昨日(10月27日)私たちの面会の後、加藤拉致問題担当大臣は報道各社とのインタビューで「政府の拉致認定については、非認定者が拉致被害者でないことが、その後明らかになった場合には、そのことをもって北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」と語っています。
これは当然警察当局の見解をそのまま話しているわけですが、政府は松本京子さんが認定された平成18年11月以来なんと9年間、ただの1人も拉致認定していません。かといって拉致の実行犯を逮捕するわけでもなく、「法と証拠に基づいて」と言いながら何の結果も出していないのが正直なところです。
10月1日の松原 仁・元拉致問題担当大臣の会見を見るまでもなく、政府がすでに拉致は間違いないと認識しているケースが相当数あることは明らかです。一方北朝鮮は小泉訪朝まで一度も拉致をしたことはないと言ってきて、またその後もウソをくり返しているのですから、たとえ認定者から拉致でなかった人が出たところで「北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」などと気にする必要もないことは明らかです。



[松原 仁・元拉致問題担当大臣が在任中に生存情報に接した事案]
《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
(Susumu Fujita)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

[松原 仁・元拉致問題担当大臣が在任中に生存情報に接した事案]
《特定失踪者・大澤孝司さんについて》
◆氏名:大澤 孝司
(おおさわたかし)
(Takashi O'sawa)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日
◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:新潟県佐渡市
◆当時の身分:新潟県佐渡農地事務所勤務
◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村

【失踪状況】
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
当時事務所には50人~60人が勤務、うち15人~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。
失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。
事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。
元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。
北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。
平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■大澤孝司さんと再会を果たす会HP
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/
■大澤孝司さんと再会を果たす会・巻高同窓会HP
http://www.makiko-doso.jp/osawa/profile.html

◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:石岡 亨さん(To-o-ru Ishioka)
(拉致被害時22歳)
※This person was Abduction by North Korea
被害者:松木 薫さん(Kaoru Matsuki)
(拉致被害時26歳)
※This person was Abduction by North Korea
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日・朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
■熊本県警HP
http://www.police.pref.kumamoto.jp/

《特定失踪者・武山京子さんについて》
◆氏名:武山 京子
(たけやまきょうこ)
(Kyouko Takeyama)
◆失踪年月日:平成4(1992)年6月12日
◆生年月日:昭和10(1935)年12月20日
◆性別:女性
◆当時の年齢:56歳
◆当時の住所:北海道札幌市清田区
◆当時の身分:会社員
◆身長:145cm
◆体重:48kg
◆特徴:
1)面長
2)左手第四指(薬指)第一関節欠損
3)第三指(中指)第二関節変形
◆失踪場所:北海道浜益郡浜益村幌と床丹の間の山林

【失踪状況】
6月12日午前8時ころ、浜益郡浜益村の通称大阪山にタケノコ採りに入り失踪。
大捜索するが遺留品は全くなし。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)
(拉致被害時23歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州にて失踪。
「よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】特定失踪者問題調査会編[大臣面会]/ATV

2015-10-29 18:44:43 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!特定失踪者調査会代表ら、加藤拉致問題担当相と初面会》

北朝鮮に拉致された可能性がある失踪者を調べている特定失踪者問題調査会の代表たちが加藤勝信拉致問題担当大臣と初めて面会し、「官邸との連携のもと、加藤大臣が日・朝交渉の責任者となってほしい」と要請しました。

「(日・朝交渉の立て直しを)大臣が主導して中心になってやっていただきたい。(加藤大臣は)対話と圧力、行動対行動、最後は首相の決断ですから、と」
(特定失踪者問題調査会・荒木和博代表)

加藤大臣と面会したのは、特定失踪者問題調査会の荒木代表たち5人です。
荒木代表たちは、

「官邸との連携のもと加藤大臣が交渉責任者となって日・朝交渉を立て直し、たとえ最初の帰国が数人でも進めることが大事だ」
「北朝鮮に圧力を与える意味でも総理と特定失踪者家族との面会を実現させてほしい」

等とする要請書を手渡し、文書での回答を求めました。加藤大臣は了解したということです。

「政府の拉致認定については、非認定者が拉致被害者でないことが、その後明らかになった場合には、そのことをもって北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」
(加藤勝信拉致問題担当大臣)

このあと、報道各社とのインタビューで加藤大臣は

「政府認定の有無に関わらず被害者の帰国を北朝鮮側に求めている」

としながらも、拉致認定を緩和すべきかどうかは慎重に対応すべきだとの考えを示しました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■青森県警HP
http://www.police.pref.aomori.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015

