映画字幕の世界
わたしは映画が好きで,ほぼ毎日観ている。圧倒的に洋画が多い。耳が遠くなってからその傾向が強くなり,9割は洋画である。その大きな理由は字幕がついているからである。そして字幕翻訳者の名前には,戸田奈津子さんがよく登場する。
その戸田さんが,學士会の午餐会で標題の講演をした要旨が,近着の会報(961号)に載っていた。
戸田さんは1936年の生まれなので,わたしとは同い年だ。戦後解禁された洋画に魅せられ,映画にかかわる仕事をしたいと決意する。字幕の仕事なら自分にもできるだろうと,大学の英文科に進む。しかし,大学出たてにおいそれと字幕の翻訳は回ってこない。英語の翻訳で食いつなぎ,映画とのかかわりを志していたある日,アメリカから来た俳優の記者会見通訳を頼まれ,しどろもどろの通訳だったが,その後映画関係者通訳の仕事が回ってくるようになる。
決定的な契機は,「ゴッドファーザー」の監督フランシス・コッポラ氏の通訳兼ガイドをしたことだった。彼が監督した「地獄の黙示録」の字幕翻訳をコッポラ氏から指名され,43歳にして字幕翻訳家になる望みを達成することができた。以来,年間50本のペースで仕事を続けている。
講演の中で,興味深い話がいくつも飛び出している。
日本は字幕先進国だったそうである。1930年代にトーキーが出現するとアメリカ映画が外国で公開される時には吹替版が作られていた。日本語の吹き替えを作ろうとしたが,日本には吹替をする役者がいなかったので,アメリカで日本からの移住者による吹替を行った,ところが,それが全員広島出身だったので,ラブシーンでも深刻な会話でも広島弁で,日本の観客は大笑いになり,やむなく字幕付きになったという。戸田さんはこの話を淀川長治さんから聞いたそうである。
アメリカ国内および諸外国に比べて,圧倒的に字幕が多いのは,日本人の識字率が高いせいだと戸田さんは指摘する。漢字で字幕を表しても理解される。日本の教育レベルの高さを示すものだという。しかし,最近の若者は活字離れが進んで,吹き替え版が作られるようになった。字幕と吹き替えが両方あるのはいいことだが,字幕離れが進むことに戸田さんは悲しさを覚えている。戸田さんが指摘することだが,字幕だと俳優の生の声を聞ける楽しさもある。同感である。
映画の画面で役者がしゃべることを,字幕で全訳することはできない。1秒間に3~4字が限度で,それ以上は読み切れない。台詞を大幅に縮める工夫がいる。
“I met Margaret in San Francisco.”これを9~10文字に縮めなければならない。この話している場所と女性が分かっていれば,「この街で彼女に会った。」と縮められる。”I thought you were gone.”は,台詞にして一秒足らずなので,「まだいたの?」と,5文字に縮める。
戸田さんは,この仕事の8割は日本語の能力だという。そして,「映画が好き」というのが,彼女の最大のモチベーションだったと述懐する。
これはネットで得た知識だが,日本には「映画翻訳家協会」というのがあり,現在は24名が属しているという。会員になるには,会員2名の推薦と,会の承諾が必要である。一種の労働組合の役目も果たしている。由緒正しい字幕の表現には,こうした組織が必要だろう。
ところで,前にもブログに書いたことだが,「寅さん」の”結構毛だらけ,猫灰だらけ,見上げたもんだよ屋根屋のふんどし”は,どう外国語訳するのだろう。
公民館の玄関で(続)
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