財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
今私は今標記のように弁谷ハシの遺産の審判の申し立てが,弁谷貞造より申し立てられている。弁谷ハシは平成8年に亡くなっており、預貯金等あわせた470万ほどあるが、その遺産を相続するのに実印を押すようきていたが、私は無視をしていた。一つにはハシの子でないこと、ハシにより鼻の手術を受ける羽目になったこと。何故なら私の母が名乗りを上げさせてくれと懇願しているのに、それを無視した事。三に私の父の遺言書をかくして、父の遺産を私に渡さなかったことである。 ハシに昭和42年ごろ白紙委任状と実印を渡したことがあり、全ての父の遺産がなくなった事は之までのブログで書いた通りである。私は何よりも鼻の手術を利用した、私の脳の破壊が一番大きな問題として未だ残っているのである。2005/5/15私の幼少時代(私の頭頂部の陥没)6/4(私のMRI)6/6、6/7 (私の頭脳の大脳縦裂から鼻の手術の際頭蓋骨を強打) 6/20( 康楽寺の建築変更書面の偽造による戸籍上の妻子相手の東京地裁の貞造主導の裁判)しかも宮本三郎画伯の日本の四季の絵を、弁谷貞造の妻智子のものだと裁判をした中山博之弁護士等を二人つけて、貞造は弁谷ハシ相続審判申し立てを行なっている。日本タイプの崩壊(8)乃至(10)参照
ハシの遺産の内建物を解体する費用として、400万、建物の借地の代金等で300万あり、差し引き相続額はマイナス150万円となっている。
なにも高い費用を払って、弁護士二人も立てて争うことでもあるまい。
しかもその建物の土地は貞造と昌造の二人の名義となっている。
自分等が承知でハシの建物のたっている土地を取得したのだから、本来なら取得した二人で処理すべき問題である。
しかしハシの相続には色々な問題があるのである。
それは宮本三郎画伯の日本の四季の6枚の絵の問題、及び康楽寺の資産の問題が
絡まっている。勿論日本タイプ、日本観光の株式の問題等である。
それで弁護士を2人もつけて、審判に及んだのだろう。
しかも調停前置主義の家裁の手続きを無視していきなり審判である。
弁護士が作った文書のみで何の資料も添付していない。
これは家庭裁判所のルール違反である。
貞造の中山博之弁護士は金澤市の弁護士会の会長をしており、日本観光の倒産の元になった旧三和銀行の代理人である。
旧三和銀行は日本観光の倒産に深くかかっていることはこれまでもブログで述べたとうりである。
金のためならなんでもする弁谷家のことはある。貞造の実印は龍の死骸を表したものである。これは死しても金を渡さないという意味らしい。もう一つの意味は私の父が龍年である事から来ている。つまり私の父が私に残した資産はすべて自分のものとする。また父の株式で他人名義にしたものは、各自自分のものとする。しかし康楽寺の本殿の建築は縮小して実行する構えをみせて、康楽寺の建築資金 5億円を宮本三郎画伯の日本の四季を担保として、日本観光の新社長吉田宏明に渡した形となっているが、実際は日本観光倒産後日本の四季は弁谷貞造の妻智子のものだと、今回の審判申し立ての弁護士が金澤裁判所に訴えでて、見事智子の物として認定された。つまり日本観光の破産財団から逃れたわけである。この絵は石川県小松市、つまあらい宮本三郎画伯の故郷に、5千万円で売られたもようである。またこの弁護士は日本観光が日本住宅ローン等から借りた20億の残金保証の裁判にも弁谷貞造の代理人弁護士として、住宅債権理機構等を相手に処理をし、日本観光の債権者としての届出をしている(13億4千万円)。弁谷貞造にはこのような大金はない。皆父の康楽寺資産を担保にしたものである。これには私から白紙委任状をハシが騙し取ったのが生きているわけである。弁谷智子つまり貞造の妻は、桜井能唯、その子康子、吉田宏明日本観光社長に次いで石川県の高額納税者となって5億円の税金を支払っている。勿論彼女にはこのような大金は無い。これは弁谷ハシが桜井能唯等と分け前の配分の際、父の資産を横領したもので、弁谷智子名義としたものである。つまり私から白紙委任状と実印を騙し取り、父の資産を取得したものである。