すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

餅より猪

2011年05月16日 | 雑記帳
 原作を読んでいないので、正確かどうかはわからないが、アニメ化された最終回で、甲子園でのインタビューをうけたキャプテンがこんな言葉を言った。

 顧客が求めているものからスタートする野球

 あれかあとピンとくるだろうが、『もしドラ』の話である。NHKの深夜に放送している。
 http://www9.nhk.or.jp/anime/moshidora/

 「顧客が求める野球」…やはりそれはプロの話だ、アマしかも高校生の野球でそんなことを考えるのは、ちょっと飛躍がありすぎだろっ、と思わず言いたくなる。

 小学生の野球にだって目指す大会があり、それぞれの段階にある「甲子園」に出場するために、多くの時間が割かれ、労力や金銭がつぎ込まれている。
 教育の場で行われるそれらは、何より取り組んでいる本人の成長と日々の充実のためであるべきだろう。ここでの「顧客」は児童生徒そのものだと思えば、それはその通りである。

 しかし、この話ではいわゆる「観客」(野球関係者も含めての)が対象になっていた。
 その意味でいうと、野球部員は「見せる野球」をしなさいということか。

 それは何か不純な、計算高いようなイメージでとらえられるかもしれないが、ちょっと視点を変えてみるとかなり本質的のように思える。

 価値とは他者に評価されて、はじめて価値たりえる

 ある雑誌で見かけた一節である。

 野球に限らず、その運動をすること自体の面白さから出発して、人はチームに所属し練習する。そして試合、大会を通して勝負の楽しさや厳しさを知る。
 では、ゲームの本質はと考えたとき、プロであれアマであれ子どもであれ、練習してきたことの表現に他ならない。
 試合を観に来る「顧客」は、やはりその表現をみたいのだ。

 その表現に巧拙があったとしても何かを伝える役目が必要なわけである。それが野球をするという価値と言えよう。
 伝えるべき価値は何か。

 スポーツであればその躍動感が大きいと思うが、この話であれば、そこから一歩進んだ「イノベーション」と言えるだろう。話としては実に面白いイノべーションが展開される物語だと思う。

 さて、仕事でも個々のモチベーションについてはよく話題になり考えたりもするが、あれこれ頭を悩ますより、イノベーションを考え発揮しようとねらいを持つだけでいいのかもしれないとふと考える。

 モチよりイノ…餅より猪…なんか、いいスローガンと自画自賛。
 誰にも伝わらない勝手な言い草ではあるけれど。

懐かしい場所から離れるとき

2011年05月14日 | 雑記帳
 先日の放課後、中学校1年生の女子数人が、部活動が早く終わったと言って、学校を訪れた。
 といっても初めてということではなくもう何度か来ているのだが、その娘たちに、「そんなに小学校、懐かしどご?(懐かしいのか)」と訊いたら「うん、懐かしい」と言って、校内のあちこちを廻り始めた。

 このような風景が今の時期は全国各地でどこでも見られるのではないか。

 そのうちの一人と冗談まじりに会話してみた。

 「いつでももどっておいで、6年生に入れるから…」
 「ああ、それなら○年生(旧担任が受け持つ学年)の方がいいなあ」
 「そんなに中学校は駄目なわけ?」
 「うん、まず休み時間が短いでしょ。その短い間に着替えとか何かいっぱいしなくちゃならないし…」
 「それは慣れてくるだろう。」
 「まあ、なんと言っても、テストテストと言われること」
 「そうかあ、それもそのうち慣れてくるか」
 「そうかなあ…」

 さて、「懐かしい」という言葉、私たちはふだん「過去のことを思い出して、それに心が引かれる気持ち」ということで使っているのがほとんどだが、調べてみたらそれだけではなく「そばにいたい、親しみがもてる」という意味もある(広辞苑の最初に書かれているのはそれだ)。
 「なつく」という動詞の形容詞形であるので、もともとはそういう意味から派生したのだろう。

 だからまだひと月少ししか立たない中学校1年生が、6年間過ごした場所を「懐かしい」というのは別に使い方がオーバーなわけではないのだろう。

 まだ、中学の生活リズムに乗れていない子が多いだろう。それがしっくりくるようになったら、今度は様々な活動に心身が染まってきて、中学校生活にナツクようになるということである。
 そうして、だんだんとそこが「懐かしい場所」となっていく。

 そういうふうに考えると、学校を「懐かしい場所」とすることが、毎日の私たちの営みの意味だろうか。
 それは、帰属意識を重くとらえる極めて日本的な見方ということもできるし、初等教育の場ではやはり学校がその役割を担うことが自然でかつ重要であるとも考えられる。

