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羽花山人日記

徒然なるままに

ペルーの思い出

2024-09-13 20:19:50 | 日記

ペルーの思い出

ペルーで日系初の大統領を務めたアルベルト・ケン・フジモリさんが亡くなった。ペルーは、南米ではブラジルに次いで日系移民が多く、現在約10万人が暮らしているという。日系人は大変教育熱心で、政界、財界、学会、軍隊などに人物を輩出している。

毀誉褒貶はあるが、フジモリさんはその出世頭といってもいいのだろう。ご冥福をお祈りする。

わたしは、ペルーを4回訪れている。そのうちの最初の時の思い出を書いてみたい。

1回目は1982年の3月だった。JICAの仕事でパラグアイに派遣されていた時、1週間ほどの休暇を頂戴して、ボリビア経由でペルーに入った。3月の学年末休暇を利用して、家内が子供を連れてパラグアイに遊びに来ることになっていたので、リマ空港で落ち合い、リオデジャネイロ経由で一緒にパラグアイに入る計画を立て、日本からの飛行機が到着するまで2日間をリマに滞在した。

空港から乗ったタクシーの運転手さんに日本人かと訊かれ、そうだと答えると、「セニョール加藤は残念だった」といわれキョトンとしていると、あのバレーボールのコーチを知らないのかとあきれられた。

後で調べて分かったことだが、加藤明さんのことで、1965年からペルー代表の女子バレーチームの監督になり、世界トップレベルのチームに育て上げた。ペルーでは国民的英雄で、運転手さんは、明日は加藤さんの国葬があると教えてくれえた。

翌日JAICAのリマ事務所に挨拶に行ったら、受付に一見日本人の顔をした女性が座っていた。それまでの3日間日本語が使えなかったので、喜んで話しかけたが全く通じない。横にいたペルー人の男性が日本語で応答してくれた。ペルーの日系人はほとんどが2世で、日本語を話さなくなっていた。

JICA事務所から予約してもらい、天野博物館に向かった。この博物館には、日系人として成功して財を成した天野芳太郎さんが私財をはたいて収集したインカ及びプレインカの遺物が織物を中心して展示されている。

乗ったタクシーの運転手さんは黒人で、大変感じがよかった。博物館の所在地を知らなかったが、角ごとに町の人に尋ねて連れて行ってくれた。

その日の夕刻、空港に向かおうとホテルで荷造りをし、前日クリーニングに出したワイシャツを取りに行ったところ、洗濯担当の女性が家に持って帰ってしまって、渡せないという。取りに行けないのかと訊いても無理だという。

仕方がないので、そばにいた従業員の男性がわたしとほぼ体格が同じなので、ワイシャツは彼にプレゼントするといったところ、ホテルのセニョーラが便箋を取り出して言うとおりに書いてくれという。

いわれたとおりに書いた文章は、わたし○○は彼✖✖にワイシャツをあげ、そのことに向後一切異議を申し立てないという要旨で、最後にわたしがサインすると、セニョーラはにっこり笑って、初めてありがとうといった。

今日は日本から来る家族と飛行機で一緒になると説明すると、「それは嬉しいですね。ではお礼に」と、空港まで車で送ってくれた。

ワイシャツ1枚損をしたが、憎めない気持ちでペルーを後にした。

2011年撮影

フジモリさんのお嬢さんケイコさんの選挙ポスター。2011年リマ市にて撮影。

インカを滅ぼしたピサロの銅像は広場から公園の隅に追いやられていた。2011年リマ市にて撮影。

 

STOP WAR!

コメント (3)
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