すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

結果論としての安全

2005年04月22日 | 読書
ぼくたちは「安全」の意味を取り違えているのではないでしょうか。「安全」をシステムではなく情緒でとらえすぎているのではないでしょうか。本質的に「危険」な場所の学校が、なぜ現実にはめったに「危険」にさらされないか。それは学校が「安全」だからではなく、「危険」にさらしてやろうという悪意が(たまたま)向けられなかっただけにすぎないのです。結果論としての「安全」ですね。
重松清「明日があるさ」(朝日文庫)


善意で成り立っている学校は理想だ。
しかし現実を見れば、
そんなふうに思い続けることが
実は善意という名の悪意であることに
気づかなければならない。