 懐かしい場所を持っている人の幸福、私はそれを信じたい。
 それゆえの束縛という面も確かにあろう。
 積極的な場合また何かやむを得ない事情がある場合のいずれにしても、自分の決断を誉めるという形で分岐点を振り返りたいものだ。

 中学生に、こんな話をしたわけではない。

桜の国の子どもたち

2011年05月13日 | 雑記帳
 ずいぶんと遅い開花となった今年の桜だが、とうとう散り始めてしまった。
 天気はよいが、少し風も出て、運動会の全体練習をしている子どもたちに桜が降り注ぐような一日だった。
 
 まさに桜吹雪。
 ふだんも授業の様子などを撮るためにカメラを持ち歩いているが、昨日は特に多くシャッターをきることになった。
 http://miwasho.blog68.fc2.com/blog-date-20110512.html

 日本と桜は切り離せないものだし、本当に多くの人が桜を語ることがある。
 桜の名所には出かけたがるし、また近所の桜や自分だけが知っている桜にも、それなりの思いを持って見上げているのではないか。

 もう閉じてしまったが、以前作ったホームページに一日かけて車で町内を廻り、何本かの桜を撮ってアップしたことがあった。2000年の頃だったろうか。
 そこで改めて気づいたのは、墓のあるところに植えられている桜が多いということだ。樹木と墓の順番に間違いはないと思うので、見送った人たちの想いを込める木なんだなあ、と考えたりもした。


 私は小学校高学年のとき「桜組」だった。
 私の学年の下からは人数が減って、その級名が無くなっただけに、よけいそのことが嬉しく思えたりする。

 教員になった頃、年配の先生方に「あの桜組」と言われたほど、悪童が集まった学級だった。
 その頃勢いのあった樹木もかなりの老木になったかあ、などと時々それらの木々を眺めたりもしている。

 この国に生まれての幸せは、この季節に確かに一つあるような気がする。

 「元桜組」が、桜の国の子どもたちを撮ってみた。 
 http://spring21.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-83a7.html

言い古された用語を磨いてみる

2011年05月12日 | 教育ノート
 私がレクチャーする職員研修の第二弾は「学習形態の工夫」。
 今年度の研究主題サブテーマに取り上げたものだ。運動会間近で余裕がない毎日だったが、40分ほど時間をもらってごくごく基礎的なことを説明した。

 といっても自分なりの事前学習が必要なことは言うまでもない。
 二冊の古い辞典類のページをめくってみた。

 『現代授業研究大辞典』(吉本均編  明治図書)

 『授業研究用語辞典』(横須賀薫編  教育出版)


 87年、90年の出版であるが、今新たに紐解いてみるとなかなか興味深く思える箇所もあった。

 まあ普通に考えればそうに違いないことでも、ずっと現場の教員思考?で暮らしていると考えが固くなっていた事柄はずいぶんあるだろう。
 例えば…

 学習形態とは広義と狭義に分かれる。広義には活動内容、学習過程や方法まで含む幅広い方式を表すし、狭義では学習者編成ととらえられる。

 個別指導といったときは「個別に指導する」という狭い意味での使用が普通になっているが、実は「個別に学習を成立させる指導」という指導原理が基にある。

 一斉指導の最初の関心は教授の経済性、効率性であった。しかしその形態の個人授業にはない優れた面が注目されるようになり、そして今は・・・・・・・


 学習形態のような言い古された?用語であっても、突き詰めて考えていけば、学習とは何か、授業とは何か、という問いに収束していく。
 効果的で質の高い学習をどうやって保障するか…「形態」は方法でもあるし、技能や力そのものでもあるような気がする。
 授業者はそこに意識的でありたい。

 例えば一般的によく使われるグループ学習のメリットとされる能力や姿勢~当事者性、実感に基づく表現力、自立性など~はどういう場面、段階で取り入れれば効果的か。それによってスタイルも変わってくるだろう。

 教育課程編成には一定の関心を持ち続けてきた。内容面が強調されるのは当然だが、もう少し形態も含めた形式にも踏み込んでよくないかとそんなことも思う。

 いずれ目の前の課題は「学習形態の工夫」である。
 とりあえず個々の教師の授業改善に資するという点で言えば、「学習形態の設定と変化・転換」か「個別の学習形態の重点化」のどちらか、または折衷的な推進になるだろうと提示した。
 少し息の長い研修を進めていい内容だと考えている。

