すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「いい子」はどこで育つか

2014年04月20日 | 雑記帳
 岐阜県にある共立総合研究所「『いい子どもが育つ』都道府県ランキング」なるものを発表している。

 先週だったか,佐藤正寿先生のブログでも取り上げられていた。


 文部科学省の『平成25年度全国学力・学習状況調査』を分析して,はじき出したものだ。

 本県秋田は総合1位ということである。
 質問紙の分析は,教科問題よりは難しい気もするのだが,やはり教科調査と相関はあるのかもしれない。

 そうなると気になってくるのは,各項目の中で下がっているものがないか,である。

 秋田は他の項目に比して「家庭」が落ちている。
 わずか3問のトータルだが「食卓(一緒の食事)」「手伝い」があるので,気になるところだ。
 それでも総合が高いのは,学校への依存度と言えるのかもしれない。

 極端に「家庭」に関する項目が高評価でいながら,それ以外は低いという県は考えられないと思う。
 データを見ても,それに当てはまりそうな県はわずか一県であった。

 基本的に家庭での安定した暮らしこそが,それ以外を支えていると信じたいし,教員は自分の仕事としてそれが主ではないにしろ,じっとその点は見据えているべきだろう。

 まあ,この研究所はそれなりのねらいを持って行ったと思うが,もし自県ならこの結果をどうとらえ,どうアクションしてみるか,考えることは無駄ではないと思う。

 ただし,この研究所の末尾の(注)にある以下の文章は,当然の前提であることを踏まえなければならない。まあ,ちょっと肩すかし気味ではあるが…。

 当該ランキングは「いい子ども」が育つための生活習慣や学習環境などが備わっているかを都道府県単位で評価したものであり、実際に各都道府県の子どもが「いい子ども」であるかを評価したものではない。

当然ながら,デザインの肝とは

2014年04月19日 | 読書
 「2014読了」43冊目 ★

 『このデザインには理由がある』(社会情報リサーチ班・編 河出書房新社)

 表紙に直接次のように書かれてある。

 形・色・サイズ…人の心をグッとつかむ”驚きの仕掛け”とは


 デザインには多少の興味があるので,読んでみたがちょっと期待外れだった。
 「驚きの仕掛け」が見えてこない。

 例えば,冒頭は「スマホ フツウのケータイより丸っこいのは?」という項目だが,アップルの丸いデザインの歴史などと,四角いデザインと丸いデザインが交互に流行する傾向しか書かれてないのだ。

 とちょっと不満を持ったことで,自分は丸みが持つ「印象度」や「有利性」を考えてみたかったんだなとわかった。

 そういう意味では,様々な商品等が取り上げられているが,あまりそうした追求はされていない。
 ただ,「形・色・サイズ」に関する薀蓄はずいぶん語れそうだ。

 例えば,黒と黄の組み合わせを「警戒色」という,それは「進出色」と「後退色」の対照的な取り合わせから関係してくる…というようなこと。

 例えば,紙パック入りのジュースのラベルに,輪切り果物の絵が使えるのは,果汁100%のものだけ。誇大広告にならないため…というようなこと。


 さらに,学校に関わることにも面白いことがわかった。

 「カスタネット 赤と青の二色でできている理由」

 こんなこと,考えてもみなかったし,その理由が「赤は女の子の色,青は男の色というイメージが強かったので,男女兼用に使えるように」という,肩すかしのような結論だったことにも笑えた。
 ただし,そういう日本式のカスタネットにも正式名称があることは,初めて知った。「ミハルス」だそうである。

 また,「三角定規 わざわざ穴をあけたのは?」もなかなかだ。

 これにはなんと4つの理由があった。
 一つは,予想できたことだが,とりやすさである。穴に指をかければはがしやすい。
 二つ目は…と,ケチをつけた本をつかって薀蓄を弄しても始まらないか。

 驚きの仕掛けは見えてこなかったが,「デザインには理由がある」という当然のことはいくらでも実例が出せて解説はできるものだなあ,と変な感心をした。

 総じて,目的を明確にしている,それがデザインの肝であることは確認できた。

言ってみたかった同い年の人

2014年04月18日 | 雑記帳
 「同い年の有名人を一人言ってください」とお願いするのは,もう三度目になる。年度初めのPTA総会で職員紹介があるわけだが,いつも「よろしくお願いします」の一言では,あまりにパターン化しているし,情報が何もないに等しい。そこで年齢を直接言うかわりに,少しひねってお知らせするという形である。


 これが結構評判いい。というか,ちょっと観衆(ではなく参加者)がざわめいたりする。みんなの知っている有名人の名にエエーッと言ったものの正確な齢がわかる人は少ない。ただ,目の前にいる職員とその有名人のギャップ(笑)は必ずあるだろうし,それが意外性を生むということか。年齢は関係なくなる。


