すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

長い時間をかけてとどく手紙

2008年02月13日 | 教育ノート
 今年の全校文集には、下のような文を寄せた。
 「長い時間をかけてとどく手紙」なんていう題もつけてみた。

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 二年生の国語の教科書に、『お手紙』というすてきなお話がのっています。思い出せる人も多いでしょう。特に、かえるくんとがまくんが「とてもしあわせな気持ち」で手紙がくるのを待っている、おわりの場面が本当にいいなあと思います。長い時間ずっと、まだかなあ、もう来るかなあと心を温かくふくらませていったのでしょう。そして手紙がとどいたあとも、きっと二人はにこにこしながらそれを読んだのだろうなあ、という想像もわいてきます。

 人間の社会ではいろいろと便利なものができて、用事や気持ちがすぐに伝わるようになってきています。電話や携帯メールなどであっという間に連絡することができる世の中です。しかし手紙を書く人は減ってきて、かえるくんやがまくんのように「待っている豊かな時間」を持てる人はだんだん少なくなっていると言えるでしょう。残念な気がします。
 自分の字で書きつけていく手紙の力が本当にすごいのは、書き手の手間や伝わるまでの時間の長さ、それらが伝えたいなかみに重なって感じるからかなあ、そんな考えが思い浮かびました。

 さて、今年も六十四人全員に、夏休みと冬休みに一言ずつ書いてはがきを出すことができました。きちんと返事のはがきを書いてくれた人もいます。もらうと本当に「とてもしあわせな気持ち」になるものですね。

 この『やまなみ』に書いたみんなの作文なども、少し考えてみると「手紙」のようなものだと気づきます。出したのは、今、平成十九年度のあなたです。とどけ先は、将来のあなたです。
 長い時間をかけてとどいた『やまなみ』を、あなたが仲のよい誰かといっしょに、とてもしあわせな気持ちで読んでいる未来がきたらいいなあ、そんなふうに願っています。
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「民度」から地方を考える

2008年02月12日 | 雑記帳
 あの著名な建築家安藤忠雄のインタビュー記事が、地元新聞社の発行する小冊子に載っていた。
 体調最悪の連休中にベッドでそれを読んだ。

 寒いところの人は『民度』が高いのではないか。東京であれば『自分で生きていく』と考えるが、雪が降る寒いところの人は、協力しないと生きていけない。協調心や忍耐力がないと、この地に住めないのではないか。そういった民度を長い間、養ってきたのではないかと思う

 廃れゆく地方への励ましと受け止めることもできる文章であるが、少し落ち着かない。
 そもそも「民度」とは、どうとらえるものなのか。
 辞書的な意味では「生活や文化の程度」であったり、「民主主義」と同義的なとらえ方であったりする。そういう意味では本県も含めて寒い地方が「民度が高い」とは思えないのが、正直なところだ。
 協力性や忍耐心は高いとしても、それらは裏返すと自立や決断にとってマイナス傾向を示す場合があり、「足を引っ張る」「出る杭は打たれる」がつい最近まで地方の当然の風潮だったことは、誰しも感じてきたはずだだ。(現在どうかは少し見えにくい)

 「民度」を「民が主体となって動いていく度合い」と仮に置き換えた場合、とても本県の現状を照らしているとは言い難い。
 そもそも「民」ってなんだと、漢字の字源を持ち出してみれば、「為政者によって目を見えなくさせられた奴隷の姿」という有名な解説にたどりつくのだが、それでは「民度」も何もあったものではないので、そこまでは掘り下げない。

 とりあえず「指示にそって整然と動く」「目標に向かって一致団結する」力は認めるし、やはりそこを強みとするべきだろう。それを『民度の大きな面』と割り切っていくしかないか。
 従って、地方には「民」を動かす人が必要だ、とごくありきたりの結論になる。
 大昔、そこに根づいた人々の集団にも、統率者がいて知恵者がいて、寒さをしのぎ暮らしを工夫してきたのではないか。そこからの無数のステップの中で何かを見抜けなかったことが、この地方の、この国の不幸であったか…
 などとしみじみしていてもしょうがない。

 安藤の結論めいた一言はありきたりではなくとても面白いし、建築家だけにその数は妙に信頼度が増してみえる。

 全財産を投げ打つぐらいの人がいなければ、地方都市は変わらない。・・・・(略)・・・・・地方を変えようという本気の人が、だれか三人いればいい。真剣に秋田を変えようと立ち上がる人が三人と、その三人に信用があれば、地方都市は動くはず。

 財産がないので「三人」にはなれないが、柱を見守る板材ぐらいにはなれるかもしれない。
(安藤の言う『民度』は、人間関係や自然との接し方、敬虔な気持ち…そうしたものが大きいようでかなり感性的なとらえかたをしているように思った)

可能性のよき断念

2008年02月11日 | 雑記帳
 僕が一握りの成功者が「頑張れば夢はかなう」と言うのは傲慢だと思っています。多くの人が前向きに生きるには、可能性のよき断念こそ必要ではないでしょうか。


 脚本家山田太一の言葉である。
 主たる読者層が三、四十代であろう「日経ビジネスアソシエ誌」のインタビュー記事に載っている。
 
 目標設定を限定していくことの重要性と置き換えてもいいかもしれないが、単にそれだけではない気がする。
 そもそも人間の「容量」とは無限のものではないだろう。それは能力開発や力量向上といった方向性を持って努力し続ければ、爆発的に大きくなるものでもない。私のようなとうが立った人間が言えば、単なる諦めのように聞こえるかもしれない。しかし、これは自己反省でもある(だから、諦めでもあるか)。