ど忘れにしつこくつきあえ

2011年05月11日 | 読書
 一時ほどのブームではないが、「脳」に関する本は依然として多く出版されているようだ。
 自分でもブームに乗って結構読んだ気はする。しかし数年前のベストセラーだったこの2冊の新書はまだだったので、先週続けて読んでみた。

 『脳が冴える15の習慣』(築山節 NHK出版)

 『ひらめき脳』(茂木健一郎 新潮新書)



 築山氏の名前は雑誌等でよく見かけていたが、書籍は初めてである。
 脳の専門医としての臨床経験から導きだされた例は面白く、日常生活の中にいくつも脳の力を高めることがあると気づく。

 特に「前頭葉の体力」という言葉で、雑用の大事さ、面倒くさいことを嫌がらず行う意味を強調していた。「思考の整理は物の整理に表れる」という私にとってとても痛い言葉もあったし、全体的には私の脳が責められ続けた?内容だった。

 しかし、「ダメな自分を見せる場面」の重要さの指摘もあったので、これには少し救われる。もちろん、そういう場面の連続を奨励しているわけではないのだが、リズムを大切にしながらも新たな刺激を求めるという舵とりが、脳は喜ぶということだなと解釈した。


 茂木氏の著は、彼が「アハ!体験」を言いだした頃のもので、そういえばその当時勤めていた学校で、六年生に算数を教えていた時に「アハ」で盛りあがったなあということを思い出した。
 「ひらめき」がこの本のテーマで、どんなふうにしたらそういう脳の使い方ができるかを論じたものである。

 私にとって興味深かったのは「教師あり学習」と「教師なし学習」を比較する箇所で、これは単に学習形態を指しているわけではなかった。

 記憶におけるトップダウンとボトムアップという言い方で、答を導きだすまでの脳の活動を比べている。論理性と創造性という比較もできるし、時に着目すればファーストとスローということになる。
 定められた枠の中で、非効率性を排除して学校教育は成り立つが、「ひらめき」を求めるのなら、そうしたスローラーニングの場も考えねばならない。

 もちろん一律的な形ではなく「教師あり学習」によって蓄えられ知識、鍛えられた神経が、「教師なし学習」で生きるという形ではないかと単純に考える。

 さて、しょっちゅう「ど忘れ」する自分であるが、その時脳の中では何かの手がかりを探しながら必死で活動しているという。
 その過程で思い出されれば、それはいわゆる「ひらめき」に近いメカニズムがあるとされているらしい。

 とすれば、加齢によって、そのど忘れにしつこく付き合えれば、ひらめき脳は高まっていくはず…という夢のような結論を一人で出してみた。

生き残った意味を問う意味

2011年05月09日 | 雑記帳
 録画しておいたNHKスペシャルをみた。

 http://www.nhk.or.jp/special/onair/110507.html

 『三陸海岸大津波』という文庫を読み終えたばかりだったが、その映像の凄まじさ、証言の生々しさは、やはり文章を凌ぐような気がした。

 車ごと流され、引き波の時に橋のところで引き上げられて助かった男性の言葉が、ずんと心に残った。こんな一言だった。
 
 「このまま車の中にいて海に流されれば遺体は見つからないだろう。車の外に出れば遺体は見つかるかもしれない、と思った。」
 
 死を覚悟したかどうかは定かではないが、そんなことを考え、思い切って外に出たところで、たまたま橋の上に居た人の声を聞くチャンスを得たのだという。

 もちろんそうした極限状況に直面したことなどない。どの程度冷静であったら自分の遺体発見を想像するという考えに到るのか、全く自信がない。
 しかし、その時、その場所では似たようなことを考えた人は、多くいたのかもしれない。
 そして、多くの方は亡くなった。

 生死を分けたのは何か。どんなふうにそれを考えていくのか…。
 「生き延びた」人たちは、どんなふうに心に決着をつけるのだろうか。
 もし自分だったら…と考えもする。


 放送日と同じ7日の「内田樹の研究室」ブログに、次の文章がある。

 私たちがもし幸運にも破局的事態を生き延びることがあったとしたら、私たちはそのつど「なぜ私は生き残ったのか?」と自問しなければならない。
 (略)
私が生き残ったことには意味があると思わなければ、死んだ人間が浮かばれないからである。

 何万、何十万の人たちがその思いを抱えて生きていくことになる。
 応援の意義はそこにあると思った。

『海の壁』を読む

2011年05月08日 | 読書
 この文庫が売れていると新聞で見たような気がする。いきつけの書店に置いてあったので手にとってみた。

 『三陸海岸大津波』(吉村昭 文春文庫)