 お願いすると,たいていの方は快く調べてくれる(心の中は見えないが)。そしてその調べる過程がまたいいと思う。今だと簡単にネットで検索できるので時間はかからないが,多くの人が思わず見入ってしまうかもしれない。ああこの人も同年齢,あの人も同じ齢なんだあと。そして妙に親近感が湧くのは何故か。



 ぴたりと同じ時代を生きているという感覚だろうか。環境や性格の違いによって,今は各々の立場にいるが,ひょっとしたら自分だってそこにいたかもしれないという密かな羨望もあるのだろうか。恥ずかしながら?私と同い年の有名人は結構な方々ばかりで,以前にも桑田圭祐からビル・ゲイツなどと書いていた。



 ここまで来たら,何の意味も持たないが上記以外の注目している人も記しておく。上沼恵美子,田中裕子,成毛真,川口淳一郎,ヨーヨー・マ,堤幸彦,國村準,苅谷剛彦,滝田洋二郎,松山千春,今野敏,藤原智美,陳建一,小堺一機,百田尚樹,花咲アキラ,佐野元春,竹中直人,島田紳助…みんな齢相応か。

「弱くても勝てます」どうよという話

2014年04月17日 | 雑記帳

 ドラマオタクを自称しているわけではないが,新番組編成期は,録画(笑)で忙しい。先日,ドラマ停滞のことを書いたので,その論を覆すような面白いものを期待したいが,はたしてどうなのか。ただ,一つだけタイトルで気になったのが「弱くても勝てます」だった。これは確かあの本のことだよなと思った。


 橋秀実の書いたノンフィクション『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』。ずいぶんと楽しく興味深く読んだ記憶がある。ブログにもメモしてあったはずだ。部員たちのユニークな言動,そしてバッティングに特化した練習とその徹底した姿勢,「強く振り切れ」と言い切る監督に感銘をうけた。

 
 それをドラマ仕立てしたのはわかるが,二宮君ではねえ…と思いながら観た。下手な先輩が監督になるという設定だから,キャラがあっているのかもしれない。やはりジャニーズか。見始めると,ややっ,『あまちゃん』キャストが目立つではないか,と多くの人が思ったろう。こんなキャラ頼りはいかがなものか。


 ややコメディタッチではあるが,軽さというよりドタバタめく感じがするのは,シーンのつなぎが変だからと分析してみたりした。それにしても海老蔵が重要な役というのは,面白いようなスベッテいるような…。唯一の印象に残るセリフは「苦手と下手は,違う」。これは原作にもあったのだろうか。実に味わい深い。

職場づくりの今昔を想う

2014年04月16日 | 読書
「2014読了」42冊目 ★★

 『明るい学校つくる 教師の知恵』 (家本芳郎  高文研)


 3月下旬に、消費税アップに備えて?古本屋にいったときに、家本先生のシリーズが3冊並んでいた。このうちどれかはあるはずと思いながら、安価だったので3冊まとめて購入した。(やはり1冊は既に読んでいた本だった)

 手始めに読んだのがこの本。
 80年代後半の発刊である。端的にいうと「歴史」を感じさせる本である。
 学級集団つくり、授業つくりに辣腕をふるってきた家本先生の「民主的な職場づくり」を目指した実践集とも言えるだろう。

 およそ30年前。昔はそうだったなあ、と懐かしく読める部分もあるが、ええっと驚く項目もあり、そこは地域性や風土の違いなどを感じさせられた。
 また、かなりくだけたことも載せてある。例えば、以下の項目だ。

 管理のあみをくぐるあそびの精神

 職場恋愛のすすめ

 『民酒主義』を追究しよう



 こうした人間臭さが大いなる魅力なのだが、現状では全国どの地にあっても、公言できない部分なのかもしれない。

 多くはこうしたやや懐古的な内容に見えるが、そのなかから本質を探り、現在にあっても職場づくりとして貫きたいことも少なくない。

 典型的な例は「子育て教師の研修出張」と題された、入学式の期日が職場と我が子で重なった場合の措置だった。
 ネット上を賑わした、あの話題に共通点がある状況である。
 そういう問題に対して、家本先生たちはどう向かっていったのか…。

 今も昔も、公的にそうした結論を導きだすことはできないと思うが、その精神については深く共感した。

 また、後半にでてくる「授業研究でつくる教師の連帯」の章は、間違いなく今であっても通ずる方法論だし、見習いたい方向性である。
 確かに授業研究は、当時に比して盛んになっている気がするが、同時に窮屈さも感じるこの頃である。

 この本で得たエッセンスをどこで発揮できるか、工夫のしどころである。

近い関係を支える心がけ

2014年04月15日 | 雑記帳
 【朋友切々偲々兄弟怡々】(ほうゆうは せつせつししたり。きょうだいは いいたり)