【荒木和博・調査会代表の面会後の感想】
昨日(10月27日)私たちの面会の後、加藤拉致問題担当大臣は報道各社とのインタビューで「政府の拉致認定については、非認定者が拉致被害者でないことが、その後明らかになった場合には、そのことをもって北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」と語っています。
これは当然警察当局の見解をそのまま話しているわけですが、政府は松本京子さんが認定された平成18年11月以来なんと9年間、ただの1人も拉致認定していません。かといって拉致の実行犯を逮捕するわけでもなく、「法と証拠に基づいて」と言いながら何の結果も出していないのが正直なところです。
10月1日の松原 仁・元拉致問題担当大臣の会見を見るまでもなく、政府がすでに拉致は間違いないと認識しているケースが相当数あることは明らかです。一方北朝鮮は小泉訪朝まで一度も拉致をしたことはないと言ってきて、またその後もウソをくり返しているのですから、たとえ認定者から拉致でなかった人が出たところで「北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」などと気にする必要もないことは明らかです。



[松原 仁・元拉致問題担当大臣が在任中に生存情報に接した事案]
《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
(Susumu Fujita)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

[松原 仁・元拉致問題担当大臣が在任中に生存情報に接した事案]
《特定失踪者・大澤孝司さんについて》
◆氏名:大澤 孝司
(おおさわたかし)
(Takashi O'sawa)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日
◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:新潟県佐渡市
◆当時の身分:新潟県佐渡農地事務所勤務
◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村

【失踪状況】
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
当時事務所には50人~60人が勤務、うち15人~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。
失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。
事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。
元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。
北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。
平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■大澤孝司さんと再会を果たす会HP
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/
■大澤孝司さんと再会を果たす会・巻高同窓会HP
http://www.makiko-doso.jp/osawa/profile.html

《特定失踪者・今井 裕さんについて》
◆氏名:今井 裕
(いまいゆたか)
(Yutaka Imai)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年3月2日
◆生年月日:昭和25(1950)年12月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:青森県弘前市
◆当時の身分:青森県立弘前工業高校3年生
◆身長:170cmくらい
◆体重:62kg~63kg
◆特徴:
1)眼鏡着用
2)右の頬に子どものとき木に登ってついた傷が残っている
◆失踪場所:青森県弘前市内

【失踪状況】
3月4日の卒業式で答辞を読むことになっていたので、「制服のボタンを買いに行く」と自宅を出たまま行方不明に。
東京の営団地下鉄(現・東京メトロ)に就職が決まっていた。
平成16年1月29日、青森県弘前署に告発状提出。

《特定失踪者・木村かほるさんについて》
◆氏名:木村 かほる
(きむらかおる)
(Kaoru Kimura)
◆失踪年月日:昭和35(1960)年2月27日
◆生年月日:昭和13(1938)年8月27日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:秋田県秋田市中通
◆当時の身分:日赤秋田高等看護学校3年生
◆特徴:
1)中肉中背
2)色白でいつも微笑みをたたえ優しい感じ
◆失踪場所:秋田市内

【失踪状況】
戸籍上は「かをる」だが、日常は「かほる」としていた。
看護学校の卒業式を10日後に控えていた。
「ちょっと出かけてくる」と寮の同室の友人数人に言って出て行ったきり戻らず。
平成16年9月29日、青森県八戸署に告発状を提出。
■秋田県警HP
http://www.police.pref.akita.jp/

◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)
(拉致被害時23歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州にて失踪。
「よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】特定失踪者問題調査会編[大臣面会]/TUY

2015-10-29 18:40:44 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!特定失踪者調査会代表ら、加藤拉致問題担当相と初面会》

北朝鮮に拉致された可能性がある失踪者を調べている特定失踪者問題調査会の代表たちが加藤勝信拉致問題担当大臣と初めて面会し、「官邸との連携のもと、加藤大臣が日・朝交渉の責任者となってほしい」と要請しました。

「(日・朝交渉の立て直しを)大臣が主導して中心になってやっていただきたい。(加藤大臣は)対話と圧力、行動対行動、最後は首相の決断ですから、と」
(特定失踪者問題調査会・荒木和博代表)

加藤大臣と面会したのは、特定失踪者問題調査会の荒木代表たち5人です。
荒木代表たちは、

「官邸との連携のもと加藤大臣が交渉責任者となって日・朝交渉を立て直し、たとえ最初の帰国が数人でも進めることが大事だ」
「北朝鮮に圧力を与える意味でも総理と特定失踪者家族との面会を実現させてほしい」

等とする要請書を手渡し、文書での回答を求めました。加藤大臣は了解したということです。

「政府の拉致認定については、非認定者が拉致被害者でないことが、その後明らかになった場合には、そのことをもって北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」
(加藤勝信拉致問題担当大臣)

