残された時間 2019-12-26 00:06:12 | 思い巡ること 近頃しばしば頭を過ぎることの一つに、自分に残された時間がどのくらいあるのだろうというのがある。自分が物心ついた時にテレビで見ていたタレントや、かつてのクラスメート、大学や会社の同期など、親しみのある人や親交のあった人が亡くなると、いつか自分の番になるのだと思うのだ。だから、何か考えておこうとか、何かしようというような行動には結びついていないけれど。ただ、その時が来た時、自分は何を思うのだろうかと思うばかりである。いい人生だったと言えるには、どうするのがよいのだろうね?
ふと思う 2019-08-23 23:47:16 | 思い巡ること 先週、友人が亡くなり、通夜に出掛けた話を書きました。 今回は、会社の同期だったのですが、少し前には、大学の同期、小中学校の同級生と、自分と同じ世代の人の訃報に接する機会が増えつつあります。 やむを得ないことではありますが、次は自分かもしれないという不安感がつきまといます。 折り返し地点は確実に通り過ぎたはずで、でも、残りはどのくらいあるのかわからない。 まだ、どう生きるべきか、答えがないのに、時間だけが過ぎていく、そんな気がしています。 後悔のない生き方をしたいですね。 今まで、たくさん後悔してきたから。
昨日と少し違う今日、今日と少し違う明日 2019-08-07 22:52:37 | 思い巡ること 1日1日の変化は見えにくい。 それでも何かは変わっている。 その小さな変化の積み重ねにより、気がつくと、思えば遠くへ来たもんだ、となる。 自分は何も変わらないと思っていたが、その神話はとうに崩れ去っている。そして、朽ち始めていることを認めざるを得ない。 もちろん、今日明日、ここ数年のうちにどうなるということではない。 でも、折り返し地点は過ぎてしまったようだ。それは間違いない。 そろそろ自分は、どこへ向かうのか、考えないといけないのかもしれない。
当たり前の日常 2019-07-29 15:58:27 | 思い巡ること 昔の記事を読んでいると、たいへんだったな、と今更ながら思う。 そして、今現在の何の変哲もない日常のなんと幸せなことか。 日々いろいろなことに感謝しなければならないなと思う。 無事が一番。
忘却 2019-07-26 18:15:10 | 思い巡ること 以前、ブログの記事を分類し直しているという話しを書いた。 今でも少しずつ整理していて、これまで約1400件くらい片付いた。 分類し直す際、イヤでも記事が目に入るが、覚えていることと覚えていないことの比率は1対3くらいかな。 結構、忘れている。 中には、記事中に「忘れることはないだろう」的なことが書いてあるのだが、誰との間の何のことかわからないものもある。 記憶に残る出来事とそうでないものを分けるのは何なのだろう? 感情の振れ具合は関係なさそうだ。 だって忘れているもの。 でも、記事を読んで、忘れているのに、急速に甦って泣きそうになることもある。 だから、消え去ったわけではなく、呼び出すのが難しい場合もあるようだ。 人の細胞が数週間で入れ替わるのに、記憶が残るのは、なぜなんだろうね。