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変身願望のエネルギー

2020年06月25日 | 読書
 カフカの『変身』という物語は、あらすじは知っていてもきちんと読んでいなかった。その発想を作文上の技法としてフィクションを綴らせる「変身作文」はずいぶん取り組んだ記憶がある。先日、絵本検索をしていたら、その『変身』が絵本になっているのを見つけ思わず注文してしまった。原作を知らずに読了した。



 なかなか興味深いストーリーだった。トーンが渋い絵なので子ども相手の読み聞かせには向かないだろうが、中学生以上には理解できると思うし、何かしらの機会があればとふと考えた。細かい感情の表現部分など、原作が気になるので近いうちに読んでみたい。「変身」の持つ象徴性は何なのか、人の心に問いかける。


 一つ思い出したことがあった。国語学習の実践として『ニセ作文』『想像作文』は得意な持ちネタの一つだった。自分が量産態勢(笑)に入ったのは80年代後半だが、振り返ると81年にこれと同様の実践を、勤務校で提示した人がいた。それは初任校であった小中併設校三年目に、新任校長として赴任したI先生だった。


 校長室の前に「書き出しの一文」だけを貼りつけ、その続き話を募集したのだ。それが確か「起きてみたら自分が怪獣になっていた」というような設定だった。小1から中3まで約百人の子どもたちがそれにどう反応したが今となっては思い出せないが、ヘェ結構やるなコーチョーと無礼な思いを抱いたことは覚えている。


 教育実践としては古典的なネタと言っていい。しかしやはりこの技法は人間の持つ欲望に根差しているし、同時に思索も深める要素を持っていて魅力がある。自分以外の誰か、何かになりたい。あの○○は今どんな気持ちだろうか。もし■■だったら…。最近その手の妄想が湧かないのは達観なのか、いや老化現象か。


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