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同調の追求という見方

2017年03月23日 | 雑記帳
 大相撲春場所が続いている。取組のあいだに「横綱名勝負」というVTRが流され、昭和期からの名力士たちの対戦が見られる。当然、見どころいっぱいで楽しい。戦い方のほかに目が向くのは力士たちの体型である。締まっているなあと感心する。ただ、「立ち合い」がラフでいい加減な取組みも目立つのはどうしてか。


 現在は、仕切りをする時はしっかりと両手をつくように指導されている。ところが「名勝負」の中には、ほとんどつかず(というより、かなり腰が高い段階で)向かっていく取組が少なくない。特に「大鵬・柏戸」時代がひどい気がする。スピーディーさを感じることも確かだが、正直少しだらしない印象を持ってしまう。



 今読んでいる本に、相撲の立ち合いに関した記述がある。相撲は格技というだけでなく、奉納があるように儀式的な面を強く持っている。立ち合いは最も重要であり、かの本は「息を合わせる同調の追求」とまで言い切る。従って昔は「待った」は普通であり、明治時代の場所には54回もかけた取組もあったという。


 今場所も立ち合いに関したトラブルが目立つ。初日、二日目と息が合わないままに始まった印象をうける取組が複数あった。テレビ解説でも触れられていた。もちろん視聴者は勝負に重きを置く。しかし見続けるほどに、攻め方や凌ぎ方に目が惹かれ、究極的には「立ち合い」に最大の見所があることに気づくのである。


 「同調」があれば時間前に立つことも許される。何度か目にしたが、今は皆無と言ってよい。時間が「約束事」になるのは何だかつまらない。優勝争いが白熱すると、そういう真剣勝負の雰囲気が出てくるだろうか、と期待している。五日目の高安・正代戦の立ち合いで響いた音は、久々に凄みがあった。また見たい。

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