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勉強する理由

2005年04月14日 | 読書
なぜ勉強するのか、なぜ勉強しなければいけないのか、という問いは答えにくいものです。そういう問いが子どもたちから発せられるというのは、すでに大人社会の敗北です。勉強する理由というのは、本来言葉ではなく、大人たちの姿勢の中に答えがあります。
村上 龍「総合教育技術 2005.4」(小学館)

どんなに言葉をつくそうとも答えられない問いがある。
「なぜ勉強するのか」と尋ねられて
いくつか具体的な返答をすることはできるだろうけど
その問いを自分の中に引き込んでみせる人の姿こそ
その答えになるのだと教えてくれる。

2 コメント

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「勉強する理由」にあわせて・・・ (先生志望@コロラド)
2005-04-16 20:23:48
「勉強する理由」に合わせて、積極性もしくは、動機(モティベーション」も関わってくると思います。



高校生が「勉強する理由」を自分自身の中に見つけれるならば、必然的に、「勉強する」ということに積極的になれ、またモティベーションも高くなります。日本ではそれが「入試」という制度の下で高まっていますよね。



クラスで一回「(社会科を)勉強するする理由」を話し合ったことがあります。私のように未熟なものは、「姿勢の中」に現すまで数年以上かかると思うので、なかなか答えられない、このような問いを、大いにクラスで考える問いとして扱おうと思いました。学生、教師自身の中でこのような問いを自問自答することで、徐々に、意識化がはかられるものだと思いました。「大人たちの姿勢の中」に答えがあるとき、この問いが意識された結果、自分なりの答えが見つかった時だと思います。



と行ってみましたが、自分はまだまだ修行が足りません・・・。
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姿勢こそすべて (spring)
2005-04-17 11:37:13
「勉強する理由」を話し合う姿勢も、「姿勢」でしょう。素晴らしいと思いました。

明確に理由がある場合も大切ですが、そうでなくて自然に身体や頭が動く勉強(こちらは学びなのかなあ)を求めたい気がしています。

「修行」いいです。この頃養老先生も好んでつかっていますね。



初コメント、ありがとうございました
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