白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

株主代表訴訟について

2006年04月29日 01時09分03秒 | 辨谷貞造

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

 

平成8年に私が起こした遺産相続事件で、実は私の父である桜井兵五郎との
親子関係を主題としたのだが、金沢家裁の調停委員等は私の申立内容を無視して、法律がどうのこうのと実際訳けの分からぬことを述べて、
裁判官は私の主張を無視したのである。
私は会社の仕事と、東京から金沢まで来る時間と費用とで大変こまっていたのである。西武と貞造等は大変親しい間柄であることを私は知らなかったのであるが、私が金沢に行ったことが原因で、西武不動産をかく首されるのである。
父と堤康次郎のことはブログで、度々述べたが、この様な間柄である事は当時は知らなかった。
それが西武不動産が、私をかく首した原因であった。
これから又仕事探しをしなければならなくなった。
この時辨谷貞造や桜井能唯等は、日本観光を売却する工作の間最中だったのである。
私はこのことは全然知らされてなかった。
10数年掛けたこの裁判は、貞造が勝手に得意の現場検証で辨谷家の
土地を裁判所の判断とゆうより、貞造主導の主張で分割を行ったのである。
その際辨谷昌造は遺産を放棄する発言をし、貞造が主たる
不動産を取得、辨谷ハシも同じ様に遺産を放棄、書画骨董を取得したのである。
父が私に残した日本観光や日本タイプの株式等を辨谷家は自分の物としたのであるから、弁谷家の遺産は必要なかったのである。
父の残したものが即ち辨谷家の資産となり、桜井能唯等と山分けしたのである。

私は上戸村の300坪程の土地を得たが、そこに掛けた不動産の売却
甲板は、自動車で踏み倒し倒されてしまって、
しかもいつの間にか他人の自動車の駐車場が建っておる始末である。
その間日本観光の株式を私に渡さないので、その引渡しの裁判を東京地裁に
提起、やっと手に入れたが、会社は其の時倒産をしたのである。
会社は私が入ってくるのを恐れ、倒産を計画していたのである。
私が西武不動産に入る頃から、倒産の計画が始まっていた。
その間一回も株主総会の案内が来なかった。
当時私は東京地裁で株主代表訴訟を起こす積もりで居た。
200名以上の株主かいるのに、誰も株主代表訴訟をおこしていなかってのである。
日本観光は父の一人会社であり、会社の資産は康楽寺に寄付し、康楽寺の本殿を建築するための父個人の寺であったのである。
まえにも述べた様に、康楽寺本殿建築の暁には、信者が
200名居なくては当時は寺として認められなかったのである。
それで父は湯涌町の住民に株式の名義を与え、株主即ち信者としたのである。この株式の名義は太田秀雄が買い集め、架空の名義だけの株式になってしまったのである。
従って本当の株主は誰も居なかった。
私は名義書換訴訟の拡張として、父桜井兵五郎が康楽寺本殿の建築
のため、日本観光株式会社の全株を自分の寺に寄付をしていた事を申し立て、康楽寺本殿建築の事業を相続することになっていた事、株主が200名以上いるのに、現に誰も株主代表訴訟を
していない事を主張した。
処が急に奥村政雄なる人物が、株主代表訴訟を提起してきたのである。
この男は当時日本観光の取締役であったが、3株ほどの株式を
当時の代表取締役坂上勝から名義を書き換えての訴訟提起であった。
しかしその内容は康楽寺の本殿建築のことは一切触れず、桜井能唯
が株式を高額にシュガーランドーに売り渡したと言うもので、見当違いの訴状を提出してきたのある。
其の頃は会社は倒産したあとで、管財人が奥村政雄の訴訟を
ついだのである。
一方父の戸籍上の子供である桜井盛雄は、日本観光の当時の社長坂上勝より
起雲閣の経営を委託されたとして、起雲閣を占拠し経営をしていたのである。桜井盛雄は日本観光の取締役を降りていた。
つまり日本観光倒産の責任を回避するためである。
私は、日本観光の債権者として、私の父から相続を受けていた白雲楼倒産の損害として、100億円を債権として届け出たのである。

私が株式名義書換を東京地裁に提出したのは、平成8年7月であり、
訴の拡張し、父桜井兵五郎の遺産を相続して、康楽寺の本殿を建築することになっていたのであるから、白雲楼の倒産の損害金としての届出をしたのである。
日本観光の株式は父の一人会社であり、其の名義を私個人に書き換えることを主張し、裁判所に申し立てをした。
日本観光は父一人会社であると主張したところ、奥村政雄なる人物が急に株主代表訴訟を提起して来たのは上述の通りである。
その内容たるや父の財団である康楽寺抜きの内容で、話にならない訴訟であった。



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