博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

マンガで読む歴史

2008年08月06日 | 思い出
 今日は広島原爆忌です。一昨日の深夜、NHKで「ヒロシマ ナガサキ」という映画(スティーブンオカザキ監督・米国映画・2007年制作 写真は同映画の紹介サイトより引用)を放映していました。高齢化している日本人被爆者や原爆開発に携わった米国人科学者や原爆搭載機パイロットの現在を追った迫真のドキュメンタリーです。
 この映画でショックだったのは、被爆の悲惨な描写はもちろんですが、冒頭に渋谷駅前交差点で、道行く若者にインタビューする場面でした。「8月6日は何があった日ですか?」と質問するのです。10人くらいの10代後半から20代前半と思われる人々は一様に「知らない」、「分からない」と答えます。これが一番驚きでショックでした。
 私が同じことを聞かれたら、何も資料を見なくても「8月6日は広島原爆忌、または広島平和記念日、昭和20年8月6日午前8時15分、B29エノラゲイ号から投下された原子爆弾リトルボーイが爆発し、十数万人が死亡、即死を免れた市民も大量の放射線を浴び被爆者として戦後、がんや白血病に苦しめられた」と答えるでしょう。
 いくら戦後63年経っているとはいえ、「知らない」、「分からない」はいかがなものかと憤っていましたが、ふと「なぜ自分は知っているのだろう」と考えました。
 私だって生まれたのは戦後15年たった後です。小中学校の社会の時間でもそんなに詳しくは習っていなかったと思います。ところが小学校低学年から確実に知っていたような気がします。なぜだろうかと考えてみて思い当たったものはマンガでした。小学生の頃読んでいたマンガで、被爆者が主人公の物語が多かったのです。この話は以前にもこのブログで紹介しましたが、確かに多かったような気がします。
そうした主人公は大抵20代前半で、新生児の頃被爆し、成長期にがんや白血病が発症して死んでいくというものでした。当時は白血病は不治の病の代名詞でした。確かに私が小学校低学年の期間(昭和42年から44年)というのは昭和20年に生まれた人々が20代前半を迎えた期間と一致するのです。戦争を全く知らないのに、終戦から20年以上経って戦争のために死んでいくという理不尽さと悲惨さが私の記憶に残ったのでしょう。
 しかし、さすがに戦後60年以上経ってしまうと、もうそういうマンガも無くなってしまっているでしょう。(続く)

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