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向き合えなくなることを「卒業」と呼ぶ

2007年01月10日 | 読書
 重松清著の『卒業』(新潮文庫)は4編が収録されている作品集だ。
 いずれも読みきりの形であるが、作者自身が書いているように「淡いつながり」もあるように感じる。
 「卒業」をテーマにした作品集で、重松清とくれば設定は当然学校となるのだろうが、実際に学校や教室の場面が多いわけではない。
 しかし、そのどれもが現在の教育の問題点を鋭くえぐる、独特の重松ワールドが展開されている。

 今回、心に残ったのは「あおげば尊し」という作品である。
 主人公である小学校教師の父親は、退職した高校教師。それも「厳しくて冷たい教師」「たとえ話をするなら、学園青春ドラマの嫌われ者役の教師」だった。
 「秩序と厳しさを教え」「未完成な子どもを少しでもおとなに近づける」ことを生涯の使命とした。世間からの評価はうけるが、その一方で生徒には嫌われ、教え子の結婚式にも招かれず、訪問を受けたこともなく、年賀状さえ誰からもこない教師だった。
 その父親が末期がんで余命いくばくもない状況が話の始まりで、主人公の受け持つ一人の「問題児童」もかかわりあうという展開になる。
 父親のような教師にはなるまい、と歩んできた主人公の心が、厳しく自らの「生」を見つめる最期の日々を通して、自責で揺れながら変化していく過程が描かれていく。

 「いいか、光一。教師は目先のことを考える仕事じゃないんだからな。それが他の仕事とのいちばん大きな違いだ。」

 父親が、主人公である息子にかつて語った言葉の真実を、死期が迫まっても頑なまでに表そうとする姿は痛ましくもあり、神々しくもある。
 最期に至って、主人公は父親の教え子の一人となり、周りに止められながら、もう一人の教え子となる自分の受け持ちの子と一緒に、その時に臨む。
 教師としての父親の誠を、はっきりと受けとめて周囲の反対を振り払う。

 「教え残したことがあるんだ。いまじゃないと教えられないことだったんだ。」

 小学生の子と手を握り「言葉のない授業」を続ける場面は淡々と描かれるが、それだけに「生の尊厳」といった言葉で括るより、心に迫ってくる。
 もう開ける力がなくなっても、目を背けずに向き合え…

 葬送の曲に、父親が好きだった「あおげば尊し」がかかる結末。
 主人公が予想しなかった不揃いの合唱が少しずつ広がったとき、私は、映像化するなら青空のシーンしかない、そんな届き方をしてほしいと願った。

2 コメント

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Unknown (はじめまして)
2007-01-11 01:35:06
たくさん本をお読みになるんですね。私も重松清さんは好きでいくつか読んだことがあります。かくいう私も小学校教師を目指している大学生です。『卒業』はまだ読んだことがないので、読んでみようと思います。
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Unknown (spring)
2007-01-11 06:12:22
コメント、ありがとうございました。
教師を目指す方には、シゲマツはぜひ読んでほしいと思います。私の好きな「きよしこ」なども文庫化されているので、手軽に読めますよ。
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