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いい本に出合えて、初秋

2024年09月07日 | 読書
 先月から結構な時間をかけて、風呂場読書をした一冊Re67『大事なものは見えにくい』(鷲田清一 角川ソフィア文庫)。新聞などに掲載したエッセイがまとめられている。ページの角を折る箇所が多かった。今、取り掛かっている書き物にも引用したい部分がいくつかある。10年以上前の本だが古さを感じさせない。


 例えば子育て、例えば介護、人と関わることの基本にはどんなに社会が変化しようと、蔑ろにはしてはいけない芯がある。「じぶんがていねいに、そして大事に扱われている、そういう体験こそが…」「『じぶんもこんなになりたい』とおもえるかどうか、そこにこそ…」…他者へ向ける眼差しが持つ心がけの重さを知る。。


 俳優の岸部一徳を取り上げた「脇役」という項目は、ドラマ好きで俳優に詳しい(笑)自分も納得した文章だ。言われれば岸部は「語りのテンションもリズムも声量も一本調子。(略)が、なんともいえない味がある。ありすぎる」それを著者は「『反物語』性」と説いてみせた。割り切れない、嚙み切れない役が似合い過ぎる。





 こちらは寝床読書。Re68『ひとが詩人になるとき』(平川克美 ミツイパブリッシング)。個人的な流れで今この本に出合うのかと感じてしまった。古希近くの読者に「詩とは何か」「何のために書くか」を改めて突き付けてきた一冊。今まで読んできたこの著者の本ではあまり意識しなかった詩情が、実は皆に潜んでいたのか。


 「子どもが生まれ、その名前を考えるとき」人は「言葉に真剣に向き合う」とあり、そこで誰しも「人生に一度は詩人になる」という件が面白い。自分が拘ってきた一つに「名づけ」がある。既存のことも含めて考えていたが、「今まさに生まれようとしているもの」に目をつければ、詩の本質に近づくということか。