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いなご出でよ、日常を脱して

2020年03月10日 | 雑記帳
 調べものをしていて、たまたま手にした某学校記念誌。調べていたことから思わず寄り道してしまい、面白い記述を見つけた。

32年 2石6斗     17600円
33年 2石4斗1升   19280円
34年 1石7斗2升   18760円
35年 1石4斗4升   14400円
36年 1石8斗     18000円

(実際は全て縦書き、漢数字。ちなみに1石は180ℓなので32年だと468ℓ)


 年代は昭和。某中学校における「いなごとり」の収穫高と収益が囲み枠として載っていた。興味を持ち、昭和32年の年表にあたってみる。「10.15 稲上げの為欠席早退多く、いなごとり実施」という表記があった。この地方では、まだ農繁期田植え時は1週間ほどの休業があった時代のことである。今は昔を感じる。


 寄せられた文章に関連するものがないかページをめくると、そのまま「いなごとりと落穂ひろい」と題された小文があった。高度成長期とはいえ、地方の中学がまだ安閑としていた頃、数多い思い出の中からピックアップされた一文だ。「特に『いなごとり』と『落穂拾い』は生涯忘れることができないように思います。


 生徒だけのグループで、渡し船に乗り隣町へいなごを取りに行く。帰校して教師に「獲物を計ってもらい、大きな釜茹で」で仕上げ、家庭へ売りに出かけたのであろう。図書費や生徒会のために使ったはずだ。農家では労働力の一部であり、作業そのものは手慣れていても、学校の仲間と過ごした非日常であったのだ。


 落穂ひろいはその後4年続いたが、いなごとりはその年で終わっている。昭和36年、秋田では国体があったエポックメーキングな年だった。そしてその同じ10月に「文部省全国一斉学力テスト」という記述もあった。別欄に「強行実施」と付記されていることも象徴的だ。翌年、東京都は世界初の一千万都市になった。


 それから60年近い年月が流れ、学期中なのに教室には児童生徒の声が聞かれない状態。一方的な休校要請に応えた世の中で、子どもたちはいったい何を探しているのか。社会環境も季節も全く異なる出来事を結びつけたくなったのは「生涯忘れることができない」という表現。こんな状況が日常になってはいけない。


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