このあと、報道各社とのインタビューで加藤大臣は

「政府認定の有無に関わらず被害者の帰国を北朝鮮側に求めている」

としながらも、拉致認定を緩和すべきかどうかは慎重に対応すべきだとの考えを示しました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■山形県警HP
http://www.pref.yamagata.jp/police/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015

【荒木和博・調査会代表の面会後の感想】
昨日(10月27日)私たちの面会の後、加藤拉致問題担当大臣は報道各社とのインタビューで「政府の拉致認定については、非認定者が拉致被害者でないことが、その後明らかになった場合には、そのことをもって北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」と語っています。
これは当然警察当局の見解をそのまま話しているわけですが、政府は松本京子さんが認定された平成18年11月以来なんと9年間、ただの1人も拉致認定していません。かといって拉致の実行犯を逮捕するわけでもなく、「法と証拠に基づいて」と言いながら何の結果も出していないのが正直なところです。
10月1日の松原 仁・元拉致問題担当大臣の会見を見るまでもなく、政府がすでに拉致は間違いないと認識しているケースが相当数あることは明らかです。一方北朝鮮は小泉訪朝まで一度も拉致をしたことはないと言ってきて、またその後もウソをくり返しているのですから、たとえ認定者から拉致でなかった人が出たところで「北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」などと気にする必要もないことは明らかです。



[松原 仁・元拉致問題担当大臣が在任中に生存情報に接した事案]
《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
(Susumu Fujita)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

[松原 仁・元拉致問題担当大臣が在任中に生存情報に接した事案]
《特定失踪者・大澤孝司さんについて》
◆氏名:大澤 孝司
(おおさわたかし)
(Takashi O'sawa)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日
◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:新潟県佐渡市
◆当時の身分:新潟県佐渡農地事務所勤務
◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村

【失踪状況】
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
当時事務所には50人~60人が勤務、うち15人~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。
失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。
事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。
元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。
北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。
平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■大澤孝司さんと再会を果たす会HP
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/
■大澤孝司さんと再会を果たす会・巻高同窓会HP
http://www.makiko-doso.jp/osawa/profile.html

《特定失踪者・布施範行さんについて》
◆氏名:布施 範行
(ふせのりゆき)
(Noriyuki Fuse)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年3月
◆生年月日:昭和29(1954)年2月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:愛知県名古屋市
◆当時の身分:アルバイト(プレハブ工事現場)
◆身長:180cm
◆特徴:痩せ型
◆失踪場所:不詳

【失踪状況】
3月に「沖縄に行く」と書いた手紙が妹にあり、4枚写真が同封。
3カ月前に実家で会ったときとは別人の様相。
「2カ月で帰る」とあったがその後連絡なし。
預金通帳、印鑑も一緒に妹に送付。
昭和53年2月までは実家に電話、手紙あり。同年1月頃、家族に電話で中華風の料理をしてみたいと言っていた。
失踪後、半年か1年後、女性の声で「範行さんいませんか」と電話が2回あった。
平成17年1月31日、山形県警に告発状提出。
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/
■沖縄県警HP
http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・齋藤 武さんについて》
◆氏名:齋藤 武
(さいとうたけし)
(Takeshi Saitou)
◆失踪年月日:昭和58(1983)年10月30日
◆生年月日:昭和20(1945)6月14日
◆性別:男
◆当時の年齢:39歳
◆身長:168cm
◆当時の住所:神奈川県横浜市
◆当時の身分:会社員
◆特徴:子供の時、凍傷で左手親指の爪が欠落。
◆失踪場所:神奈川県横浜市

【失踪状況】
昭和60年1月にアパートの大家から家賃未納の手紙が届き、失踪していることが判明した。
家人が会社に問い合わせたところ、昭和59年10月で退職し、以後行方不明であるとのことであった。
失踪者の部屋の様子は衣服にカビが生え、缶詰は錆び付いているなど数年間も住んでいなかったような感じで、荷物もそのままの状況だった。
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/

◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)
(拉致被害時23歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州にて失踪。
「よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】特定失踪者問題調査会編[大臣面会]/IBC

2015-10-29 18:36:51 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!特定失踪者調査会代表ら、加藤拉致問題担当相と初面会》

北朝鮮に拉致された可能性がある失踪者を調べている特定失踪者問題調査会の代表たちが加藤勝信拉致問題担当大臣と初めて面会し、「官邸との連携のもと、加藤大臣が日・朝交渉の責任者となってほしい」と要請しました。

「(日・朝交渉の立て直しを)大臣が主導して中心になってやっていただきたい。(加藤大臣は)対話と圧力、行動対行動、最後は首相の決断ですから、と」
(特定失踪者問題調査会・荒木和博代表)

