goo blog サービス終了のお知らせ 

羽花山人日記

徒然なるままに

(ニセ)アカシア

2024-09-16 15:50:28 | 日記

(ニセ)アカシア

兵庫県三田市の住宅街、「アカシア台」のニセアカシア並木の伐採が話題になっている。

この地域には1987年当時、1.86キロに300本以上のニセアカシアが植えられ。市民にはアカシアの名前で親しまれてきた。

しかし、台風による枝折れや倒木、根上がりによる交通事故などの危険性から、2018年に市は一部区間のニセアカシアの半数を伐採する計画を発表した。

この計画には、住民から賛否両論が寄せられ、市は一旦計画を白紙に戻し、自治会による住民、市、専門家による検討会を設けて並木の措置を検討することにした。

2022年、検討会は「歩道の安全性や生物多様性の観点からニセアカシアは街路樹としての適性を欠く」として、他の樹種に転換していく方針を決めた。住民へのアンケートでは、約9割がこの方針に賛成しているという。

今年すでに、一部のニセアカシアが伐採され、外来種だが街路樹特性に優れたセイヨウシナノキに植え替えられているという。

わたしは、2021年1月20日のブログで、長野県で行われていたニセアカシア伐採計画を批判した。ニセアカシアが侵略的外来種ワースト100に入っていることを根拠に、地元に親しまれてきたニセアカシアを無媒介に根絶しようとする計画の杜撰さを指摘しt。

今回の三田市の措置は。住民を含めた十分な検討を経たもので、寂しい気持ちはするが、やむをえないものだと思う。

前述のブログ記事の一部を引用し、伐採されるニセアカシアへの挽歌としたい。

《ニセアカシア(ハリエンジュ)は地元では単にアカシアと呼ばれ,犀川や奈良井川の河岸を彩る景観として慣れ親しまれてきた。母校の応援歌には「アカシア薫る旗風に」という歌詞があり,美術部はアカシア会と命名されていた。初夏に白い花をつけ,蜜蜂がそれに群れる。アカシアのある風景は,わたしのノスタルジアをかきたてるものである。

そのアカシアが何故?調べてみると,ニセアカシアはとんでもない悪者に仕立てられていた。日本生態学会は侵略的外来種ワースト100のひとつに選定し,法的には生態系被害防止外来種リストに記載されている。その性質はすべて悪いものとされる。繁殖力旺盛で松林などに侵入して,景観を大きく改変する,マメ科で空中窒素固定能力があり,生物多様性を損なう,等々。果ては,棘があるのでヒトに怪我をさせる。まさに,坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのである。

わたしはかねがね外来種駆除のあり方に違和感を覚えていた。フレッド・ピアスが書いた『外来種は本当に悪者か? 新しい野生THE NEW WILD』(草思社 2016年)を読んで,その意を益々強くした。外来種が入り込んで,豊かで安定した生態系が作られた例,外来種を駆除しようとした事業が,出来上がっていた生態系を攪乱し,惨憺たる結果に終わった例などが具体的に述べられ,外来種をいたずらに排除しようとするのではなく,取り入れて評価し,利用することの重要性が述べられている。そもそもわれわれの身の回りは外来種だらけである。極端な例をあげれば,食用作物で在来種なのは,ダイズ,アズキ,ワサビなどほんのわずかで,圧倒的大部分は外来種である。

アカシアのある景観は,地元住民にとっては100年以上にわたって慣れ親しんできた大切なものである。ニセアカシアに不都合なところがあれば,調節すればよい。外来種だといって撲滅を目指し,公的機関がボランティアまで募集するというのは,全く承服できない。ニセアカシアは伐採してもひこばえからの再生力が強く,そのため駆除に除草剤の使用が推奨されている。除草剤を散布して得られる生物多様性とは一体いかなるものか。

奈良井川沿いのアカシアが健在であることを,mt77さんのブログで知った。この景観が無粋な外来種駆除によって破壊されないことを強く願っている。》

 

宇宙飛行士

孫の作品。クス、プラチナ箔、油絵具。

束縛から解放された宇宙空間における孤独、しかし、地球とのつながり、自分と見つめあう他の存在。

そんな実存主義的なことを思いながらの作品らしい。

 

STOP WAR!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする