すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

今までの自分との落差

2005年04月16日 | 読書
アルキメデスが浮力原理を発見したときに、風呂から飛び上がって喜んだのは、世界的な発見をしたからではなく、発見した瞬間に今までの自分との落差、「こんなことも知らなかったんだ」ということに気づいたからだと思います。これはね、なんにしても「学ぶ」ときの醍醐味だと思います。この醍醐味を手に入れたいから、もっと考えよう、問題を乗り越えてみよう、と思うわけです。
養老孟司「養老先生と遊ぶ」(新潮Mook)


未知から既知へ、その落差が大きければ大きいほど
知的感動があることは確かだろう。
今までの自分との落差を感じさせるために
教材研究、指導法研究があるといってもよい。
「落差を感じさせるのはどこか」
という一点だけで、授業づくりも可能だ。

根拠なき自信

2005年04月15日 | 読書
我々は過去の教育や社会的な慣習、メディアからの情報、あるいは自分自身の挫折体験などの影響を受けて「とても私には無理」と自己抑制をかけてしまう。自分に制約があると思うと、その制約を破るにはすごくエネルギーが必要になります。最初から制約なんかないと考え、リラックスして物事に挑めば、脳は勝手に働いてくれる臓器であるということを知ってもらいたい。そのために大事なのは根拠なき自信を持つことです。
茂木健一郎「日経アソシエ 2005.04.19 P43」


データは一定の方向を指し示すけれど
それだけを頼っていては、広がりや深まりは限定される。
学習や人生?はもっと意外性があっていい。
子どもたちにもそう接したい。
「根拠なき自信」の可能性、という根拠を持って。

勉強する理由

2005年04月14日 | 読書
なぜ勉強するのか、なぜ勉強しなければいけないのか、という問いは答えにくいものです。そういう問いが子どもたちから発せられるというのは、すでに大人社会の敗北です。勉強する理由というのは、本来言葉ではなく、大人たちの姿勢の中に答えがあります。
村上 龍「総合教育技術 2005.4」(小学館)

どんなに言葉をつくそうとも答えられない問いがある。
「なぜ勉強するのか」と尋ねられて
いくつか具体的な返答をすることはできるだろうけど
その問いを自分の中に引き込んでみせる人の姿こそ
その答えになるのだと教えてくれる。

プレーメイクの条件

2005年04月12日 | 読書
上司からの指示だけを行動の指針にしていたのでは遅すぎる。個人に与えられた裁量権の中で判断しながら、チームにとって常に有利にプレーメイクしていくという考え方がなければ、「ターンオーバー」のチャンスを的確につかむ時代に通用するチーム、組織は作れないだろう。
平尾誠二「DIME No08 P65」(小学館)

競技スポーツのチームであれ、学校という組織であれ
一人ひとりが十分に力を発揮できるかは
役割意識とともに、自己の目標とのすり合わせが肝心だ。
指導者に求められるものは、
目的をはっきり示すこと、実現への強い意志を見せること。

一つひとつの行動の自覚

2005年04月11日 | 読書
ある人が一つの経験を他の事柄に応用する能力があるかどうかは、「いま何のためにそれをやっているのか」と質問してみればわかる。「こういうためです」と一つひとつの行動を自覚し、また目的を持ってやり遂げる意識が明晰な人は必ず伸びる。
齋藤孝「眼力」(三笠書房)

活動の楽しさを強調していく手法もあるが
やはり「目的」「目標」をしっかりと明示し、評価することが
授業として必要な要件である。
その繰り返しによって、学ぶ姿勢ができ
鍛えられていく能力がある。




悲しみの復権

2005年04月10日 | 読書
「悲しみの復権」ということも、この授業を構想するきっかけであった。それは少年少女時代に他者の不幸に悲しみを感じ涙を流すという経験をするのを排除して、「明るく、楽しく、強く」という価値観だけを押しつけると、その子の感性も感情生活も乾いたものになってしまわないかという危機感である。
大瀬敏昭「輝け!いのちの授業」(小学館)

「不幸」はたくさんあるのだけれど、
その不幸を見せないように、できるだけ触れないように
といった姿勢が大人に見え隠れすることがある。
うすっぺらな明るさや楽しさだけでは
本当の強さは生まれてはこないだろう。
学校は、悲しみに向かわせる意図的な場を作り上げているか。



かけ声を支えるもの

2005年04月09日 | 読書
最近は「みんな仲良く」というかけ声に変わって「みんな違ってみんなよい」(金子みすず)という新しいかけ声が採用されるようになってきた。しかし、そのためには「自分とは考えの異なる他者とコミュニケーションする」知性が必要であるというところまではまだ考えが進んでいない。
上條晴夫「授業づくりネットワーク No237 P5」(学事出版)


金子みすずへのスポットライトは時代が求めたものであったし、
自分もかなり早い時期にその言葉に惹かれた。
それを教育の場で具現化するためには、もっと考えるべきことが
たくさんあるのだ、ということを今さらながらに思う