 要は、可能性をどこから見つけるかということではないか。
 目の前のこと。それもごく小さなモノや身近なコトから見つけられるか…ということ。
 そのためには、目前のことで全力を尽くす姿勢が必要だし、また自分のこだわりを持って接していく頑固さもほしい。その継続があれば、何も夢がどうだの目標がどうだの、考えることに振り回されないだろう。

 ただ、今私たちが暮らしている情報が肥大化している社会では、自分を抑制することなしには、それはかなり困難だ。「誰にも可能性がある」「チャンスはきっとくる」と毎日耳元で囁かれているのだから…。

 野口芳宏先生は「絶縁能力」という言葉をよく口にされる。
 それが「可能性のよき断念」を実現する力だ、と改めて気づく。

「福」はどんなことにも

2008年02月10日 | 教育ノート
 本当に、つれづれなるまま下の原稿を書き連ねた。
 そしてその日の夜、ある雑誌を読んだら、ふと似たような感情を浮かべられる文章を見つけた。
 そうだよなあ、としみじみ読み入った。(それは明日)

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 2月の全校集会で何を話そうかと考え、いろいろ調べているうちに「節分の鬼」という題のお話を見つけました。結局、それは長いので「雪の重さ」「くしゃみの速さ」のことを話したのですが、この「節分の鬼」もほんのりさせるいい内容だなあと心に残りました。

 あらすじはこうです。
 昔ある所に、妻にも息子にも先立たれた一人のおじいさんが暮らしていました。貧しく、家族もいないおじいさんは、墓参りすることだけが楽しみの生活です。それでも一人ぼっちは辛く、早く死にたいと思うようになった頃、近所の豆まきの声を聞いて、どうせならと思い「福は外、鬼は内」と繰り返して叫んだのです。すると…。
 他の家から追い出されている鬼が続々やってきて、おじいさんの家でにぎやかに過ごし、「また来年」と言い残して去っていったのでした。おじいさんは、それを楽しみにまた生きようと思い直しました…

 よその家から追い出された「鬼」が、一人ぼっちのおじいさんには「福」になったという結末。
 昔話の世界ですので細かい詮索はいらないでしょうが、おじいさんの家を訪れた鬼は、様々な家から不要とされたモノやコトを表わしていると言えるかもしれません。
 するとこのお話は、どんなモノにも命があり役立つ機会がある、どんな些細なコトであっても人を喜ばすことができるのだ…といった見方ができるのかもしれないと思わず深読みをしてしまいました。

 たくさんのモノがあふれ、毎日使い捨てられています。モノだけじゃなく、人さえも不要になってくる気配も漂わせる風潮も感じませんか。昔から伝えられてきたコトが軽視され、忘れ去られていく現実もあります。
 小さなモノ、むだと考えられているコトにも必ず価値があり、関わってきた人もいるはずです。小さいもの、古くからあるものにもう一度目を向けることで、生活の価値を見い出していけるはです。
 おじいさんが鬼の訪問をうけ新たに進む日が、季節を分ける「節分」だったことにお話の意味がある気がします。立春は一年の始まりですから。
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時々、締め直すべきこと

2008年02月06日 | 雑記帳
 先週末、通勤時に聴いているラジオ番組のインタビューに耳がとまった。
 小型ロケットを開発している方だったと思う。子どもたちの夢が実現できるようにしたいと熱く語った。
 彼は、大人の役目を次のような言葉で締めくくった。

 信じるに値する未来を演じてでも


 諏訪中央病院の鎌田實氏は、自らの体験をもとにこう語っている。

 人間の中の獣を暴れさせないために、感動するような音楽や小説、素晴らしい絵があり、いい家族が必要なのではないか。

 子どもの前で未来の世の中を嘆いたり、人間の醜さをことさらに強調したりすることが、自分でも時々あるように思う。
 それらは確かに一つの断面であるが、そんなことはテレビでも何でも十分にやってくれるだろう。

 わかっていることだが、時々締め直さなければいけないことがある。
 
 子どもに、明るい未来を。
 素晴らしい物事との出会いを。
 そして、語らいを。

身の丈で、足元を見つめ

2008年02月03日 | 読書
 『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』(阿久悠著 新潮文庫)に、次のような文章がある。

 あるがままにとか身の丈に合ったとかが、情報化社会の中でいちばん困難なことであろう。

 若者に人気のある女性歌手が暴言を吐いたと、陳謝し、しばらくの間謹慎すると今日のメディアは伝える。そういう類の話が連日のようにある。まるで情報が「正義」のように振舞って、個人を追いつめていくようだ。
 発言をめぐる様々な騒動を見ても、どの程度のラインがセーフで、それにどんな表情、ニュアンスが加わるときに加点減点があるのか、なかなか見えにくくなってきている。

 阿久悠は書いている。

 昭和と平成の間に歌の違いがあるとするなら、昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけ語っているということである。

 見えていた世間が姿を消していることと重なる。「所詮、世間とはこんなものだ」という共通認識は、良くも悪くも一定の線を私たちに示していたように思う。しかし「私」だけが持てはやされ、結局それと対峙している社会とか世界だけがとてつもなく大きいものになり、その間がスカスカになっている。
 従って、寄りかかる、振り回される。

 そのあげく、自分さえも見えなくなってきているのではないか。
 自分のあるがままも、身の丈も。

 阿久悠は「ピンポンパン体操」から「北の宿から」「五番街のマリー」まで、実に世間を描ききった作詞家だと思う。世間にいる(いそうな)人が立ち上がってくる歌だ。
 あの河島英五が書いたとばかり思っていた名曲「時代おくれ」が阿久の作品であったことに少し驚いたが、また象徴的だと思う。

 その創作の意図は、こんなふうに記されている。

 スタスタと大股で歩いた歩幅の真中あたりに、跨いで通ってはいけない大切なものがある