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地に足のついた方法論

2008年02月19日 | 読書
 『一斉授業の復権』(久保齋著 子どもの未来社)を読む。

 久保氏の本を読んだのは初めてであったが、その主張は概ね賛同できるものだった。
 というより、自分自身がやってきたこと(やろうとしても力及ばなかったことも含めて)と重なることも多く、そうだそうだと受け止められる箇所が多かった。
 指導法としての「一斉授業」の長所や利点のみではなく、なぜ一斉なのかと突き詰めて考えてみることの重要性が述べられている本である。

 「一斉授業」という言葉は範囲が広い。
 ここで久保氏が指している一斉授業は、言うなれば教師主導、集団思考の授業と言っていいかと思う。
 対義的な授業として習熟度別指導や総合的な学習などにおける体験型学習、またいわゆる活動主義が強く出ている授業を批判している事例が多いことからも伺える。

 もちろん、教師主導といってもその範囲は広く、明確なステップもある。
 百マス計算の活用や音読重視の教科指導、そして話し合いや受け答えの指導を含めて、かなりトータルに、ここではあまり触れられていないが学級経営の全体像と関わりがあることも予想される。
 特にノート指導のあり方などけして奇を衒うことなく、それでいて見事なまでに力をつけていく姿が見えるようだ。
 第二章を中心に、様々な実践が汲み取れる本だ。

 新学習指導要領が発表されて、それに伴う様々な言述がにぎやかである。
 例えば「本当は強制でも、それを強制と思わせないのが教師の力量」といったしごくもっともな論を高名な学者は言ったりする。しかし、では現実の場面で力を持つのはどういう指導なのか、どういう教師が子どもたちの力や意欲を伸ばしているのか、具体的に踏み込む方向はあまり見えていない。

 そして、そうした言述が現場に着地するまでに、数多の「指導者」の指導助言にさらされて、机上論とそれを自賛するような実践ばかりが表に出ているではないか。
 今回もまた繰り返されるのだろうか。

 もっと泥臭く、地に足のついた方法論が語られるべきだ。
 時節柄?そんなふうに思わされた一冊である。


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