 「朋友は切々偲々たり」は、朋友とは磨き合うことができる関係でなければいけないということ。「兄弟は怡々たり」は、兄弟とはいつも和やかにいなければいけないということ。



 部屋に掛けられてある書軸の文章、後半である。
 ネット検索では次のように出てきた。
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 孔子曰く、朋友は切々偲々たり。兄弟は怡々たり。(論語・子路篇)

 切々偲々は努力する形容詞。怡々は楽しく愉快にすること。簡単でしかも無限の意味を含んだ一文であります。善は人間の生命であるけれども、肉親の間柄で、兄弟は勿論父子の間でも、これを責めるということはよくないと孟子が論じております。


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 「切々」も「偲々」も「怡々」も、直接的に「心をこめて」「喜び」と通ずることばである。

 ここでは、主体である「朋友」と「兄第」とは、区分されたような形で提示されているが,対比とまではいかない気がする。

 「朋友」とは「同門」の「同志」を指すことが語源という。
 「兄第」とはもちろんこれ以上ない結びつきを示している。

 どちらも身近な存在であるからこそ、切々、偲々、怡々という方向性は時々思い出しておくことが肝要だ。
 二つの関係には区分があるが、共通項も多いととらえるべきか。

 従って、ただ感情だけやさしくあっても駄目であり、切磋琢磨する根底を持ち合わせたい。

 行動と心情の両立、バランスをとっていくことは、意外と難しい。

言ってしまったことを補う連続

2014年04月14日 | 読書
 「2014読了」41冊目 ★

 『子どもの国語力は「暗読み」でぐんぐん伸びる』 (鈴木信一  ソフトバンク新書)


 「暗読み」とは筆者の造語である。
 真っ暗な寝室で親が子どもに物語を聞かせることを示している。

 第一章で「絵本の読み聞かせの功と罪」について触れながら、言語運用能力を高めるには、早い時期に絵本から離れなければならないと主張する、なかなか刺激的な本である。

 筆者は国語力で重視する点を次の二つに絞り込んで提案している。

 ①言葉を映像に変換する脳のシステム
 ②先の展開を予測する習慣



 これらを「想像力」と「論理的思考力」に結びつけながら、「暗読み」が育てる能力、その有効性を語っている。

 言葉の本質という命題について有名なヘレンケラーのエピソードや著名な作家、医者の論などを交えながら、説得力のある文章に仕上げているので、あまり読み飛ばしなく読めた。

 第二章以降は「暗読み」の実際について、創作の手順を中心に展開しているが、例文も結構楽しく、納得できるものだった。

 繰り返し主張される次の一節は、なかなか含蓄があるし、言語における表現活動全般に通ずることかもしれない。

 文章は<言いたいことを述べるために書かれる>のではなく、<情報の不足を埋めるために書かれる>のだということです。


 ここでふっと思い出したことは、学級担任をしていた頃の学級通信のことだった。
 日刊を一年やってから、その後は週2,3回ペースだったのだが、習慣的に別に言いたいことがなくとも日常的な様子について何度も書いたと思う。

 まだ手書きだった頃に、とにかく書き始めるというスタイルが自分なりに出来ていたと思う。
 そして、なんとなく最終行まで行き着くのが常だった。
 あれは何だったのか…。「○○君が、□□の時間に▲▲をした」と始め、それに関する不足の情報を補おうと書き進めたのかもしれない。そんな連想が湧いた。


 書く目的は確かにあるのだが、あまり強くそのことを意識しないまま、続けていたように思う。
 だからだろうか、筆者がこう書いたことに強く共感する。

 ひとたび書く作業に入ると、私たちの意識は次第に言いたいことにではなく、言ってしまったことに移っていきます。


 そう、まさにこの駄文もそんな連続だ。

 さて肝心の「暗読み」はどうするか。
 今はそのものを出来る環境にはないが、きっと国語実践としても面白いヒントを含んでいる考えだし、どこかで活きる気がしている。

この頃のキニナルキ

2014年04月13日 | 雑記帳
 子どもたちがその生まれ育った「習俗」を離れ,どんな家庭,どんな地域に生まれても,皆平等に一定以上の教育を受けることができる,ということは,義務教育の重要な本義だったのです。
 ところが今,時代は大きく変わりました。というのも,今ではこの学校が,新たな閉じられた「習俗」になってしまっているからです。

 苫野一徳 (「本」4月号講談社)

 習俗とはいつも発生していく。それは一つの原動力だから。
 従って,習俗のどの部分を改めるべきかか肝心である。
 社会観や価値観の問題と切り離されない。



 だって見た目がよくないでしょう。それに僕は手袋もしなかった。手袋をつけると素手の感覚に微妙に狂いが生じてしまうんです。
 王 貞治(上記「本」で二宮清純から耳当て付きヘルメットを着用しなかったことを訊ねられて)

