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たとえを使って越境する

2020年09月11日 | 読書
 「たとえる」とは「ある事柄の内容・性質などを、他の事物に擬して言い表す」と広辞苑に載っている。明鏡国語辞典には目的も記されている。「ある事物を効果的に説明するために、類似した事物を引き合いに出して言う」。何のために「たとえる」か、と問われればそれに尽きるのだが…この本はちょいと越境してる。


 『たとえる技術』(せきしろ  新潮文庫)


 又吉直樹との二人で著した句集がなかなか面白かったので、手に取ってみた。冒頭ページに「この本は○○のような本である」と一行だけを記し、次ページに次のような惹句を置いた。「『たとえる』と一瞬にして目の前の世界が変わる」…つまり読了してそんなふうに感じられたら、この本の価値があるということだ。


 いつか見た夢のような…2年前の今日

 結果、50%ぐらいは納得できた。使い古された表現の代表とも言える「燃えるような赤いもみじ」は、確かに「赤さ」をアピールできるし、長年の伝統さえ感じさせる。しかしこれで満足できない、陳腐さを脱却したい者は、別の表現を探す。その想像を駆使しようとする姿勢が創造的であり、伝達以上の意味を持つ。

 そこで出された8つの文例から2つ引用しよう。

 広島カープのファンで埋め尽くされた球場のような赤いもみじ
 進研ゼミから返ってきた答案のような赤いもみじ



 前者のたとえでイメージされるのは、赤という色だけでなく、量も含められる。後者はどうだろう。何を言っているのかと思う人もいれば、経験知がある人であってもマルが多い答案、バツの目立つ答案のどちらかによって想像する風景は違うだろう。このように、たとえの使用は現場の人間関係に働きかけるのである。


 結論から言えば、たとえは「想像力のトレーニング」としてかなり有効である。特に拡散的思考を高めていく。「人のタイプをたとえる」の章は得心させられた。イソップ寓話の「金の斧」を取り上げ、返答する木こりの男の別タイプ化を試みる。神に問われて③と答える正直者が原話だが、無関心という場合も確かにある。

①金の斧を選ぶような人間
②銀の斧を選ぶような人間
③どっちも選ばないような人間
④どっちも選ぶような人間

 これは実に汎用性の高いパターンだと考えた。たとえるはこうした生かし方も可能だ。よって「たとえる技術」を学ぶことは、人やモノの見方を鍛えると結論づけてよい。蛇足のように付け加えれば「ナンセンス文学」のようにも読めた。
 つづく


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