ある育種家の死
7月1日付の毎日新聞デジタル版に『コシヒカリを変えた研究者の早すぎる死 その足跡』と題する,中津川甫記者による記事が載っていた。
この研究者の名前は,石崎和彦,新潟県農業総合研究所作物研究センターの前所長である。
石崎さんは静岡大学農学部の大学院修士課程を卒業し,民間の会社を経て新潟県の職員に転じ,一貫してイネの育種に従事してきた。
2022年,定年退職後半年にして,前立腺がんによって60歳の若さで亡くなっている。
記事は,石崎さんが手がけて完成させた,「コシヒカリBL」について主に書かれている。コシヒカリについては,2021年9月29日のわたしのブログに述べているが,かなり数奇な運命を経て現在の地位に至っている。親に似ない鬼っ子で,実は欠点の多い作りにくい品種である。
コシヒカリは新潟県から送られた育種素材をもとに,福井県で育成されたもので,新潟県にしてみれば「してやられた」という感慨を持ったのは当然であろう。産地としては他の追随は許さなくても,コシヒカリを越える品種をと言うのは,関係者の共通した思いだったのだろう。
この記事で取り上げている「コシヒカリBL」は,「越えた」というよりはコシヒカリに加工を加えた画期的な品種で,石崎さんは国から顕彰されている。
コシヒカリの欠点の一つは,イネに重大な被害をもたらすいもち病という病気にかかりやすいことである。この欠点を補う目標で育種を行い,いもち病に強いコシヒカリを育成することが新潟県で行われ,15年の歳月を経て2005年にリリースされたのが,「コシヒカリBL」である。
BLは,blast resistance linesの略で,「いもち病抵抗性系統群」を意味する。これらの系統は,いもち病抵抗性以外はコシヒカリとほとんど同じ遺伝子を持っている。コシヒカリにいもち病抵抗性の品種を掛け合わせ,その子供にさらにコシヒカリを掛け合わせ,その子供からいもち病に強い個体を選んでコシヒカリと交配する。
これを繰り返すとコシヒカリにいもち病抵抗性が付与された系統が出来上がる。いうことは簡単だが,実施するのは大変な苦労である。
これで終わらないのが,新潟県の技術者の工夫である。
いもち病抵抗性の育種には苦い記憶がある。ずっと前の話だが,いもち病に強いという国の品種が育成され,その他の性質も優れているために大きく普及した。ところが,ある年,集中的にこの品種にいもち病が大発生し,たちまちこの品種はいもち病罹病性に転落した。
病原菌にはレースと呼ばれる遺伝的に異なった系統があり,イネの抵抗性の遺伝子に対応している。先に述べた品種は,一種類の抵抗性遺伝子しか持っていなかったので,この系統を侵す菌のレースが出現すると,抵抗できなくなったのである。
そこで,新潟県の技術者は異なる種類の抵抗性遺伝子を持つイネの系統を複数育成した。これがBL,いもち病抵抗性系統群である。
新潟県では,この系統群から複数選んで,混植する手法をとった。これによって,複数の菌のレースに対応する個体が混じった集団になり,安定的な抵抗性が得られる。遺伝的多様性を利用した,優れた方法である。
わたしは石崎さんとは面識がないが,世界初の生態学的手法によるイネの育種を成し遂げた石崎さんをはじめとする,新潟県の育種家の皆さんに,心から拍手を送りたい。
石崎さんは,導入に二の足を踏む農家に,BLはいもち病に強い以外はコシヒカリと同じ性質であることを説明し,普及させた。その結果,いもち病を予防する農薬の散布量は大幅に減り,農家の負担も減少した。
「コシヒカリBL」は「コシヒカリ」に遺伝的なお化粧を施したものであるが,スーパーなどでは「コシヒカリ」として販売されている。
新潟県は「新之助」というコメをその後売り出している。石崎さんはこの育成にもかかわられた。石崎夫人によると,約30年前,長男が生まれた時,石崎さんは「しんのすけ」と命名しようとしたが,奥さんの反対で実現しなかったそうである。奇しき因縁と言うべきであろうか。
石崎さんの御霊よ安かれとお祈りするとともに,この記事の執筆者,毎日新聞の中津川甫さんに心からの謝意を表したい。
頑張れオクラ
冠水で葉が落ちてしまったオクラの頂芽が動き出し,葉っぱが出てきた。頑張れ!
STOP WAR!