 「見た目」とは「グッドデザイン」を持ち出すまでもなく大事。本質を表す。
 「素手の感覚」は素手でしかわからない。身に纏うものを点検せよ。



 身を守るために自分の美しさを諦める。それは生き方として間違っているのではないか。
 津村節子(「波」4月号 新潮社 「震災から三年」と題した文章で,筆者の息子の文章として紹介している。田老のあるホテル再建と防波堤に関して)

 王貞治の一言と通ずる気がする。
 人の考えとは,見えるものに表れる。
 結局自分は何を見たいのか…それが美意識と呼ぶものか。



 親が本という物質を「もの」としてでなく,「精神性」をも含めた存在だと認識し,子供に伝えることが大事です
 樋口 裕一(下記)

 ものに精神性を感ずるとすれば,その条件は愛着であり,その気持ちをどのように表すかという日常行動の習慣にもよる。
 乱読も結構だが,きちんと整理整頓すること。自戒。

 「2014読了」40冊目 ★
 『「本を読む子」は必ず伸びる』(樋口裕一 すばる舎)


「すみません」に溺れず生きる

2014年04月12日 | 読書

 「2014読了」39冊目 ★★★

 『「すみません」の国』(榎本博明 日経プレミアシリーズ)


 題名が実に「言い得て妙」だと思った。

 本来は謝罪の言葉であろうに,あまりに使われすぎて,感謝の場合も依頼の場合も呼びかけの場合であっても多用されている。

 そういえば,「すみません」という言葉に絡んだことを前にも記していた。

 
 この著は「すみません」の多用に象徴される国民性に焦点をあてたものだ。
 筆者は,プロローグで次のように書いている。


 本書では,日本を「状況依存社会」と特徴づけ,状況依存的なコミュニケーションの深層構造を浮き上がらせることを試みた。

 ビジネスシーンのみならず,政治・外交や日常生活なども含めて豊富に例が出されて納得できる。
 本音と建前を使い分ける日本人の習性を,ただ単に批判するのではなく,比較するなかで欧米人の心理についてもずばりと斬ってあり,優劣の問題でないことを考えさせられる。

 日本人がはっきりと主張しない,自分の意見をきちんと述べないことは言い尽くされており,それ自体食傷気味である。
 もう少し日本の言語文化の良さに目をつけたあり方が,積極的に提案されていいように思うし,そのためのヒントとなるようなこともあった。
 筆者はこう書く。

 人間,つまり「人の間」が「人」を意味するところから推測されるのは,私たち日本人は,「個」として存在するのではなく,「人の間」として存在するということだ。

 震災後に多く語られた「思いやりのコミュニケーション」は,まさしくその具現化の一つではなかったか。

 もちろん,そうした評価に安穏としていられない時代の流れはある。

 「話さなくてもわかる」という察する文化はもはや通じなくなってきていることは,一般的に語られている。
 そして,それは「話さなければわからない」ことに結びつくのは当然だ。

 言語活動の重視はまさにそこから来ているわけだが,今もっと迫っているのは「話してもわからない」感覚の拡がりではないか。
 その理由をずばりと括ることは難しいだろう。

 しかし,膨張する情報の中で,人が受け止められる量は限られているはずなので,収集や選択の仕方をより意識的に訓練することが間違いなく大事になる。

 そこを間違えると目の前の人間にさえきちんと正対できなくなるのはやむを得ない。

 マニュアル言葉のように「すみません」さえ言っていれば人間関係が潤滑になるわけではないことを肝に銘じたい。

君子は文を以て

2014年04月11日 | 雑記帳
 【君子以文會友以友輔仁】(くんしは ぶんをもって ともをかいし ともをもって じんをたすく)

 校長室を使うのも4度目だが、これほど「文字」に溢れている部屋はなかった。
 少しずつ調べていこう。

 まず大きな書の掛け軸があり、その前半に冒頭の漢文が書かれてある。
 ある程度、想像はできるが、検索で調べてみる。

 次のように出てきた。

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 曾子曰、君子以文會友、以友輔仁。

 書き下し文
 曾子(そうし)の曰わく、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔(たす)く。

 英訳文
 Zeng Zi said, “Gentlemen make friends through learning and enhance their virtue mutually.”

 現代語訳
 曾子(そうし)がおっしゃいました、
「人格者たるもの、学問を通じて友人をつくり、交友を通じて互いに仁徳を高めあうものだ。」

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 曾子(そうし)とは、孔子の弟子にあたるようである。

 学問の本質、交友の意義をすばりと述べている。

 小学生にそのまま当てはめるのは難しいが、「集まった」学級集団が「学ぶ」ことによって、「友情」を感じることができたら理想だ。かくありたい。

 友との交わりによって心を豊かにする、それは意識的にはなりにくいことだが、方向性としては本質的だなと思ってしまう。