 「記録文学」というジャンルにはあまり馴染みはない。しかしノンフィクションそのものは結構好きなので、抵抗なく読み進められた。
 というより引き込まれるように読み入った。
 それはきっと繰り返し観てきた映像と重なっているから鮮烈に感じる部分が大きいのだろう。

その規模の大きさから当然ページが多く割かれている明治29年、昭和8年の記録は、当時の社会状況や未発達な交通、通信状況と相まって、きっとその悲惨さは想像を絶する光景であろうことをやや抑えた表現で感じさせてくれる。

 最終章では、明治29年、昭和8年、昭和35年の津波における死者数と流失家屋をデータとして提示し、その減少について言及している。
 また田老町における津波対策、訓練の徹底ぶりなど、細かに記している。

 そして、明治29年の大津波から四度の津波を体験した早野という老人の言葉を、締めくくりに近いページに置いた。

 早野氏は、言った。
 「津波は、時世が変わってもなくならない。必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにいないと思う。」

 
 むろん著者は、自然と対峙しながら悲しい歴史を乗り越えて立ち上がる人々の強さを描きたかったのだと思う。

 しかし、この老人の一言は、あっけなく覆されてしまった。
 その事実はとてつもなく重い。
 人がどんなに知識と行動を駆使して立ち向かおうと、お構いなしに襲ってくる自然という脅威。

 またそれだけに、「できない」と断言されても、予知は不可能なのかという考えが頭をもたげる。
 この本には「前兆」と記されている内容があり、明治、昭和の大津波以前の自然現象の一致についても書かれている。素人目にはそれだったら…という思いが残るが、データとしてどれほどの重みがあるのか判断できないということなのか。

 この本は文庫化にあたって、著者が「少し気取りすぎていると反省し」改題したのだという。1990年頃、最初に単行本で出版されたときの題は、「海の壁」だったという。
 気取りも何もあったものではない。まさしく「壁」に直面している今ではないか。

寛容しない本を読む

2011年05月07日 | 読書
 読みだしてからとんでもない選択だったなあと思った。
 この2冊である。

 『なぜ日本人はかくも幼稚になったのか』(福田和也 角川事務所)

 『対談集 むのたけじ 現代を斬る』(むのたけじ・北条常久 イズミヤ出版)

 思想・信条について詳しく知っているわけではないが、かなり離れた、対照的といってもいい位置にいるだろう二人の論客の本を続けて読んだ。

 福田の著は90年代後半の発刊だが、内容として特に古さは感じなかった。
 「幼稚」という意味について、福田が定義した「肝心なことに目をつぶっている」という文章には納得がいく。
 その目のつぶり方が意識的なのか無意識なのかに関わらず、生死や国家についてどこか安易な論(というより雰囲気)に寄りかかって、自らの思考を停止させてしまっている現状は確かである。

 今、この大震災によってかなり揺さぶられた感はあるが、それも上滑りにならないためには、よほど慎重に情報、メディアそして何より自分の足元を見つめていなければいけない。

 福田の言う「大きな価値」の存在をどう受けとめるかは様々にしろ、次の在り様は教育に関わる大人として肝に銘じたいと思った。

 大きな価値を親が信じていて、その価値と拮抗する形で、子供をかけがえなく思うからこそ、子供は自分の価値を感じることができた、信じられた

 時代が抱えた激しい生き方、辛くも厳しい生き方こそが教育の下地になっていたのは過去のことだった。
 その替わりに何を据えるかを本気になって考えてきたかどうか、その差は、個人にとってとても大きい問題だ。


 むのたけじが信じた大きな価値は、福田のそれとは違っていて、個の尊厳という点に根ざすように思う。
 しかもその視野は広く、深い。

 学生運動や解放運動への参画のあり方も、思想的な判断をもとにしながら、そこに登場する「個」をいつも見ていて、その姿に対する「情」が足を踏み出していくエネルギー源になっているように見える。
 
 それは、むのが忌み嫌う「同情の美徳」とは似て非なるものだ。喩えれば、心という鼓を強く叩いたときに響き合える人と連帯するとでも言えばいいだろうか。

 むのが革新の旗を降ろさず、新聞を休刊しているとはいえ、一人「たいまつ」を掲げている間に、社会は急速に変化をし続けてきた。
 しかし、それに流されるわけでもなく、本質は何かと問い続けて、現実を見続け、自分のいる場を掘り続けてきた。
 折々の屈折はあるにしろ、生活者としての目線に徹する姿勢、それは生き様と呼んでもいいだろう。

