来週の校内研修で「話すこと・聞くこと」を扱うことになっていて、そろそろ準備をと考えたときに、頭に浮かんだのが「質問力」ということだった。
ある程度自分で意識し、残した実践記録もあったからだと思う。
「授業づくりネットワーク」誌でそのことを特集にした号があったはずと探してみた。
№197 (2001.12) 質問力を育てる授業づくり
№221 (2003.12) 質問力を育てる授業づくりパート2
当時編集長だった上條晴夫氏の提案をうけ、諸氏が実践提案をなさっている。今読み返しても興味深い。
さて、それでは今その「質問力」はどうなっているのか。
ネット検索をかけてみると、ほとんどがビジネス関連、わずかにその当時の流れで学校における学習活動等があるようだ。
公的な用語として普及はしなかったということか。文科省ホームページで検索をかけても、ある大学の研究の中に顔を見せるぐらいである。
本県における重点のフレーズとして「問いを発する子どもを育てる」が登場したのは昨年度初めであった。夏にやや細かい説明パンフが配られたが、そのなかに「質問力」という用語があったことを覚えている。そこでは「グローバルな社会」・・・・といったことに絡んでの使われ方であるが、いずれ質問力に関しては、意識しているしていないに関わらず重要な視点であることに強い反論はないだろう。
しかし、肝心なのは、その点が意識された授業は一般的になっているかどうかである。
「子どもの問いが生まれる学習」「子どもの問いがたくさん発せられる学習」「問いが連続している学習」になっているだろうか。
もちろん、すべての時間、多くの教科でそれを望むのは酷かもしれない。現実的ではない。
ただ重点と決めた教科等で試したり、そういう授業スタイルを追求したりすることは、やはり普通の感覚でありたい。まだまだ「教師の持つ正解当て」のような授業から離れていない人もいることは認めざるを得ない。
「質問力」は今さらのことではなく、もっと大きく取り上げられていいコンセプトだ。
大雑把に考えれば、小学校では「問う習慣づくり」を意識するべきではないか。
その観点で学習過程を組み立てる。
その観点を必須にした活動、行事などを計画していく。
問う形式を教え、問う活動に慣れさせ、他の活動につなげていく。
では、国語科として何をするか。
これは、やはり「質問の仕方」「質問の生かし方」ということだ。
教科書教材もあるにはあるが、圧倒的に少ない。
ある程度自分で意識し、残した実践記録もあったからだと思う。
「授業づくりネットワーク」誌でそのことを特集にした号があったはずと探してみた。
№197 (2001.12) 質問力を育てる授業づくり
№221 (2003.12) 質問力を育てる授業づくりパート2
当時編集長だった上條晴夫氏の提案をうけ、諸氏が実践提案をなさっている。今読み返しても興味深い。
さて、それでは今その「質問力」はどうなっているのか。
ネット検索をかけてみると、ほとんどがビジネス関連、わずかにその当時の流れで学校における学習活動等があるようだ。
公的な用語として普及はしなかったということか。文科省ホームページで検索をかけても、ある大学の研究の中に顔を見せるぐらいである。
本県における重点のフレーズとして「問いを発する子どもを育てる」が登場したのは昨年度初めであった。夏にやや細かい説明パンフが配られたが、そのなかに「質問力」という用語があったことを覚えている。そこでは「グローバルな社会」・・・・といったことに絡んでの使われ方であるが、いずれ質問力に関しては、意識しているしていないに関わらず重要な視点であることに強い反論はないだろう。
しかし、肝心なのは、その点が意識された授業は一般的になっているかどうかである。
「子どもの問いが生まれる学習」「子どもの問いがたくさん発せられる学習」「問いが連続している学習」になっているだろうか。
もちろん、すべての時間、多くの教科でそれを望むのは酷かもしれない。現実的ではない。
ただ重点と決めた教科等で試したり、そういう授業スタイルを追求したりすることは、やはり普通の感覚でありたい。まだまだ「教師の持つ正解当て」のような授業から離れていない人もいることは認めざるを得ない。
「質問力」は今さらのことではなく、もっと大きく取り上げられていいコンセプトだ。
大雑把に考えれば、小学校では「問う習慣づくり」を意識するべきではないか。
その観点で学習過程を組み立てる。
その観点を必須にした活動、行事などを計画していく。
問う形式を教え、問う活動に慣れさせ、他の活動につなげていく。
では、国語科として何をするか。
これは、やはり「質問の仕方」「質問の生かし方」ということだ。
教科書教材もあるにはあるが、圧倒的に少ない。
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