
財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
今日は母の日です。私の戸籍上の母ではなく、私を生んだ母についての思い出を話したい。生母は2000年に亡くなっています。今年で7回忌となります。写真の左から3人目の人が私の生母です。大正2年生まれであるから今生きていれば92歳である。私の生母のことをこれから私の母の呼びます。母とは先に紹介した私の生まれたホテルで4-5歳頃まで一緒にいる事が多かった。と言うのは私の実父、これからは私の父と言いますが,父の別宅が金沢市内にありそこで私と母が一緒に暮らしていたからです。私の母の私に対する教育は、いかに天皇陛下とは大変なものであるかを切々として話し何度も繰り返し教えたことである。私の父が建てた懐かしい写真のホテルで。母は公家の出であるからその伝統を教えたものであろう。母は私とは6-7歳ごろ別れて当時の皇后陛下の身の回りの世話を生涯続けていたのである。母は第二次大戦後香道の宗家の後妻となった。当時私は小学校5-6年生であったが、私に会いに能登の端にある私が預けられている家まで東京からはるばる訪ねてきた。母は私を抱きしめながら、これからは皇后様に一生仕えるからもう私とは会えないかもしれないが皇后様を母と思い暮らすようにと、泣きながら話した。またこれから母はお嫁に行く事を話、香道の家元の名前を繰り返し話をした。今日は母の日なので、母と一緒に過ごした懐かしいホテルでの思い出を母に捧げたい。
このブログの写真の左から三人目が私の母で、三條西治子である。治子は四条家の出で、昭和22年3月18日に三條西公正氏に嫁ついたのである。公正氏の妻は皇后陛下の妹で二人の間には二男四女があってが、昭和20年11月8日夫人は亡くなられたのである。私の母の子供は私一人である。