 福田のいう、恥と覚悟を大事にする「士(さむらい)」の精神も分からなくはないが、ひたすらに挑み続け撥ね付けられても歩みを止めない「士」もいるのではないか、と考えたりする。

 二人の、国家に対する思想、歴史観、教育観…比べれば、ずいぶんとかけ離れていることはわかる。
 その中であえて共通項を見いだそうとしたとき、一つの言葉が浮かぶ。

 寛容しない

 自分の主義を貫くとは、他に厳しさを求めなければ実るものでないことは確かだろう。

 まあ、見習うにしても、寛容を使うほどの心の広さがないことは自覚している。

その桜の姿が答えでした

2011年05月06日 | 雑記帳
 齢をとってきた証拠とでも言うのだろうか、数年前から「桜」をしっかり見ておこうという気持ちになっている。

 去年からはいわゆる名所と言われる地に意識的に足を運ぼうと決めた。
 出不精と呼んでもいい自分としては珍しいことだ。

 昨年出向いた場所でとった写真はこちらへ→http://spring21.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-41c3.html

 それで今年は何処へ、と考えたときに、大変申し訳ないが、震災の影響で例年よりは観光客が集まらないだろうと予想されていた、かの弘前の地を思い浮かべた。

 そう言えばもう十年ぐらい前になるが、国語の東北大会で弘前市を訪れたときに、終わってから公園を散策した。11月初旬だったと思うが、その折これらの樹木に花が咲いたら見事だろうなあと強く思ったことを覚えている。

 よし、今年は行ってみよう。
 家族も「日本一」の言葉にはすぐ飛びついてきた。

 5月3日。晴れ。
 その日、新聞のさくら情報は「満開」と初めて記された。

 朝の東北道を快調に進み、インター出口で多少の渋滞はあったが、12時過ぎには弘前市入りする。順調順調。

 しかし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 (この、長い点は何を物語るかというと、ご想像にお任せします)

 公園近くのホテルの係の方から話を聴いたが「異常」という一言が耳に残った。

 ともあれ、上の・・・・・・・・・・・・・・・・・・・を忘れるくらいの華やかさ、艶やかさ。
 まさに。「大曲の花火」がそうであるように、大勢の人が何故そこに集まるのか、答えが目の前にある。

 写真の腕は今ひとつですが、今年もアップしてみました。
 http://spring21.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-2bde.html

連休手当たり次第に読む

2011年05月05日 | 読書
 連休初日、家族の買い物につき合って出かける。ショッピングモールに降ろし、急いで中古書店へ。
 与えられた時間は40分弱。そこそこ見る時間はあるかなと思いつつ、105円コーナーを順に見ていくとあっという間に時は過ぎる。
 こうなれば…とぱっと目に入ったものを10冊ほど、そういいながらカゴの中は、16冊にもなってしまった。


 『沖で待つ』(絲山秋子 文藝春秋)

 芥川賞作品。これって前に読んでいる?という思いで読んだが結構面白かった。表題作より「勤労感謝の日」と名づけられた小品が作者の本性むき出しの感じが出ていて、笑えながら心迫る。

 調べたら、一昨年文庫化されたときに読んでいると判明。印象に残らなかったのかなあ。急ぐ本選びはとかくこんな調子だ。
 それにしてもこの題名は、詩的だ。


 『いい齢 旅立ち』(阿川佐和子 講談社)

 著者の文章のうまさを讃えている記事があったので、一度は読んでみたかった。
 ずいぶんと前からのエッセイを収録したものだが、確かにうまい。いずれもごく短い量の文章とはいえ、読ませるコツを知っているというか、小気味いいというか。

 緻密に計算されている印象はないので、やはり天性のものかと考える。
 書いている素材もありふれているが、視点を少しずらしてる、その「ちょっと感」が惹きつけるのかもしれない。


 『木を植えた人』(ジャン・ジオノ 原みち子訳 こぐま社)

 この題名には見覚えがあった。
 どこかで書評を見たのだろうか。奥付をみると、89年発刊、そして93年に第21刷発行とある。ずいぶんと売れた本らしい。
 心に染み入る短編である。淡々と書かれた内容には、人が生きることの意味を問うフレーズがところどころに散りばめられている。

 倦まずたゆまず与えつづける美しい行為

 木を植える行為とは、今私たちが直面している科学技術の問題と大きく重なることにも気づかされる。