加藤大臣と面会したのは、特定失踪者問題調査会の荒木代表たち5人です。
荒木代表たちは、

「官邸との連携のもと加藤大臣が交渉責任者となって日・朝交渉を立て直し、たとえ最初の帰国が数人でも進めることが大事だ」
「北朝鮮に圧力を与える意味でも総理と特定失踪者家族との面会を実現させてほしい」

等とする要請書を手渡し、文書での回答を求めました。加藤大臣は了解したということです。

「政府の拉致認定については、非認定者が拉致被害者でないことが、その後明らかになった場合には、そのことをもって北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」
(加藤勝信拉致問題担当大臣)

このあと、報道各社とのインタビューで加藤大臣は

「政府認定の有無に関わらず被害者の帰国を北朝鮮側に求めている」

としながらも、拉致認定を緩和すべきかどうかは慎重に対応すべきだとの考えを示しました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■岩手県警HP
http://www2.pref.iwate.jp/~hp0802/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015

【荒木和博・調査会代表の面会後の感想】
昨日(10月27日)私たちの面会の後、加藤拉致問題担当大臣は報道各社とのインタビューで「政府の拉致認定については、非認定者が拉致被害者でないことが、その後明らかになった場合には、そのことをもって北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」と語っています。
これは当然警察当局の見解をそのまま話しているわけですが、政府は松本京子さんが認定された平成18年11月以来なんと9年間、ただの1人も拉致認定していません。かといって拉致の実行犯を逮捕するわけでもなく、「法と証拠に基づいて」と言いながら何の結果も出していないのが正直なところです。
10月1日の松原 仁・元拉致問題担当大臣の会見を見るまでもなく、政府がすでに拉致は間違いないと認識しているケースが相当数あることは明らかです。一方北朝鮮は小泉訪朝まで一度も拉致をしたことはないと言ってきて、またその後もウソをくり返しているのですから、たとえ認定者から拉致でなかった人が出たところで「北朝鮮側から認定制度自体に反論するという材料を与えかねない」などと気にする必要もないことは明らかです。



[松原 仁・元拉致問題担当大臣が在任中に生存情報に接した事案]
《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
(Susumu Fujita)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

[松原 仁・元拉致問題担当大臣が在任中に生存情報に接した事案]
《特定失踪者・大澤孝司さんについて》
◆氏名:大澤 孝司
(おおさわたかし)
(Takashi O'sawa)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日
◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:新潟県佐渡市
◆当時の身分:新潟県佐渡農地事務所勤務
◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村

【失踪状況】
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
当時事務所には50人~60人が勤務、うち15人~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。
失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。
事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。
元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。
北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。
平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■大澤孝司さんと再会を果たす会HP
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/
■大澤孝司さんと再会を果たす会・巻高同窓会HP
http://www.makiko-doso.jp/osawa/profile.html

《特定失踪者・鈴木正昭さんについて》
◆氏名:鈴木 正昭
(すずきまさあき)
(Masa-aki Suzuki)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年8月30日
◆生年月日:昭和27(1952)年5月29日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆当時の住所:千葉県千葉市
◆当時の身分:団体職員
◆出身地:岩手県一関市
◆失踪場所:千葉県千葉市

【失踪状況】
失踪当日、前の職場の同僚が自宅アパートを訪ねていったところ、路上で女性と話し込んでいた。
以後情報なし。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/

《特定失踪者・坂川千明さんについて》
◆氏名:坂川 千明
(さかがわちあき)
(Chiaki Sakagawa)
◆失踪年月日:平成12(2000)年3月7日
◆生年月日:昭和51(1976)年10月7日
◆性別:女性
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:岩手県九戸郡洋野町
◆当時の身分:ガソリンスタンド勤務
◆身長:150cm
◆特徴:右にえくぼ
◆失踪場所:岩手県

【失踪状況】
退勤後帰宅途中失踪。
翌日、警察から岩手県九戸郡種市町の高家漁港に車が放置してあると連絡。
車の中には財布、携帯電話等すべて残っていた。
高家港は職場から家とは全く反対の方向で、夜は真っ暗。地元の人もほとんど近寄らない小さな港。
車は港の端に海に向って停まっていた。
入水自殺してもすぐ死体があがってくる場所。
車の中には高家港の丘の上にあるコンビニでビールを買ったレシートが残っていたが、そんなところでビールを買うことは考えられない。
失踪当時車のガソリンを入れていた。走行距離からすると、勤務先のガソリンスタンドから久慈市を回って高家港の距離と一致する。

◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)
(拉致被害時23歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州にて失踪。
「よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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