
昨日、本ブログでご紹介した小川忠博氏の『ゲリラの朝―ポルトガル領アフリカ“解放区"ルポ』(朝日ソノラマ 1975年)では、 主にアフリカ本土のポルトガル領ギニアでポルトガルに対して独立戦争を闘ったギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(略称:PAIGC 上の図は同党旗です)の人々を描いています。PAIGCは1956年にマルクス主義者のアミルカル・カブラルによって結成され、ポルトガル領ギニアおよびカーボベルデ諸島植民地の独立の達成を目指しました。PAIGCのポルトガルに対する武装蜂起は、現在のカーボベルデの首都プライアで1962年に始まったとされています。その後は主にアフリカ本土でのギニア地域で戦闘が行われたそうです。ポルトガル政府軍のPAIGCに対する弾圧は熾烈を極め、同時期にベトナム戦争で米軍が使用したナパーム弾や枯葉剤まで使われたそうです。1973年1月には指導者のアミルカル・カブラルが暗殺される(前年の8月に来日したばかりでした・・・)など、PAIGCは窮地に陥りますが、ポルトガルへの国際社会の批判が高まり同年11月の国連総会では、ポルトガルによる不当な暴力と支配が弾劾されることになります。そして1974年、ポルトガル本国では有名なカーネーション革命によってサラザール・カエターノの40年以上続いた独裁政権が打倒されことにより、遂にギニア・ビサウとカーボベルデは独立の時を迎えます。この独立戦争では6千人以上のPAIGCの人々が犠牲になったそうです。