羽花山人日記

徒然なるままに

ギャラ

2021-08-21 16:15:54 | 日記

ギャラ

テレビ画面を撮影。

今週の『おんがくの交差点』のゲストは,サックス奏者のユッコ・ミラーさん。彼女のことは,この番組で初めて知った

サックス大好き少女だったった彼女は,中学生の時に,プロになりたくて,毎日郷里の街の路上で,サックスを吹いていた。ある日,近くの工事現場の労働者の方が,「ジュースでも買いな。」と,120円くれた。初めてのギャラだった。今でも大切に持っているという。

いい話だ。

 

雲の行列

8月13日,阿見町にて撮影。

行列を作っている雲が積乱雲だと,線状降水帯になるのかも知れない。

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セミのミータ(11)

2021-08-20 16:39:07 | 日記

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恩師

2021-08-19 17:25:04 | 日記

お盆は過ぎたが,この時期になると故人のことを思い出すことが多い。

小学校(国民学校)1・2年生の時の担任はA・K先生だった。女子師範学校を卒業して,最初に受け持たれたのがわたしたちだった。とてもきれいなやさしい先生で,わたしは大好きだった。

夏のある日,先生はクラスを川遊びに連れ出した。わたしは,2,3人の仲間と,ちょっと離れたところで遊んでいて,誰にもいわずに勝手に先に帰ってしまった。

やがて,ほかのみんなも教室にもとったが,教壇に現れたのはA・K先生ではなく,M先生で,A・K先生は具合が悪いので,今日はわたしが教えるといわれ,授業を始めた。授業後M先生は,川から先に帰った生徒たちを職員室に連れて行き,A・K先生の前に立たせた。先生は涙声で,「あなた方はいい子たちなのに,どうしてあんなことを」と叱責された。

その時,わたしには自分が何故叱られるのかが理解できなかった。家族にもそのことを話さなかった。何年かしてそのことをふと思い出した時,川遊びに連れて行った生徒が帰る時に見当たらなかったことに,どれだけ先生が心を痛められたのかが理解できた。

わたしが幹事をして開いた小学校の同級会で,A・K先生に久しぶりにお会いした。そして,丁重なお礼状を頂戴し,それを機に先生とは折節の手紙を交わすようになった。しかし,お会いした時も,手紙でも,あの川遊びのことをお詫びするのを失念していた。

2001年,パラグアイに赴任する時に,先生から激励のお手紙をいただいた。それが絶筆だった。お送りした帰国の挨拶状に,ご家族から先生の訃報が伝えられた。わたしからの書状を束ねて,大切にされていたことが記されていた。

帰郷した折に,先生のご実家を訪ね,ご霊前にお焼香させていただいた。その時初めて,川遊びでご心配をかけたことをお詫びした。

梓川。上高地にて,2007年撮影

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セミのミータ(10)

2021-08-18 16:48:52 | 日記

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死期

2021-08-17 16:13:07 | 日記

死    期

8回にわたってNHKBSプレミアム放映された,『ライオンのおやつ』が8月15日に終了した。小川糸さんの同名小説を原作とするこの連続ドラマは,架空の離島にあるホスピス「ライオンの家」を舞台として,死を目前とする人々の生活や考え方を描いた,心温まる作品だった。

わたしは毎回見ていたが,このホスピスで過ごす人々の死に対する考え方を,自分のそれと対比していた。

入居者は,自分に科せられた不運を呪い,絶望しながら,それを乗り越えて死を受け入れ,残された時間をゆったりと充実させて過ごそうとする。ホスピスの経営者や従業員もそれを理解し,入居者に寄り添う。そこでは,死は立派に生きた後の旅立ちである。

ひるがえって,自分は自身の死をどう考えているだろう。平均寿命を越えて85歳まで生きたのだから,いつ死んでもいいと口では言い,そう考えようとしているが,それは理屈として言っているので,実感ではない。平均余命が6年以上あるのを見て,なんとなくホッとし,1年先,時には2年先の予定を考えたりする。ホスピスの入居者とちがって,生きることに期限が設けられていない。

だが,死は万人に訪れる。死期というのは,死に遭遇した結果であって,あらかじめ定められたものではない。ホスピスの入居者とわたしの違いは,遭遇の時期の範囲がある程度分かっているかいないかの点だけである。

自ら死に遭遇する時期を早めるのは愚かなことである。与えられた生を楽しみ,充実させて過ごし,その時を自然に迎える。平凡だが,それがわたしの結論である。

 

マリ-ゴールド

夏の花である。土壌線虫の生息密度を小さくする働きがあるので,防除作物として畑に植えられる。白花のマリーゴールドは,青花のバラと並んで,実現不能なものと考えられていた。青いバラは遺伝子組み換えで実現した。白のマリーゴールドは,限りなく白い品種は出来ているが,純白のものはいまだに存在しないようだ。

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セミのミータ(9)

2021-08-16 16:35:11 | 日記

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8月15日

2021-08-15 17:19:46 | 日記

8月15日

1945年8月15日,9歳の夏だった。空は抜けるように青く,日差しが肌をさすような暑い日だった。正午,ラジオから流れる天皇の声は,何を言っているかわからなかった。

仕事から帰ってきた父に,日本の敗戦を聞いた。お前たち子どもは可哀そうだ,と言われた。

鬼畜米英と教わっていた。わたしは怖くなって,泣いた。

 

長      雨

三日続きの雨。畑は泥濘と化し,作物は立ち尽くしているだろう。許せよ。

被災された方々にお見舞い申し上げます。

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セミのミータ(8)

2021-08-14 17:21:15 | 日記

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対症療法

2021-08-13 16:49:26 | 日記

対症療法

8月6日に起きた,小田急線無差別刺傷事件について,その防止対策が論じられている。また,事件に居合わせた方々の受けた衝撃も報じられている。

わたしは,2008年の3月にJR荒川沖駅で起きた,連続殺傷事件にニアミスを体験した。以来,駅構内を通る時に,事件を思い出し,そんなことに遭遇したらどうするかを考えることがしばしばある。

こうした事件が起きるたびに,いろいろな対策が論じられ,講じられているが,そうした対策や心得は,やはり対症療法の域を出ていないように思う。

このような犯罪を起こす人たちを生み出す社会的な病巣を摘出し,なくして行く対策は,先送りにされているのではないだろうか。これば政治の問題である。

 

いざ出陣

畑に行くときの身支度である。首に巻いているのは保冷剤。露出しているところには,日焼け止めローションを塗る。畑での滞在時間は1時間を限度とし,9時前には家に帰り着くようにしている。

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セミのミータ(6),(7)

2021-08-12 16:23:43 | 日記

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